後藤 秀孝
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【二倍の代価】
2014-01-02 Thu 22:52
ロバキヨさんの話の中で「金持ち父さんの支払った2倍の代価」という節があります。聖書からの知恵にも直結すると感じ、引用してみます。

私たちが子どもの頃からずっと、金持ち父さんは息子のマイクと私に
「何かを手に入れるための代価」
を意識させるように気を配った。(中略)

「良く覚えておくんだ。
安全には支払うべき代価がある。」


私がその代価とは何かと聞くと、金持ち父さんはこう答えた。

「たいていの人にとって、安全の代価は個人としての自由だ」(中略)

「自由よりも安全を求める人は、より多くの税金を払う。
安全で安定した仕事についている人たちが、
仕事を生み出すビジネスを所有している人たちよりも多くの税金を払うのはこのためだ。」

「安全と自由のどちらかを選ばなければいけないんですか?
つまり、どちらか一方しか得られないということなんですか?」
(と私が聞くと、)

金持ち父さんは声を上げて笑った。(中略)
「いいや。(中略)
どちらか一つしか得られないというわけじゃない。
両方持つことだってできる」

「つまり、安全と自由の両方が持てるということですか?」

「そうさ。私は両方持っている。」

「じゃ、なぜ、たいていの人にとって安全の代価が個人の自由だなんて言ったんですか?たいていの人は一つしかもてないというなら、なぜあなたは二つとも持てるんですか?どこが違うんですか?」

「代価だよ」
そう金持ち父さんは答えた。

「これまでいつも君に言ってきたように、どんなものにも値段がある。

たいていの人は、安全に対して支払わなければならない代価は喜んで払うが、
自由に対する代価は払おうとしない」(中略)

「で、父さんはなぜ安全と自由の両方を持っているの?」(中略)マイクがそう聞いた。

「それは私が二倍の代価を払ったからだよ。
私は安全と自由の両方に喜んで支払うつもりがあった。

これは車を二台持つのと同じようなものだ。
トラックとスポーツカー、両方欲しければ私は二台分の代価を払う。
たいていの人は両方ではなくどちらかだけの支払いをしながら暮らす」

(「金持ち父さんの 金持ちになるガイドブック」ロバート・キヨサキ + シャロン・レクター、㈱筑摩書房、2004年)

Risen

―――――

上記要約しますと、

①全てのものには何らかの代価がある
②安全のみに代価を支払う人は、(税金の重みにより個人的、経済的)自由を失う
③安全と自由の両方を得るためには、2倍の代価を支払う必要がある

つまり、コインの片面だけに投資していると裏面で泣く。
他にもe.g.、

仕事に熱中し家族を失う。
化粧ばかりで人格疎か。
学歴にのみ集中し自我の塊化、プライドばかりで就職できない。等。

「コインの両面」…と考えていたとき、聖書のある人物が脳裏に浮かびました。

―――――

使徒パウロは新約聖書内で、

「人が義と認められるのは、
律法の行ないによるのではなく、信仰による
というのが、私たちの考えです。」(ローマ3:28)

「…律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。
(中略)
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:19~28)

と語っています。
上記章節より導かれ易い結論は、

「行ないによらず、
ただ信仰によって」


ということです。つまり
「信仰>行ない」であり、

行ないをあたかも稚拙・低レベルな、
自己義の行為のように貶め、

「自分は信じているから(何もしないでも)救われているんだもん♪」
「それでいいじゃない」と断じてしまっている感があります。
(確かに、見せびらかすための行ないは浅慮で愚かしいもので、主ご自身も「右手左手」と注意されていることです。)

ですが…。実はね。

そう語ったパウロ自身、
その言葉とは裏腹に<行動の人>でした。


彼の言葉を借りれば、

「私の労苦は彼らよりも多く、
牢に入れられたことも多く、
また、むち打たれたことは数えきれず、
死に直面したこともしばしばでした。

ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、

むちで打たれたことが三度、
石で打たれたことが一度、
難船したことが三度あり、
一昼夜、海上を漂ったこともあります。

幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、
同国民から受ける難、異邦人から受ける難、
都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、

労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、
飢え渇き、しばしば食べ物もなく、
寒さに凍え、裸でいたこともありました。

このような外から来ることのほかに、
日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。」(IIコリント11:23~28)

これらの迫害は、彼が行動し、行ない続けたゆえに与えられた難です。

ですがこれらの艱難の中で、ぱ書き続けた書簡の数と内容からも、そのマメな「行ない」が分かるのです。

つまりパウロは「信仰」「信仰」と説きながらも、じつはヤコブなみに「行なう」人だった。と言うことでしょう。


浅慮から「信仰していればOK」という現代クリスチャンに。

私たちの「信仰」が大きければ、
信仰の表現である「行ない」も自然と大きくなる筈。


また、

信仰+行動の代価で、
あなたの祝福は2倍になる。


と伝えたく思います。

全て、主に祈り主に聴きながら歩むべきです。
そして上記の通り、「主に信頼し従う」傾向が強まる程に、

「WWJD?(What would JESUS do?主ならどうすんの?)」

という問いに対する応答、つまり行動が、
信仰の発露として発揮される筈ではないでしょうか。


個人の「安全」と「自由」、

そして「信仰」と「行ない」。

一見関係ない、世ネタと主ネタ。
と思われたかもしれませんが。

二倍の代価、二倍の祝福 という点において、
上記は密接な関係があると後藤は感じました。


ならば、

我らパウロに学んで、
信仰と行ない、
その両方に代価を支払って行こうではありませんか。


さもなければゲームに、漫画に、タバコに酒に、
TVに、異性に、車に、ギャンブルに、犬猫に、
政府に、保険に、銀行に、雇用主に……

あなたの達成すべき 主Vision とは全く無関係のモノに、
私たち代価を支払い続けることとなりますから…
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