後藤 秀孝
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JAPAN
【人は一人になった時】
2014-04-11 Fri 23:36
「人はひとりになったとき初めてキリスト教徒たり得る」
「(対して)共同体は常に非人間的である」
(D.H.ロレンス「アポカリプス」)

そんな言葉を反芻していた。

教会とは共同体だ。

だが同時に、
神と人との関係を育む場所、
人をしてキリスト教徒足らしめる場所
である。

教会とは信徒皆で祈り、讃美し、
主の前にこころ注ぎだす場所。
そしてまた神の前に
“ひとり”に戻らされる場所でもある。


教会とは群れでありながらも、
その人が主の前に整えられたとき、

「見よ。神の子羊。」

と言って彼を神に引き合わせ、
主に従い歩むことを促す場所でもある。


桜






―――――

実に私たち、
「集団の中の自分」に執心し過ぎてはいないか。

組織の中の自分、
ハイエラキーの中の自分、
給与体系の中の自分…。
組織・役職・自負・プライド。


それは、「ここにいるだけで、マァ安泰だ」
という、「安心中毒」とも言える。

それどころか、
対立軸の中の自分さえ俯瞰し、苦しみながらもバランスを取っている。

つまり派閥や、お局に対する隷属や、
噂話やいじめ構造の中で、
波風立てず、ソツなくやってしまっている。


教会は共同体 だが、
そのような柵(しがらみ)を内包してはならないと感じている。

いや。
<共同体>を離れよう。私たち一人ひとりが、

『わたしはこの世界を、人間を、愛する。
あなたはどうだ?』
と問いかける神の前に立ち、

真摯に信徒の特権と責任とに向き合って、
新しい生き方を再開することだ。

神の前に静まり、一人になる。
主の前に「個立する」ことが信徒への飛躍だと思う。

振り返れば、
その「個立した信徒たちの集まり」が、教会なのだ。
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