後藤 秀孝
http://afg2.blog74.fc2.com/
JAPAN
【水上歩行】
2014-03-19 Wed 19:08
新約聖書に、有名な「ペテロ!水の上を歩く!」のエピソードがあります。

“…すると、ペテロが答えて言った。
「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

イエスは『来なさい。』と言われた。
そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、
「主よ。助けてください。」と言った。

そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。
『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。』

そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、

「確かにあなたは神の子です。」と言った。”(マタイ14:28~33)



水の上を歩く。
しかし勿論、水は大地とは違い不安定で、我々の体重を支えるカタさなど備えていません。
(あ、別に言わなくてもいいですね…)

ですがペテロは、イエスさまが歩んでいるのを見て、(俺も歩けんじゃね?)
安直に求めてしまった のです。


…最初の数歩は良かった。

ペテロ沈没








ですが、後のカトリック教会初代教皇ペテロをして、

「やっぱ水は水で、その上を歩くなんてできっこない」
「天気晴朗ナレドモ浪高シ。
俺は思い上がっていた…」

そんなことが実感された瞬間に<沈んだ>。…


(このエピソードを聞くと、例の:

「片方の足が沈む前にもう片方の足を前に出せば水の上を走れる。走れるのだ」
的な理論を思い起こしますが、やっぱ無理です。

―――――

お戯れを。はここまで。
この例話を自立への迫りを受けて読んでいると、また違った感じ方が与えられたのです。

「(主に招かれて)水の上を歩く」とは、つまり

「(主に招かれて)我々が普段は
絶対しない挑戦」をする
こと。…

これまでの日常からは考えられないこと、
一般常識や社会通念によれば「In fact 不可能」とされること。…


でも、考えてみて下さい。

「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮んだことのないもの。

神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、
みなそうである。」 (Ⅰコリント2:9)

と新約聖書にあるように、神である主が私たちに求めることは、人間の理解を超えたところにあります。

科学的根拠は?
市場規模は?
損益分岐点は?

などと言ってられない領域にあるわけです。


そんな<The ultimate 不可能>を、
「イエスさまが先例を示してくれたから従ってみよう!」

と、我々にできるかどうか…。

主に『来なさい』
と言われて、一歩踏み出せるかどうか…。

―――――

美しい Mission Statement、
バラ色未来を約束する事業計画、ではない。

人前で迸る敬虔な祈り、
雄弁なるプレゼンテーション、でもない。


愚直なまでに主の御心に従っていく。

その人の生き様が、
その主の弟子としての信仰が、


暗やみの世で光放つのだと思います。
スポンサーサイト
別窓 | 「やればできる」 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<【若者を蔑ろにし続けてきた②】 | キリストの愛を 超多忙なあなたに | 【蔑ろにし続けて】>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
copyright © 2006 キリストの愛を 超多忙なあなたに all rights reserved. powered by FC2ブログ. template by [ALT DESIGN].
/