後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告 | top↑
【崖 Jump】
2014-09-03 Wed 09:18
クリスチャンの信仰とは、頭学問から一歩踏み込んで、
いや跳躍して、信ずるに至る。

しかも知識・知能に依存する人間ほど、その跳躍は

先の見えない暗やみの断崖から、
運天任せの大跳躍

となる。


私は信仰の道に入って初めて、

<使徒信条>

がこの飛躍の確信であることに気付いた。

読んでみましょう。

「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、
陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこよりきたりて、
生ける者と死にたる者とを審きたまわん。


我は聖霊を信ず、

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。


アーメン」

Believe and see






―――――

使徒信条には、
三位一体の神、
キリストの身体である教会、
また我らが神の御恩寵に与っていることを


「信じる」と書いてある。


ここで考えさせられるのは、
「信じる」という漢字の成り立ちである。

「信」じるとは、
「人」偏に 「言」葉。

つまり 「人をして言わしむ」、
不信仰な我らをして、
神さまー!俺は信じてるぞー!!
と宣言できること…。

または、「人の中にことばがある」。
我らの中に、御言葉を通してキリストの恵みが
篤く深くしみ渡り、人生の刷新を実感できること…。



頭学問は必要。 信じるために。
だから大いに疑い、大いに調べ尽くして下さい。

その内にあなたの深奥の知恵が勝手に語り始め、
神への信仰、神との対話へと成り代わっていくから。

そう。時が来ればあなたは信じ、
主にあって、あなたの信仰は揺るがなくなる。


まことに神は、
主にある導きをもって、
あなたがあの絶壁から飛ぶ、
その足を強めてくださる。…



どうか。
この苦界に生きるあなたにも、
主の御愛が届き、


「主よ。私は信じます」

とイエスを拝することができますように。


我らの死さえ担って下さった、
主イエスキリストの御名を通してお祈りします。


Amen

―――――
<参照聖句>

ヨハネ9:1~41

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。

弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、
だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。その両親ですか。」

イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、
両親でもありません。

神のわざがこの人に現れるためです。

わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、
昼の間に行わなければなりません。
だれも働くことのできない夜が来ます。

わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」

イエスは、こう言ってから、
地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。
そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。

「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」
そこで、彼は行って、洗った。
すると、見えるようになって、帰って行った。

近所の人たちや、前に彼が物ごいをしていたのを見ていた人たちが言った。
「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」

ほかの人は、「これはその人だ」と言い、
またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ」と言った。

当人は「私がその人です」と言った。

そこで、彼らは言った。
「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」

彼は答えた。
「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、
『シロアムの池に行って洗いなさい』と私に言われました。
それで、行って洗うと、見えるようになりました。」

また彼らは彼に言った。
「その人はどこにいるのですか。」
彼は「私は知りません」と言った。

彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。

ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった。

こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、
どのようにして見えるようになったかを尋ねた。
彼は言った。
「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、
私が洗いました。私はいま見えるのです。」

すると、パリサイ人の中のある人々が、
「その人は神から出たのではない。
安息日を守らないからだ」と言った。

しかし、ほかの者は言った。
「罪人である者に、
どうしてこのようなしるしを行うことができよう。」
そして、彼らの間に、分裂が起こった。

そこで彼らはもう一度、盲人に言った。
「あの人が目をあけてくれたことで、
あの人を何だと思っているのか。」

彼は言った。
「あの方は預言者です。」

しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、
彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、
ついにその両親を呼び出して、

尋ねて言った。
「この人はあなたがたの息子で、
生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。
それでは、どうしていま見えるのですか。」

そこで両親は答えた。
「私たちは、これが私たちの息子で、
生まれつき盲目だったことを知っています。

しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。
また、だれがあれの目をあけたのか知りません。

あれに聞いてください。あれはもうおとなです。
自分のことは自分で話すでしょう。」

彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。
すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである。

そのために彼の両親は、
「あれはもうおとなです。あれに聞いてください」
と言ったのである。

そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。
「神に栄光を帰しなさい。
私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」

彼は答えた。
「あの方が罪人かどうか、私は知りません。
ただ一つのことだけ知っています。

私は盲目であったのに、
今は見えるということです。」


そこで彼らは言った。
「あの人はおまえに何をしたのか。
どのようにしてその目をあけたのか。」

彼は答えた。
「もうお話ししたのですが、
あなたがたは聞いてくれませんでした。
なぜもう一度聞こうとするのです。

あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」

彼らは彼をののしって言った。
「おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。

私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。
しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ。」

彼は答えて言った。
「これは、驚きました。
あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。
しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。

神は、罪人の言うことはお聞きになりません。
しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、
神はその人の言うことを聞いてくださると、
私たちは知っています。


盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、
昔から聞いたこともありません。

もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、
何もできないはずです。」

彼らは答えて言った。
「おまえは全く罪の中に生まれていながら、
私たちを教えるのか。」
そして、彼を外に追い出した。


イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、
彼を見つけ出して言われた。

「あなたは人の子を信じますか。」

その人は答えた。
「主よ。その方はどなたでしょうか。
私がその方を信じることができますように。」

イエスは彼に言われた。
「あなたはその方を見たのです。
あなたと話しているのがそれです。」


彼は言った。
「主よ。私は信じます。」
そして彼はイエスを拝した。

そこで、イエスは言われた。
「わたしはさばきのためにこの世に来ました。
それは、目の見えない者が見えるようになり、
見える者が盲目となるためです。」

パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、
このことを聞いて、イエスに言った。
「私たちも盲目なのですか。」

イエスは彼らに言われた。
「もしあなたがたが盲目であったなら、
あなたがたに罪はなかったでしょう。

しかし、あなたがたは今、
『私たちは目が見える』と言っています。
あなたがたの罪は残るのです。」
スポンサーサイト
別窓 | 信じると、あなたに起こること | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<【仕事 とは】 | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 【触れる】>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。