後藤 秀孝
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JAPAN
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【ことば は ちから】 その①
2015-02-15 Sun 23:11
ヨハネの福音書は、主イエス・キリストの存在をこう表現した。

「初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。

この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」
(ヨハネ1:1~4)

今日のテーマは、
「ことばの持つ力」について。である。

俺たちヤッちゃうよ?!!

―――――
<リンク>
【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】
【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】
【Million House(百万家 ミリオンハウス)】
【銀カフェ】
【CCC 自習塾】
―――――


長らく生かされて気付くのは、

「私たちの口から出てくる言葉は、
私たちの普段考えていること、自己イメージ、
他人への想い、世界観、そして人生そのものを…
反映する」

つまり

「この口が語る<言葉>で、
私たちの人格や思考回路、
人生そのもの…が明らかになる」


という(恐ろしい…)ことだ。

それは実に、
「口開けて 腸(はらわた)見する 柘榴(ざくろ)かな」(新渡戸稲造 著「武士道」)、

また、ロバキヨさん曰く
「私たちが心の奥底で自分に言ったことは必ず成就する」(「金持ち父さんQuad」201pg)、
「その人の言葉を聞けば、魂を見たり感じたりできる」(同32pg)
「言葉は強力な道具だ」(同33pg)

につながる。

―――――

実に「ことばは力」である。
しかも、私たちの人生を丸変わりさせてしまうような、大きな力だ。

気をつけねばならないのは、
多くの純粋な「力」がそうであるように、
「力」はプラスにもマイナスにも働く。


「実行者の使い方」次第で…。

実に「内包されたことば」は、

生命を与え、
強めることもできるし、


生命を貶め、
奪うことさえできる。


例を挙げよう。
最近、駅前心療内科が流行っている。
俺に言わせれば「金儲けのために、何でも噛んでも うつ病にしちゃう 医者たち」だ。

診療内科医は、患者から日頃気になる点を聞き出し、
何となく・感覚で・統計的に(だって、100%確たる根拠は無いのだから…)

「統合失調賞」
「打つ病」
「勘定渉外」


とか告げる。

(心療内科医よ、正直に言ってくれ。

「精神疾患一覧(ICD10)」の300カテゴリーには、
ぶっちゃけ全人類含まれちゃうんじゃないですか??

後藤が普通に
「ときたま孤独感に襲われる」
「独り言が多い」
「酒で誤魔化す時がある」とか
「常に脳細胞が思考して止めない」とか言えば、
あんたら「適切な病名」を与えてくれるだろう?)


問題は、ここからだ。

もしその「宣告」を、
俺たちが真正面で受け止めたとすると、

俺たちの内なる言葉は変わるんだ。

つまり
「俺は鬱だ…」
「俺は精神に病を抱えている」

みたいな「ことば」を住まわせちゃう。

自分の中で承認し、市民権を与えてしまう…。


そうして「ことば」は心の中に深く浸透して、その人にとって「現実」となる。

その精神疾患イメージが、突如として顕在化する。自分の中に。
そうやって俺たちは「言葉にいのちをあたえてしまう」。

(思えば20年前「心療内科医」なんてなかった。
奴らの店舗が増えるほど、精神病患者、しかも薬漬けにされて重度化する人たちが急増したんじゃね?
そう思えてしまう根拠があるよ。12年間で百万人も増やされたら、ね。(*))

(*)
心療内科を標榜する医院数 Vs. 精神疾患推移

1996:662 vs. 1,886,000
1999:1,573 vs. 1,818,000
2002:2,317 vs. 2,277,000
2005:3,092 vs. 2,647,000
2008:3,775 vs. 2,815,000

(平成21年地域保健医療基礎統計|厚生労働省 より)

―――――

そこで朗報だが、
私たちの内なる言葉は
「自由に選択できる」。

その高齢な好例を、シェアしたいと思う。聖書箇所は、

①民数13:30、同14:6 
②ヨシュア14:10~11

である。

①民数13:30、同14:6~9

13:30
そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。
「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。

14:6~9
すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。

「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。
彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。
主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」


②ヨシュア14:10~11
「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。

しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」


上記、よーく吟味して欲しい。

40歳のカレブは、強敵アマレク人の陣構えを見てなお「俺たちには戦れるッッ」と叫び、
85歳のカレブは、陣地拡大の戦乱の中で再度「俺はまだ戦れるッッッ」と雄叫んだのである。


何と言う高い「セルフイメージ」。
そうだ。どんな状況であれカレブは「戦れるッ!!」のだ。

分かるだろう。
自分自身に付与する、内なる言葉。
それが、大事なのだ。

俺たちが日常的に
聞き、
発し、
反芻し、
自分に言い聞かせる言葉こそ、

俺たちの人生の成否を分ける「鍵」なんだ。

その内なる言葉は、
俺たちの生き様に全て、
反映されるからだ。


(②に続く。)
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