新約聖書に、
「5,000人の給食」という有名な箇所があります。
主イエス・キリストが、彼を慕って付いて来た群衆を前に、
5つのパンと2匹の魚という僅かな原資を祝福し、
全ての民に分け与えかつ「食べ飽かしめた」というエピソードです。
その中で心打たれるのは、
この5つのパンと2匹の魚、
という取るに足りない物でも、
主が祝福され用いられた時に、
5,000人(*)以上の人々が食べて、
満足したと言うことです。
つまり、たとえ僅かな存在でも、
主に信頼し差し出された時に。そこに主が働かれ、
大勢の人々の救いと恵みになると言うことです。
そう言う私たちも、日々の生活の中で
自分のことを「取るに足りない存在」と思ってしまっていませんか。
つい自己卑下してしまう。
世の批評に身が縮んでしまう。
そんな僅かな信仰でも、
主に差し出し委ねるとき、たくさんの人々を
「食べ飽かしめ、満足させる」
働きができることを…。どうか、
一緒に信じてみませんか。
(*)5,000人というのは、男 Only の人数です。
女性子どもを含め10,000人以上の方たちが見渡す限り野原に座ってた。
―――――
「その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸に行かれた。
大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。
それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たかったからである。
イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。
さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。
イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。
『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。』
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。
イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。
ピリポはイエスに答えた。
「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリ(約200万円分)のパンでは足りません。」
弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。
しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」
イエスは言われた。『人々をすわらせなさい。』
その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。
また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。
『余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。』
彼らは集めてみた。
すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れと、
人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。」
(ヨハネ6:1~13)
スポンサーサイト