後藤 秀孝
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【荒野で叫ぶのは】
2014-12-14 Sun 17:21
聖書にこんな章節がある。洗礼者ヨハネの紹介の件だ。

「荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意し、
主の通られる道をまっすぐにせよ』」

(マタイ3:3)

俺は誤解していた。

誤解①

「荒野」 
=イエスさまの時代の、ユダヤ人たちの置かれた立場や信仰的鈍磨・政治腐敗

誤解②

「…で叫ぶ者」
= ヨハネのことだよね?

誤解③

『主の道を…まっすぐに』
= ショボい世の中を正せ!!


表面読みでは、正解です。

だが目を開かれて読むと、もう一段二段深い読み方ができることを、主は示された。

洗礼者ヨハネ

―――――
<リンク>
【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】
【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】
【Million House(百万家 ミリオンハウス)】
【銀カフェ】
【CCC 自習塾】
―――――


「荒野」
俺たちの

ともすれば私利私欲に走り、
他人を羨み・ねたみ、
楽して成功したいと願い、
他人を差し置いていいとこ取り、
ドヤ顔したがる


そんな情動的な、ねじれた心。それが「荒野」だ。

とすれば、後ははっきりする。

俺たちの中の、頑固に捻じ曲がってしまった心を、
主に向けてまっすぐにしよう。

主がそこを一直線に駆け抜けて、
あなたを熱烈抱きしめられるように。


他人を、家族を、地域を、
会社を、社会を、政治を、
…変えてやろうとする遠大な計画も大切だけれど…。

でも、その変革がどこから始まるか、というと、
それはいつも自分の心の中から始まるのだから。(*)

そう切実に叫んでいるのは、
俺たちの良心、または魂だ。

だから、あなたの・私の心を、主にまっすぐに向けよう。
主のハグを、堂々と正面から、受け止められるように。…


「荒野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を用意し、
主の通られる道をまっすぐにせよ』」



でも、主に抱きしめられたら、


泣いちゃうけどね…。



(*)イエスさまの時代、ユダヤ民衆は「我らの王」とイエスさまを持ち上げて反乱軍を組織し、腐敗した政治家や権力者たちを倒そうとした。
その盛り上がりが大きくなるときに、主は山上の垂訓 Sermon on the mount を彼らに語ったんだ。

『一人ひとりが自らを省みて、神の前に謙ろう。
祈りもって神に依り頼み、主に喜ばれる生き方が出来るように。

よく考えて、人生の受け取り方を改めよう。
人の言う「不幸」は、神の計画に「必要な試練」なのだから』

―――――
<参照聖句>

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

 あなたがたは、世界の光です。 山の上にある町は隠れる事ができません。
 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。

 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。


 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また、守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、
あなたがたは決して天の御国に、はいれません。


 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向って、『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。

 だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから、来て、その供え物をささげなさい。

 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
 まことに、あなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。

 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。

 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。

 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

 また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。

 さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

  しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。

 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。

 だから、あなたがたは『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。


 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬をうつような者には、左の頬も向けなさい。
 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
 求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。

 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
 また、自分の兄弟にだけあいさつをしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。

 だから、こう祈りなさい。

  『天にいます私たちの父よ。

  御名があがめられますように。
  御国が来ますように。
  みこころが天で行われるように地でも行われますように。

  私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
  私たちの負いめをお赦しください。
  私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
  私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
 [ 国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。]

 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

 しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
 それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。

 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

 空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

 だから神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 さばいてはいけません。さばかれないためです。
 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

 聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。

 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

 そこで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。
 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

 また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」
(マタイ5~7章)
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