後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | top↑
【重っさ】
2015-11-12 Thu 22:30
人は、かつて自分の持ったことのある重量までは、
そこそこ持つことができる。

自分の重量経験以上の物を持とうとすると、どっちか。
覚悟のトライか、さっさと無理だと諦めるか。

―――――

介護ヘルパーをやっていると、重量級のお年寄りをお世話することがある。

車いすからベッドへの移乗、
ベッドからポータブルトイレへの移乗、
病院にてレントゲン撮影台への移乗、など。…。

掛け声「一、二の三…!」でスロットル踏んだ瞬間に分かる、介助者の体を軋ませる重量。

それだけではない。
実際の数値としての重量はあるが、それ以外にも:

持ち易い・持ち難い(拘縮・脱力)、
長身・短躯、
まんべんなく重い・腰部重い、

などで、単に米袋10㎏ × 何袋分、と言えない難しさがあるのだ。


そんな中、超重量級のお婆ちゃんをベッド移乗などする際は、
持ってみた感触で<本気度・覚悟>を改めねばならない。

「これは絶対腰をヤる」という直観があれば、
即本気モードに切り替えねばならない。そんな感じ。

重い

―――――
<リンク>
【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】
【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】
【Million House(百万家 ミリオンハウス)】
【銀カフェ】
【CCC 自習塾】
―――――


カール・ヒルティはその著書「幸福論」の中で言う。

「ドイツ語で“苦しみ(Leiden)”とは、この言葉の本来の意味では、
“試すこと”、すなわち、積載力試験 ということである。

これによって、試される者の真の内的価値が示され、
もっと段階を進めて良いかどうか、その力が明らかになる。

したがって、試練がやって来ても“今や良き日が過ぎ去り、
苦しい日が来た”というわけでなない。(中略)

むしろ“堅く立て、そうすれば大きな宝が与えられるが、
さもなければ与えられない”ことを意味する。

それゆえ、ほんとうにすぐれた人の生涯は試練の連続であり、
その最後の試練は、復活への信仰を抱きながら、
死にうち勝つことである。」

―――――

故に、「箸より重い物を持ったことがない」超箱入り娘は、不幸だ。

何故なら、自分の限界値を知らず、
自分の本当の能力を知らず、
そしてそれを伸ばしていこうとも思えないからだ。

苦しみは、
人間をより強く、より謙虚にするか、
それとも打ち砕くか、である。


その人に内在する素質によって、どちらかになるだろう。

だが、こうも言える。

幸福な時には、
自分の苦しみに耐える素養/積載能力は判然としないが、

苦しんだ時に初めて、
我々は自分自身を知ることができる、と。


よって。
人生の課す重荷、主が与えられる十字架の
重みには、敢えて耐えてみなければならない。


その重量を背負って、
どこまでも続くような歩みを強いられるかもしれない。

だが、主に信頼し歩む者は、
その重責の中でこそ自分自身の本質を、
信仰の成熟を悟ることができる。



一度持てた重さは、困難は…
次に向き合う時には、すでにあなたの
許容範囲に入っているのだから。…
スポンサーサイト
別窓 | 信じると、あなたに起こること | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<【矛盾の一つ】 | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 【最難関 二つ】>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。