「異分子は排除しよう」
「不信仰・異端だとレッテルを貼って、ハブっちゃおう」
…でもさ、そもそも教会って、
異分子・異端・異教徒・異民族…ばっかりだったのよ?
聖書の記述を吟味しよう。
主イエスの処刑後、エルサレムに集められていた弟子たち、信徒たちを見るに、
ユダヤ教に篤かった純ユダヤ人を中心に、
ヘレニズムに染まった今日的ユダヤ人(バイリンガル、異文化理解(+)、裕福な商売人、…)、
サマリヤ人、ツロやシドンと言った遠隔地の民、
ローマ市民、ギリシャ人、クシュ(現エチオピア)人たち…。
変り種も多かったでしょう。
パウロ・アポロ・ピリポ等雄弁家、
殺人者・革命家のバラバをはじめ、
元レギオン憑き、
死んでた人たち、とその家族、
長血の女 改め癒された女、
盲目だった男性、
快 らい病人たち、
サマリヤ人の女、
石打たれなかった女、
ローマ帝国の兵士たち、
上官の妻たち(ピラトの奥さんも?)、
そしてイゼベルみたいな女までもが…。
教会にはいた。混在、共存していた。でしょ?
―――――
人間が勝手にグループ・派閥を作ってまとまり、
群集心理に落ち込んでいく様を主は嫌悪していたと思う。
パリサイ人や聖書研究家らが貧しい者、弱い者たちを容易に裁き、辱めること、
意見の合わない者に異端のレッテルを貼り、決め付け、魔女狩りのように処刑してきたこと、…
主は、ご自身の受けられた断罪裁判とゴルゴタ行、
そして十字架の上で、
群集心理(Mob 心理)の醜さと、
囚われ攫われてしまう人の弱さ、罪深さを
更に深く追認されたと思う。
その上で祈ったのだ。
『父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。』
―――――
実に主は、集団/群集ではなく、
“神の前の個”、“神の前の一人”を尊重し、そして愛した。
『罪のないものがまず石を投げよ』という主のことばは、
『集を離れ、神の前の“あなた”に戻れ』
『神の前に本心から“私は罪汚れのない全き者だ”と言えるのか…?』
と一人ひとりに問いかけた。深い自己内省を促したのだ。
それに応えて、一人、また一人と、
年配の者から去っていった。と聖書に書いてある(詳細下記)。
主の前に、ひとりにされる。
職場でも、家庭でも。
讃美の中でも、集団の祈りの中でも。
周囲が得意気に異言してみせるときも。
声高に流暢な祈り捧げるときも。…
神の前に一人で歩み出て、心を注ぎだせ。
主はそんなあなたを愛している。
そして、
教会とは、そんな
神の前に静まり、
個に返ることの出来る
成熟した信徒の集まりじゃねぇか。
金輪際、教派とか派閥とか
レッテル貼りとか内部迫害とか
偽り(人間)の権威とか右向け右とか
レベルの低いことは止めてくれ。
―――――
そのとき、イエスはこう言われた。
「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」
ルカ23:34
…律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、
真中に置いてから、イエスに言った。
「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。
ところで、あなたは何と言われますか。」
彼らはイエスをためしてこう言ったのである。
それは、イエスを告発する理由を得るためであった。
しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。
女はそのままそこにいた。
イエスは身を起こして、その女に言われた。
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はいなかったのですか。」
彼女は言った。
「だれもいません。」
そこで、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
(ヨハネ8:3~11)
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