後藤 秀孝
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JAPAN
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【パウロの十字架】
2013-11-15 Fri 21:39
パウロと言えば、新約聖書、使徒行伝の中に登場する聖徒であり、
新約の大きな部分を担う「手紙」シリーズの執筆家であります。

彼のユニークな点。それは
「ユダヤ教からキリスト教へ改教した人間」
と言うことでしょう。

しかも改宗前はキリスト教弾圧に熱心で、多くのクリスチャンたちを 迫害投獄処刑へと追いやった人物だったのです。

そのパウロが主イエスに触れられてから、ローマにて殉教するまでの物語…。
神の示しを少しだけ、皆さまと共有したいと思います。





<ガマリエルの弟子>

パウロは自分の「ユダヤ人性」についてこう語っています。

「わたしはユダヤ人で、キリキアのタルソスで生まれましたが、この都市においてガマリエルの足下で教育され、先祖の律法の厳格さに応じた教えを受けており、今日のあなた方すべてと同じように神に対して熱心な者です。」(使徒22:3)

ここで出てくるガマリエルという名を覚えておいて欲しいのです。

何故なら彼は、ユダヤ人によるキリスト教徒弾圧に対して
「クリスチャンたちの活動が、もし神から出たものならば、
彼らを滅ぼすことができないばかりか、我々は神に敵対する者になってしまう」
と訴え、頑迷なユダヤ人たちを説得した方だからです。

ガマリエル師はサンヘドリン(ユダヤ人最高議会)の長でありながらも、極めてリベラルな考えの持ち主だったのかと窺わせる一文です。

コインの両面を冷静に見ることができる。
そんな師についてパウロは学んでいたのです。


<死による改心>

パウロが「新興宗教であるキリスト教」の信徒処刑に賛意を示していた当時。
ステパノの処刑というショッキングな事件がありました。

ギリシャ語を喋るユダヤ人であった(つまり
パウロ同様バイリンガルであり、
知識者層に属する
ステパノ
が、石打ちを受けた末に殉教するのですが…。

その死の瞬間に、パウロはユダヤ教徒にない高潔さを見たのです。

聖書にはこうあります。

“人々は大声で叫びながら耳をふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。

人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、
「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。

それから、ひざまずいて、
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」
と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。”(使徒7:57~60)

死に逝きながらも、敵のために祈れた人…。

その<深い友愛の源泉>は何だ…?

その問いを突き詰めるうち、

パウロは ステパノの死に、イエスの似姿 を見たのだと思います。

散々しょっぴき、
散々牢にぶち込み、
散々処刑したクリスチャンたち…。

全てが全てではないでしょうが、
クリスチャンの中には、ステパノと同様、

共感と赦しに立って殉教した者がいたでしょう。


彼らを、パウロは心に焼き付けていたに違いありません。
ガマリエルの教え、つまり
「神の想いはどうなのか」という問いかけと共に…。

―――――

<consider the following>
上記パウロの改心は、我々日本人の歴史にも重なるのです。

江戸時代、隠れキリシタンたちが捕縛され、
海の沖合いに立つ十字架につけられ、衰弱し、
溺死していく中でも神を賛美し続けた姿を見て。

多くの番兵たち、周辺の住民たちが主イエス・キリストを信じたから…。

―――――


<自分も投獄されまくる>

改教後のパウロは投獄、鞭打ち39、石打…、そんな敵意と迫害に遭う人生へと向かいます。
しかもそれは、これまで兄弟友人として付き合ってきたユダヤ人達からの仕打ちでした。(IIコリント11:23~参照)

シラスと一緒に投獄された時、賛美をしながらもパウロは何を想ったでしょう。

牢の中で鎖に繋がれた彼は、
いつしか自分の過去の罪と、
激しく向き合わざるを得なかったのではないでしょうか。

つまりパウロが

唾を吐きかけ、
蹴り飛ばして連行し、
投獄し処刑にまで追い込んだ

キリスト教徒たちに対する自責の念に…。

「彼らをあのように扱ったから、今のこの絶望があるのではないか」
「彼らの死の償い、その因果の報いを今受けているのではないか…」

パウロが人間であれば。
必ずそんな想いに辿りついてしまう…。

その上で「死ぬべき自分」を強く意識した筈です。
多くを殺してきた者として…。



でもイエスは、こう言ってパウロに未来を託しました。

『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』
(使徒22:21)
『パウロよ、恐れるな。
あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない』
(使徒27:24)

…と。

パウロは自殺的衝動を噛み殺しながら、
主のこのことばを拠り所にして生きたのだと思います。

―――――

<consider the following>
ちなみに、ここで一考ですが「カイザルの前に立つ」とは一体どういうことか。
現代版で考えてみると、「アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマの前に立つ」ことと同義でしょうか?

いいえ。あなたは甘い。Too sweet.
恐らく、控えめに見ても「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日の前に立つ」レベルです。

つまり 「生殺与奪を欲しいままにする独裁者の前に、囚人として立つこと」 と同意です。
何故なら当時のカイザル(ローマ皇帝)は残虐非道の暴君、ネロだったからです。(在位期間AD54~68年…)

パウロはAD60年頃、ローマで処刑された様です。
しかしその記録は、医師ルカの記述魔的性癖をもってしても。

書き残せなかったのです。

―――――


広く遠く伝道を続けながら、迫害され続けながら…。

パウロは、「ひょっとして死ぬかも」
「今度こそ終わりだ」という場面に数多く直面してきました。

そのたびに、
「仕方がないか」「今度こそは…」と、

自分の死による償い

に思い寄せて生きていたのではないでしょうか。

重い自責の念。
主は赦してくれている、それは分かっているけど…。

聖徒の血で汚れた自分の手を持て余して。

「死んで行った彼らの分も、
自分が伝道しなければ…」


だからこそ、我が身を省みずに主の道を伝え続けたのかも知れません。

使徒パウロ。
イエス12弟子の最後の一人。

痩せたパウロの背中を思うたびに、
私にはその
言いようのない悲しみと孤独が感じられるのです。


「私にとっては、
生きることはキリスト、
死ぬこともまた益です。」
(ピリピ1:21)

パウロ伝道行
<使徒パウロの伝道>

―――――

もし、生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです…。(ローマ14:8)

…彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Ⅱコリント11:23~27)


…彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。
ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、
使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。(使徒5:33~42)
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この記事のコメント
#642
パウロのような人生もあり、ヨハネのような人生もあり…ですね。

流石イエス様御自身が直接選んだだけのことはありますよね。
小生の中途半端さとはくらべものにならない…

小生にも 炎の舌 が舞い降りてきて欲しいです。

2013-11-15 Fri 23:37 | URL | 青井涎掛 #-[ 内容変更] | top↑
(きてます、きてます…。)
―――――

自分の不足を認める者に対して、主は

『心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。』

と言います。

俺もです。幸いなのです。

後藤 秀孝 拝
2013-11-17 Sun 08:52 | URL | 後藤 秀孝 #-[ 内容変更] | top↑
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