後藤 秀孝
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JAPAN
【罪人の一人として】
2013-06-06 Thu 20:34
「…彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。」
(イザヤ53:12)

罪深き者。
恥ずべき者。
否定される捻くれ者…。

世から裁かれ差別され、
分断され迫害されている罪人の群れ…。


俺たちは自分の選択で、ああそうさ、
自分たちで知っていて、また知らずして、選んできた。
選んで、落ち込んだんだ。この抜け出せない罠に…。


だがあなたは、

我々心貧しき者に寄り添うため、
我々愛せぬ者を愛するため、

ただそれだけのために。

地に降り、罪人の一人として数えられた。


全て、我々と痛みを伴い、
我々の心の闇、
深淵に至る孤独の網の中まで伴って、
歩んでくださるためだった。

『わたしがいるよ』
と、細く弱々しくなった我らの肩に、
手を置いて励ましてくださるためだった…。


あなたと共にあるこの確信を、どう表現しよう。
あなたの愛に値する賛美を、どう歌おう。
あなたへの感謝を、どう捧げよう。


『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。』(イザヤ41:10)

―――――

<苦難の僕(しもべ)の歌>

「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕は、だれに現われたのか。

彼は主の前に若枝のように芽生え、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。


彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。


しかし、彼を砕いて、痛めることは
主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。」(イザヤ53:1~12)

*上記記載のある(第二)イザヤ書は、主イエス・キリストが生まれる約560年前、バビロン捕囚で諸国に散らされたユダヤ人たちが、バビロニア帝国の凋落によって解放を期待していた時期に記された箇所と考えられています。
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