2006-12-14 Thu 20:00
人によっては、神さまに質問を投げかけるなど「大それた、不遜(ふそん)な」「神を試みることだ」「あなたは一体何者で、神に質問するのか」というかも知れません。 本当にそうでしょうか。神は、私たちの純粋な質問を、拒絶するでしょうか。 そんな事はないでしょう。全能の神が、一人の人間の真摯な質問を、邪険に扱うわけがありません。 神が、聖書にあるような神ならです。神が、私たちが信頼し、愛している神ならです。人がどう言おうと、神はあなたの質問を恐れたり、「何でそんな事を聞くのか」と眉を顰(ひそ)めたりするような方ではありません。 ならば、大胆に聞こうではありませんか。質問を投げかけようではありませんか。 「神よ、いつまでですか」 「いつまで苦しまなければならないのでしょう」 病院のベッドで、余命僅かな老婆が、若い牧師に語りかけました。 「牧師さん。私はこれまで、健康と、家族のために祈り続けてきました。私の通っていた教会のメンバーたちも、毎週熱心に癒しの祈りを捧げてくれています。でも、私の病は一向に改善せず、私の4人の息子たちも、主に立ち返ることを拒んでいます。 現実に、私はもうすぐ死ぬでしょう。私の祈りは聞かれぬまま、私は逝くのです。」 その年若い牧師は、何を言うべきか分かりませんでした。しばらくの沈黙の後、彼は老婆に語りかけました。 「あなたの肉体の死と、あなたの祈りに何の関係があるでしょう。あなたの肉体は死ぬかもしれませんが、あなたの祈りは生き続けます。神が必ず、あなたの祈りをかなえて下さいます。」 その会話の数時間後、彼女は天に召されました。 粛々と執り行われるご葬儀の席で、老婆の4人の息子たちを見かけた牧師が、老婆の生前の祈りを、彼らに伝えました。するとどうでしょう。その日から、その4人の息子たちは再び主イエスに信頼し、神の愛にすがるようになったのです。 今や彼女の魂は天国で、老いや苦痛から解き放たれて、安らかに憩っているでしょう。そして、一度迷い出た彼女の息子たちは、再び主の道に戻りました。彼女の願いは叶ったのです。 たとえ肉体が滅びても、祈りは生き続けます。 神の約束は、必ず成就します。 予言は、現実のものとなります。 祈りは、聞かれます。 ならば、私たちは信仰に固く立って、神の答えを待つべきではないでしょうか。 神の回答は、救いは、遅れることがないのですから。 |
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