私は妻を憎む (酷いオープニングである。)
その「憎しみ」について分析してみた。
なぜ憎むのか、
その核、その源泉は何なのか。
その行程で三つ、辛うじて言語化できたことがある。
①過去:「憎しみ」が発芽した出来事があり、痛みの記憶はその場所に今も縛り付けられている。
②現在:「憎しみ」の名を借りて、楽できることがある。
③未来:「憎しみ」の過去を将来に投影すれば、絶望しか見えない。
①過去の残留思念:「憎しみ」が発芽した場所は、未だに明確に視覚化できる。
一つは台湾の一夜、義母のアパートの最上階で。フローリングに直に横になり、天井を凝視し離婚を決意した自分がいた。
もう一つは新婚旅行中に家出し、一夜をすごしたスペインのネットカフェだ(危うくスリに遭うところだった…)。
ミシシッピの安アパートに、当時同棲を始めたばかりの妻が男友達を呼んで、夜中までシツコク粘りやがったあの苦々しい記憶も、
バラクシのカジノで過ごした休暇中、喧嘩して「勝手に帰りやがれ」と投げ出した時も…。
その場・その場に、後藤の記憶が、後藤の霊が、思念が…。
残っているかのようだ。
思い出すたびに、それらの思念は俺のほうを向いて言う。
「もう無理だ」と。
②現在の快楽:「憎しみ」を抱いている最中に、正気を保って建設的な事業に携わることは中々できない。
どうしても自暴自棄的な、自己破壊的な行為に走ってしまう。後藤にとっては下らない時間つぶしや、酒や、ポルノや、漫画その他だ。家族に会う時間、電話する時間さえ取れない、いや取ろうと思いつかない。「憎しみ」に支配され空転する日々を、ただ漫然と過ごしている。
恐らく、
それが楽だから。憎んでさえいれば、
自己憐憫に浸ってさえすれば、
全ての放蕩は正当化される。んじゃないか?
だから優先順位もへったくれもない、
下らないこと、人生に何の貢献もしないことを続けていられる。
楽だ楽だ。
…それが憎しみ続ける動機の一部なのか?
③将来の絶望:これまで、家族で何かしようとするたびに頓挫してきた。若年困窮者支援、また里親などはその最たるものだ。
言うまでもない、
私たちの不仲が原因だ。
ベクトルが違う。向いている方向が違う。だから動こうとする度に必ず躓く。
だからこう言っている。
「俺は全部自分でやる、お前(妻)は関わるな。」
「お前がやりたいことがあるなら勝手にやれ。俺を巻き込むな」と。
大体、サンプルである後藤にさえ向き合えないのであれば、
心的外傷を抱えたり性格的な困難があったりする方たちに一体、何をどう対応できるというのか。
好き嫌いで裁き、
何かにつけて(俺に)文句をいい、
感情を爆発させて更に傷を深めるだけだろう。
こうした過去を将来に投影すれば、あらまぁ!
どれだけ口では「改善する」と言おうと、
「お前にゃ無理だろ常考…」と結論付けざるを得ない。
うん、やめた方がいい。
―――――
これまで人間の意識について考えてきた。
「憎しみ」とは論理脳(表層意識)の下にある、
感情脳(潜在/深層意識、暗黙知)に根ざしている。
「憎しみ」を抱き続ければ、深層意識にさらに刻み込まれていく。
赦せない、現状打破できない無力感のために、自己嫌悪も深まる。
今日問題になっている、
自律神経失調や抑うつ状態、さまざまな精神障害などは、
我々が深層心理に何を溜め込んだかに拠るのではないか。
主からも再三「赦しなさい(マタイ5:44~)」と言われている。頭では大変よく分かる。
「別れる」ことがどれほどのロスか、どれほどの無駄かも分かる。
「罰壱」が社会的にどれほど恥ずかしいことなのかも分かる。
大の大人が、と言われることも承知だ。
だがそれでも、言語化できない情動が言うのだ。
「俺にはこれ以上無理だ」。妻が何かする度、その真意を疑ってしまう自分がいる。
「自分のライフスタイルの保存しか考えてないんだろ」
「対外的に聞こえの良い<日本人の妻>という立場を守りたいだけ」
「老後から死まで安楽していられるソファを、使役できる奴隷を手放したくないだけだろう?」
そんな醒めた視線で見ると、どれほど「愛している」と言われても信じられない。
感情が完全に拒否している。
「なんとなく」としか言いようがないが、信じられない。
全身全霊を持って「なんとなく」。こいつとは絶対に相容れない。
そんな妻すら赦せない、ちっぽけな自分が嫌いだ。
この場所で縛られて、ただ足踏みし、時間を殺し、人生を空転させている自分が嫌いだ。
「俺にはもっとさまざまな貢献ができるんだ」
「でもチームが破綻した状態で、足を引っ張られているだけだ」
と言い訳する自分も大嫌いだ。
だから早く抜け出してしまいたい。
家族関係をやり直せるなら、やり直したほうが早い。
ただ「赦す」と後藤が言うだけだから。…
だが同時に、「もうこの関係を修繕するには手遅れだ」とも思う。
双方、相手に対してやりたい放題やったのだ。
赦せるわけがない。
少なくとも俺は赦せない。
それを相手に投影すると「妻も赦せるわけがない」。
口では何と言おうと、深層心理で未だに傷が疼くのだ。
その痛みを無視することも、蓋をすることも、放置することも俺には最早できない。
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