「祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ」(平家物語)
皆さん。暗唱させられましたか。で、覚えてますか?
そうです。平家物語のオープニングです。
栄枯盛衰、世の権勢の空しさを説いたどこか悲しい章節ですね。
ここで明らかなる真理は
「全ては移ろい行く。全ては空しい」ということ…。
平家のみならず、
かのローマ帝国、地中海沿岸全域に加えブリタニア、ダキア(=古代ルーマニア)、メソポタミアなど広大な領域を版図とした超大国でさえ、
現在は幾つかのコロニーの名前と遺跡、石畳の街道、ローマ水道等にその名残を見るばかりです。
実際、人の手による物で変わらないもの、普遍なる物はあるのでしょうか。…

<ダブル初日の出>
人の世の常である変化。
それを超えるものはやはり、
神のみなのです。主はこう招かれています。
『わたしはまことのぶどうの木です』
『わたしにつながっていなさい』 と。(ヨハネ15:1~10)
主はぶどうの木、私たちは枝です。枝が木の幹に向かって、「つながっていなさい」とは言えません。
枝の生死を握るのは枝自身ではなく、幹である主です。
しかし主であるイエスは、私たち人間が枝に過ぎない者であるにもかかわらず、私たちに
『つながっていなさい』 と呼びかけてくださいます。
変化と激動の現代に、変わらないものがある。
時代を超え動かないものにつながって支えられること。その大切さを今、改めて思わされるのです。
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