後藤 秀孝
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【忍び・偲ぶ】
2013-07-26 Fri 17:11
長崎の歴史探訪番組で、永きに渡る「キリシタン暗黒時代(1612-1873)」の話をしていた。

当時、キリスト者への弾圧は継続しており、月に一度は自治体を挙げての絵踏みが開かれていたと言う。
住民から少しでも怪しまれれば、密告、弾圧への契機と成りかねないのだから、日々の生き方からしてまさに「命がけ」であった。…

そんな時代、隠れキリシタンたちはどう対処したのか。
生き証人の孫に当たるご夫人は、先祖の苦労を遠い目でこう語った。



「クリスチャンだと疑われないように、
先祖たちは敢えて寺院の清掃や檀家のとりまとめなど、
進んで行なっていたそうです」

「絵踏みも、心の中で主に深く謝罪しながら、
涙しながら、平静を装って従っていたと言います」


その言葉を噛み締めながら、考えさせられた。


遠藤周作の「沈黙」にも同様の描写があるが、

人間は弱い。
弱いからこそ、表面的には世に迎合するような姿勢を取らねばならぬこともある。

しかしその弱い人間だからこそ、
主が地上に来られて限りない友愛を示された。
とも言える。

その時代、「バカ野郎!俺はクリスチャンだ!」と叫んだ人間は、
皆処刑されるか、洗脳キャンプ(「沈黙」参照)に送られた。
そこでは拷問、誘惑、家族同胞を殺害するとの脅しなど、あらゆる方法で改宗を迫られたのだ。

―――――

当時を知らず、禁教を知らず。
安全で、信仰の自由が有り余っている我々が、
信仰の先輩たちに対して一体何を言えるだろうか。

新約の中には信徒が「俺はクリスチャンだ!」と叫んで殉ずることを、主が望んでいるような表記も確かに認められる。そして殉死を選ぶことのほうが、信仰で勝るかのような捉え方も根強いだろう。

だが同時に、
耐え忍んで主を偲び続ける。

そして次の世代、また次の世代へと、その想いを引き継いでいくことも、
主は喜ばれるような気がする。


そこに主のパラドックスを見るのだ。

神は愛なり。

そして愛は同時に、
忍耐であると思わされるのだ。




正解は、主よ、
またあとで教えて下さい。
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