後藤 秀孝
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JAPAN
【日本人とクリスチャン】
2014-11-29 Sat 21:57
「葉隠」は語る。

武士たる者、ここぞという時に動揺せぬように、
日々良く死んでおくべきだ。

これは起床時、また就寝前でも良いが、
自分の想像できる限りの死を、心の中で経験しておけ、と言うことだ。

ある時は崖から転落し死ぬも良し。
野試合で討ち死にするも良し。
大波に呑まれ溺死するも良し。
虎と戦い喉を食い裂かれて果てるも良し。…

日々良く死んで、かつ己の屍がその後どう朽ち果てるかまで克明にイメージできたならば…。
己の死を心でしかと受けとめ、今手元に残ってくれた生命を愛おしむことができたならば…。

我ら最早、死の瞬間に際しても驚き恐れることなく、
平静に成すべき事を成す、死すべき死を死ぬ。

そんな本当の武士になるだろう。
(大意・作者訳)
―――――

あなたは、信じるだろうか。

実は、真摯な主の弟子ならば、上記を(知っていて・知らずに)行なっている。
それは我らが、主イエス・キリストの磔刑を自分の身に起きたかのように、鮮烈に追体験し得るからだ。

「し得る」と言った理由は、こうである。
聖書を深く読み込むことで、ゴルゴタの丘の上の磔刑場に、我らの魂は立ち尽くすことができる。

だが人によっては、主の架かった十字架を見上げるばかり。
他人事の十字架を仰いで、ただ涙流す者としてそこに居る。

しかし責任感と信義に篤い者はそこから更に謙って、
主と共に十字架に付けられた罪人の目から、
主を求め主を拝することができるのだ。


「我ら、主と共に十字架に付き、死にたり」
「我最早生くるに非ず。ただ我が内に主が生くるのみ」
そう悟る時…。

人類の歴史の知り得る、
最も残虐で、
苦しみと恥辱にまみれた十字架の死を、

「俺も、主と共に死ねたのだ」
と信じ、解放された時…。

私たちの日々の困苦や悩み、思い煩いはその荷重を失う。
なぜなら主が、
死の瞬間にまでも
あなたと共にいて下さったから。


そして。
我らの血みどろの死の先には、ああ…。

『あなたは今日、
わたしと共にパラダイスに居ます』

(ルカ23:43)

そんな主の約束が、確かにあるからだ。
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