2014-04-04 Fri 22:28
この世界を動かしている力。
それは、 人の心理と それを方向付ける動機だ。 ![]() この世の、いや典型的な資本主義世界の動機は、 「世界の中心で、俺中心 と叫ぶ」 である。 「まあ、俺さえよければいいかな」 ということである。 他人よりも稼いで、 他人よりもいい車に乗って、 他人よりも裕福で、 他人よりも教養があって、… 欲望の赴くまま、 嫉妬や羨望、虚栄心の駆り立てるままに。 自分のためだけに全力を尽くす。 どんな酷い災害に見舞われても、 事故に巻き込まれても、 不治の病に罹ろうとも、 「なぜか俺だけは死なない(ラッキー☆」 という幻想にも通じる。 しかし強欲に駆り立てられ(Driven) 自己中心的な動機を更にエスカレートさせていくと、 目標達成の過程で: 何人泣こうと、 何人傷つこうと、いや仮に 何人死のうと、関係なくなる。… 俺さえよければ。 それが我々の住む現代社会、 資本主義社会が行き着く究極。 弱肉強食(Law of the Jungle) の世の辿り着く結末だろう。… そして、人類の歴史が証言しているのは、 <Extreme 俺さえよければ!!> = <Absolute 身の破滅> と同義であることだ。 「Over the Rainbow」のジュディ・ガーランドが実はビッチで薬物中毒死したことや、 最も裕福なビジネスマンらの盛者必衰も、 誤った動機で生きる人間の儚さ を痛感させるに十分だ。 ――――― だから、俺たちは世の動機、人の動機、 < 以上の何かを求めなければならない。 使徒であるペテロは、それをこう表現した。 『主は(中略)、 ひとりでも滅びることを望まず、 すべての人が悔い改めに 進むことを望んでおられる』。 (IIペテロ3:9) <全ての人を救う>という、神の動機だ。 その視座に立って始めて、 我々は世界と、地域と、隣人と、 一つの輪(神のPresence)の中に居ることを実感できる。 神の動機は、ゼロサムゲームではない。 ブルジョア(資本家)が勝ったらプロレタリアート(労働者)が負ける、ということではない。 誰かが多く取ったら、他の誰かの取り分が減る、ということではない。 実に、神の恵みは受け取る姿勢のある者のために、 溢れんばかりに、マジ無限に、用意されている。 我々の思惑を遥かに超えた、神の動機。 それは主の道に歩もうと決意する者たちに、 等しく迫ってくるのだ。 スポンサーサイト
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