後藤 秀孝
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JAPAN
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【集められる 神】
2014-06-18 Wed 20:10
まず、聖書の章節を二つ読んでみよう。

―――

あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
(伝道者11:1)

―――

イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。

『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

別の種は良い地に落ちて、
あるものは百倍、
あるものは六十倍、
あるものは三十倍の実を結んだ。

耳のある者は聞きなさい。』
(マタイ13:3~9)

―――――

Be it パンであれ、種であれ。
神が語っている「蒔かれるもの」とは、我々クリスチャンのことだ。

ええっお得
           <すげっお得>




我らのいる場所で芽を出し、
我らのいる場所で人々を食べ飽かせ、満足させる存在たれ。

そんな主の願いを込めた聖句だと後藤は思う。


だが、悲しいかな人間。
人々は、移ろい易い。

与えられると、容易に食べ飽きる。
パンなど食べ飽きて、
他の物を…と求めるようになる。


マナに飽きた人々が言ったことを聞きなさい。…
「ああ、肉が食べたい。
エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。
だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」

(民数11:4~6)


そこで傷つくのは、
蒔かれた種、
与えられたパンのほうだ。…


食い散らかされ、
飽きられて、
ついには捨てられた存在…。


―――――

だが、主イエス・キリストはそんな我らにも希望を与えてくれる。

あなたは「5千人の給食」のエピソードを覚えているだろうか。

その中で主は、男 5千人(+ 女性子ども老人、更に1万人位?)にパンと焼き魚を与え、彼らに飽きるほど振舞った。


注目したいのはその後である。

主は弟子たちにこう言われた。

『余ったパン切れを、
一つもむだに捨てないように集めなさい。』


そうだ。このことばを通じて、主は私に語られた。

『神の御用のために用いられた者を、
一人残らず集めなさい。


彼らは誰一人として、
わたしの救いから漏れることはない。


父の与えてくださったすべての者を、
わたしはひとりも失うことはない。』



人々に好き勝手に利用され、
喰い裂かれ、
飽きられ、
それどころか蔑まれさえする。

そんなパンの一切れ、
パンくずとなった我らでさえも、


主は集めてくださる。
ひとりも漏らさずに。

主なる神の優しさと慈しみを、
私はただ信じる。


―――――

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸に行かれた。
大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たかったからである。
イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。』
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。『人々をすわらせなさい。』その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。『余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。』

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れと、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。(ヨハネ6:1~13)



『わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。』(ヨハネ6:39)
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