後藤 秀孝
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JAPAN
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【友として】
2014-10-21 Tue 22:35
新約聖書 ルカの福音書の中に、有名な「善きサマリヤ人」のくだりがある。重要な箇所なので 後述の<参照聖句>にて全文を読んでみてください。

後藤訳、ざっくり概要:
「主の要求する “隣人になる” とは」
どういうことか。神はどんなことを我らに期待しているのか。を示されたくだり。

追いはぎにより半殺しに遭った人と、その脇を通り過ぎた

①当時の指導者である、ユダヤ教の祭司
②同じくレビ人、そして
③ユダヤ人とは文化的・信仰的に隔絶し仲が悪かったサマリヤ人

それぞれの対応の違いで示されたもの。

結論を言えば、ユダヤの宗教指導者たち、社会的な地位を占めていた①②は、けが人を放置してそそくさと通り過ぎていった。
思うに、その時誰かが見ていて、後々周囲に言いふらしてくれるのなら、彼らだって喜んで助けたに違いない。…

期待に反して、暴徒に裸に剥かれた行旅者を助けたのは、ユダヤ人が蔑んで止まない③サマリヤ人だったのである。

上記の例を締めくくって、主は仰せられた。
『(隣人を得るため、否、隣人となるために)
あなたも行って同じようにしなさい。』

善きサマリヤ人
                 <善きサマリヤ人>
―――――
<リンク>
【Christ's Church Co.Shigaya 越谷キリストの教会】
【Christ's Church Co.Shigaya の行なう事業について】
【Million House(百万家 ミリオンハウス)】
【銀カフェ】
【CCC 自習塾】
―――――


上記「隣人」とは、今日で言う「友人」と同義だと思う。配慮し合い、支え合い、笑い合う。
そんな「友」と言う存在について、最近考えさせられている。

A. 乗せられる
とある会合の後、主催者側が後藤を家まで社用車で送ってくださるという。遠慮したが周りも推すので、クラウンに乗り運転手さんに業界のこと、ご自身のことなど色々聞きながら大宮まで走ってもらった。
お客さんとして広々シートの高級車に乗っている、こんな待遇 Treatment を「施された」のは、後藤にとってちょっと居心地が悪い経験なのだ。

反対に、親友の乗る Volvy の高級車では、賑やかにおしゃべりしながら何とも気が楽である。


他にもある。

B. 奢られる
スリランカで。People's Church Colombo の主幹牧師家族と幹部連中が、あるお金持ちの家に招かれて食事を供されていた。広々とした中庭。高級そうな内装。テーブルの上には沢山のご馳走が並んでいる。
同席させて貰った後藤は相変わらず「居心地が悪い」。但し、

●当の「お金持ち」ご自身が給仕に回って食事を振舞っていたこと(スゲェ謙虚)、
●逆に牧師らは非常にリラックスして諸所に座り、歓談していたこと(後藤にはそれが「俺たちは驕られて当たり前」Taken for granted に見えて、不可思議であった)。


今日改めて「その違いは」と思ったときに、「そうか」と閃いたのは、
「牧師らとあのお金持ちは、友だったのだろう」 ということだった。
気心の知れた、遠慮無用な、気後れも上下もない友人関係…。

だから皆、あの場で和やかに歓談していられたのだろう。

C. 受け入れられる
「友かどうか」というコンセプトは、後藤の今の職務にも良く当てはまる。ご高齢者の訪問介護だ。

言っておくが、後藤には「特殊な利用者さんたち」が(神によって)送り込まれることが多い。…

●対人不信が強く、怒りっぽい方。心を閉ざしてサービスを全拒否するので、皆から避けられている利用者さん。
●サービス中暴力的になり、実際に 殴蹴ったり・噛み付いたり・引っ掻いたり・お茶ぶっ掛けたりする方。
●ヘルパーが気に食わないと非協力的になり、脱力したり逆方向に力んだり抵抗したり。上手く行かなくしておいて、そのヘルパーの非を責めて憂さを晴らす方。ヘルパー名指しで陰愚痴る人…。

まぁ問題児ってやつです。
他の医療機関やご高齢者施設では、「もうだめ」って言われちゃった人?もいるよね大分。

そんな方たちを後藤は だだ甘やかす。
信頼を築くために、番外編的なことでもして差し上げる。
便失禁等で困っていれば即対応し、彼ら彼女らの恥辱を拭って平静に戻す手伝いをする。
サービスの時間でなくとも顔を出し、声を掛け様子を見、困っていれば助ける/段取りをつける。
(だってさ、もうこの年になったらいいよ…。老い先短い我が身。
何で孫くらいの年の奴らに とやかく言われて、小っちゃくならにゃいかん?)

すると相手も人間だ。だんだん関係が出来、情が移ってくる。
後藤の立場が、単なる「ヘルパー(契約で遣わされてくる人)」から、
「心配して訪ね、手伝ってくれる友」へと変わっていく。

仕事の質が、そこから変わるのだ。なぜなら後藤はすでに、
「お見舞いに来てもらって嬉しい」
「共にいて心地の良い友人」
となっているのだから。

―――――

牧会も、そうなのだろう。

偉そうな奴が壇上で喋っている。
偉そうな他人の言うことは耳半分、脳半分だ。
彼の真の人間性を知らないとしたら、勿論俺は言うこと聞かない。

でももし、友が語っているのなら。
たとえ拙くて、迂遠で、面白みは無くとも、
そこに共感と熱意を持って、俺は聞くだろう。


だから、牧師はまず、
教会員の友にならなければ。


「尊敬しろぉ~」
「従えぇぇ~~!」

「右向けぇ~~!!!!!」 では無くて、

「どんな人生を歩んできたの」
「一体何があなたを教会に導いたの」
「主はどんな素晴らしいことをしてくれたんですか」

そんな、「個・々・人」を知ることから、友情は育まれるのだろう。
友情という、頑強な巨木の根、
教会の基礎が大地に打ち込まれるのだろう。

―――――

上記のような体験、理解を通じて、主は後藤に、
『自らを差し出し、進んで友人となれ』 と言われる。

ことばを替えれば、単純に、
「友として、そこにいる」ということ。
投げっぱなし「祈ってました」も大事だけれど、やっぱり 「いるよ」という物理的・具体的働き の大きさを、俺たち知っている。
その時を作る、場を作ること は、俺たちの日々の努力で出来る。
多忙人の場合は、意識して行ないたいこと。だよね。

なぜなら、
「友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」
(箴言17:17)
であるし、

『あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、

わたしにしたのです。』
(マタイ25:40)
と主が仰せられるのだから。

―――――
<参照聖句>
ルカ10:25~37

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。
「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」

イエスは言われた。
『律法には、何と書いてありますか。
あなたはどう読んでいますか。』

すると彼は答えて言った。
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」

イエスは言われた。
『そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。』

しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。
「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

イエスは答えて言われた。
ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。
強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」

この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。』

彼は言った。
「その人にあわれみをかけてやった人です。」

するとイエスは言われた。
『あなたも行って同じようにしなさい。』
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