後藤 秀孝
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JAPAN
【抜く 抜かない】
2015-04-11 Sat 21:37
聖書に「毒麦のたとえ」という章節あり。下記。


イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。
『天の御国は、こういう人にたとえることができます。

ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。
ところが、人々の眠っている間に、
彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。

麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現れた。

それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。
「ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。
どうして毒麦が出たのでしょう。」

主人は言った。
「敵のやったことです。」

すると、しもべたちは言った。
「では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。」

だが、主人は言った。
「いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、
麦もいっしょに抜き取るかもしれない。

だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。
収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、
まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。
麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。」』
(マタイ13:24~30)


農夫レベル(土工レベル…)が上がる前は、この例えは頭理解止まりだった。
つまり「ふ~ん、そう…」止まり、である。

今は、実感して分かる。

そうなのだ。
種をいろいろばら撒いて、しばらく待って見ていると、

生えてくる物が一体、
何がなんだかサッパリ分からない のだ。

ちっこい葉
           <わかんねー。わかんねーよ…>
―――――
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【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】
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【CCC 自習塾】
―――――


「そんなんでいいのか??!」
という非難が聞こえてきそうだが、
農夫レベルが低いからどうしようもないじゃん。

明確な雑草君はいる。そいつらは努めて抜く。

だがそれ以外は、

植えたローズマリーなのか、
焼肉レタスなのか、
赤カブなのか、
はたまたジャガイモなのか大豆なのか…
トウモロコシ?

う~ん、見分け、全くつきません。

だから、
「一度種まきしたら二度と触れない畑」
の完成である。杜撰でいいな◎。

―――――

上記、主の話の中では、選別対象が同族の

麦 Vs. 毒麦

ということなので 「Worse 分からない」 のだろう。

農夫レベルが高い遣い手であっても、判別困難。
抜いちゃうだろう。イイ奴も。

主は、
『ならば放っておけ』 というのと同時に、
『毒麦は、その実りでわかる』 と語られた。


そうだ。

どんな綺麗事で固めた表面信心深さ%であっても、
その実りが毒、つまり主に喜ばれないものならば、
結局焼かれるために炉(Gehenna)に放り込まれる。

逆に、悪行を重ねた人間であっても、
その人生の総括において真に悔い改め、
神に立ち返れば、主は彼を天の御国に招かれるだろう。

植物は、その実によって。
人は、その人生の結実、信仰の確信によって…。

しかしその実りは、
主との個人的関係の中で育まれ、結実する。
人からは見えないし、上辺からの判断など不能だ。

神である主だけが見通すことができる。
私たちは畏れなければならない。
敬虔なフリ、聖いフリなんて通用しねぇから。…


表面的信心を評して、主もこう言われている。

『ところで、あなたがたは、どう思いますか。

ある人にふたりの息子がいた。

その人は兄のところに来て
「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」
と言った。

兄は答えて
「行きます。お父さん」
言ったが、行かなかった。

それから、弟のところに来て、同じように言った。

ところが、弟は答えて
「行きたくありません」
と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。

ふたりのうちどちらが、
父の願ったとおりにしたのでしょう。』

彼らは言った。
「あとの者です。」

イエスは彼らに言われた。
『まことに、あなたがたに告げます。
取税人や遊女たちのほうが、
あなたがたより先に神の国に入っているのです。』

(マタイ21:28~31)

我々の発する言葉など、空気の振動でしかない。

その言葉に、
信頼の裏づけを与えるのは、
我々の行動だ。

我々の信仰の結実である、
「主に従う」という行動のみなのだ。

―――――

<参照聖句>

にせ預言者たちに気をつけなさい。
彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。
ぶどうは、いばらからは取れないし、
いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。

良い木が悪い実をならせることはできないし、
また、悪い木が良い実をならせることもできません。

良い実を結ばない木は、
みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

こういうわけで、あなたがたは、
実によって彼らを見分けることができるのです。

わたしに向かって、
「主よ、主よ」
と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられるわたしの父の
みこころを行う者が入るのです。


その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。
「主よ、主よ。
私たちはあなたの名によって預言をし、
あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。」

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。
『わたしはあなたがたを全然知らない。
不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
(マタイ7:15~23)
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