後藤 秀孝
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JAPAN
神さまが私たちを創造した
2006-12-09 Sat 20:20
1. 神さまが私たちを創造した目的;
神さまは、私たちを愛しています。そして、私たちに大いなる平安と、豊かで永遠なるいのちに到って欲しいと望んでおられるのです。

それは、聖書にもこうある通りです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネ3:16)。」
「…わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです(ヨハネ10:10)。」

しかし、なぜ私たちの多くは、この神さまが与えようとして下さっている平安と、豊かないのちを手に入れることができないのでしょうか…。

2. 大きく、深い溝
それは、神さまと私たちとの間にできた、大きな溝が原因なのです。
神さまが私たちに、意志の力と、人生の選択肢を与えて下さったことは、以前のブログでもお話しました。神さまに従って正しく生きることもできれば、逆らって我が道を行くこともできるのです。
アダムとイブは、我が道を行くことを(騙されて)選びました。私たちの多くも、今日現在、正しいこと、なすべきことを後回しにして、自分たちの好きなこと、楽しいことをしています。神の道から離れて、「今が良ければ、まぁいっか」と、自分でも「悪い」とか、「時間の無駄」と分かっているようなことでも、止められなかったりします。それが結果として、神さまとの間の溝となり、私たちが平安といのちから遠ざけられている原因なのです。

「この地上には、善を行ない、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから(伝道者7:20)。」
「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ(イザヤ59:1~2)。」
聖書にある通りです。

3. その溝を越えるために
私たち人間は、何とかしてこの「広くて深い溝」を埋めて、神さまの計画して下さっている魂の平安と、永遠のいのちへ辿り着こうとしてきました。他の宗教も、祈りも、葬儀も、魂がどうにかして神さまの御許に行きつけるように、私たちの儚(はかな)い望みをかけて行われるものです。

私たちの望みは、聞かれているのでしょうか…前田慶次(かぶき者)の言う通り、「死んだらただのくそ袋」である肉体を持った私たちが、その「死」を超えて、永遠のいのちに到るには、どんなコストを支払わねばならないのでしょう…。どれだけ善行を積み、どれだけ人助けをし、どれだけ徳を高め、どれだけ寄付をし…。

しかし約2000年前に、私たちの主、イエスキリストは、十字架の上で私たちの罪を贖うため死なれ、墓所に葬られました。それは、その身体に刻まれた打ち傷と、流された血によって、神の前に私たちの罪を帳消しにするためでした。

「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです(Iテモテ2:5)。」

神さまは、その一人子のいのちという代償を持ってさえ、私たちとの関係を取り戻そうとして下さったのです。
キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、<中略>私たちを神のみもとに導くためでした(Iペテロ3:18)。」
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます(ローマ5:8)。」とある通りです。

4. 私たちの選択
既に、キリストの苦しみと死によって支払われている、私たちの保釈金。この世の価値観とか、柵(しがらみ)とか、常識とか、そんな鎖に縛られ囚人となっている私たちが、自由を取り戻すには、ただその保釈金の受け取りにサインをすることです。

それは、自分のいのちを捨ててまで、私たちを信じて、愛してくださった主イエスに、「ありがとうございます。私の為に死んでくれて。あなたが私のことを思って、自分のいのちさえ差し出してくれたのだから、今度は私が、あなたの為に生きようと思います」と伝えることです。
『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする(黙示3:20)。』とあるように、キリストは忍耐強く、あなたのことを待っていて下さっていますよ。

そして、あなたが主の声を聞き、戸をあけるなら。これまで自分中心だったこの世界に、救い主であるキリストが入り、あなたがいつ、どこに行こうと、何をしようと、そばに一緒にいて支えて下さいます。あなたの為に道を切り開き、敵の城壁を降し、暗やみを照らし、嵐を鎮めてくださいます。
「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない(申命31:7~8)。」
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏せさせ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう(詩篇23:1~6)。」

あなたは、主イエスキリストをあなた自身の救い主、そして親友と認め、大いなる平安と、永遠のいのちへの道を、選んだでしょうか…?

あなたが、困難の中にも微笑を、貧困の中にも豊かさを、敵意の中にも友愛を見出せるように、主イエスがあなたを導いてくださいますように。お祈りしています。

アーメン。
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