後藤 秀孝
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JAPAN
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【渇き】
2013-05-09 Thu 13:09
職務上の必要からここのところしばらく土・日曜に働き、教会のSunday Service に出席できていない。

すると親切な教会員の方、また牧師先生から
「渇くね…」と配慮頂く事がある。

渇く。

その渇きは、アモス書にある通り。

『見よ。その日が来る。
―――神である主の御告げ。―――
その日、わたしは、この地にききんを送る。
パンのききんではない。
水に渇くのでもない。

実に、主のことばを聞くことのききんである。』(アモス8:11)



確かに渇いているのだろう。飢えているのだろう。


だが一つ、私が幸いなのは、
細くてか弱いが、主の水源につながっている湧き水を、
自分の立っている場所に既に見出していたことだ。


渇くほどに、私は地面を掘る。

にじみ出る水を逃さぬよう、こぼさぬように心に留めながら、掘り続ける。

するといつしか、

これまで言語化されずに来た、神さまからの証し
無意識に何となく感じていた、神さまの恵み

の水源を掘り当て、また
元からあったものをうまく掬えるようになり、


暗黙知の領域、つまり潜在意識とか無意識と呼ばれる、

神の霊につながり、
神に包まれている領域、
神が直接触れてくれる領域

にまで、少しずつ辿り着いている。

そこで神に出会うと、これまで感じたことのない他人の想いや痛みにさえ、涙がこぼれてくる。


不惑になった男が、電車の中で祈り、涙することを目にしたら、こう思って差し支えない。

神が今、彼に触れてくださっている。
神が今、彼の祈りに共鳴してくださっている。


神が共にいてくださる。

渇くほどに、
孤立無援の状況に追い込まれるほどに、その実感と喜びは大きい。


飢え渇いた霊で捜し求め、
経験的に与えられた神のことばは大きい。


立て板に水の営業プレゼンを聞くような、
①から③まで Bullet Point 論理的に与えられるメッセージ、
他人事として思考停止してしまう説教よりも、

私にとって
神が直接語ってくださる諭しは、
はるかに重く、はるかに大きい。



渇きを深く自覚する、私たち小さき者にさえ、

日々生ける水と食事を与え、
手を取り導いてくださる愛なる神に。


主イエスキリストの御名を通して、
感謝して祈ります。
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