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後藤 秀孝
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JAPAN
Identity crises;
2007-01-02 Tue 20:00
現代社会において、物質主義や経済尊重主義で価値観が狂い、人々が自分を見失う(Identity crises)ことは、今から約3千年前にも予言されていた事です。聖書にこう書かれています。
「見よ。その日が来る。
その日、わたしは、この地にききんを送る。
パンのききんではない。水に渇くのでもない。
実に、主のことばを聞くことのききんである。
彼らは海から海へとさまよい歩き、
北から東へと、
主のことばを捜し求めて、行き巡る。
しかしこれを見いだせない。
その日には、美しい若い女も、若い男も、
渇きのために衰え果てる(アモス8:11~13)」と。

主のことばとは即ち、主が私たちを愛して、全てを働かせて益としてくださること。主が重荷を取り払い、私たちを休ませてくださること。主が私たちを鎖から解き放って、自由にしてくださることです。それを、知りたくても、知ることができないのです。

なぜでしょう。「この世には娯楽が溢れている。テレビやネットの雑音でかき消されて、みことばが届かないんだ。」と言う人もあるでしょう。しかし本当の敵は、私たちの内部にいます。

それは、物事を当事者として受け止めないで、映画を見る第三者のように受け取る、私たちの目線。「仰る事はごもっとも」と、冷めた心で聞き流す態度。内心で門を閉じて、拒絶しながらも「はいはい、そうですよね」と同意する、見せ掛け。本気ではないんです。何事に対しても。なぜ「本気」の関心や、喜びや、満足を、私たちは失ってしまったのでしょうか。心からの叫びを、隠してしまう癖がついたのでしょうか。

それは、私たちの人生が、「作り物」「フィクション」「バーチャル」な物だから。そしてその根底にある理由は、「私たちの、本来の自己に対する理解の欠如」から来ているのではないでしょうか。

つまり、こういうことです。神の子どもである私たちが、誰か別の人/物の子どもであるかのように振舞うのは、大変な苦労を伴います。悪や、金銭や、欲望や、エゴや、絶望、諦観(あきらめ)、憎しみ、そうした物の子どもとして、親に服従して生きている方はいらっしゃいます。でもそれは、私たちの本来の性質を押さえ込んで、無理やり「成り切って」いるだけなのです。心に痛みを抱え、魂から血を流してなお、「これが私だ。このようにしか生きられないのだ。」と自分に言い聞かせて、その痛みに慣れてしまっただけなのです。

それに気付いてください。今からでも遅くはありません。あなたはもっと、あなたらしく生きられます。もっと幸福で、満たされ、愛される人生を送ることができます。

その為に、私たち人類の祖先が、同じように葛藤し、悩み、苦しんで得た知恵を、聖書から学んでください。

人生は短いのです。でももし私たちが、先人たちの知恵から学べば、聖書が書かれてから6,000年の時を、その発見によって、私たちは自らの人生において節約することができるのです。

目覚めの時は、既に来ています。そしてあなたには、選択をする権利が、そしてその責任があるのです。
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