後藤 秀孝
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JAPAN
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【受け取る 慣れ】
2013-05-09 Thu 11:50
金持ち父さんにこんな件がある。

「賃金を上げてくれなければやめるつもりなんだそうだね」回転式の椅子に座ったままくるりと身体の向きを変えながら金持ち父さんが言った。

「だって、あなたは約束を守っていないじゃないですか」私は半分泣きそうになりながら大声で言った。9歳の子どもにとって、大人とこんな風に対決するのは本当に恐ろしいことだった。

「あなたのために働いたら教えてくれると言ったじゃないですか。
僕は働きましたよ。一生懸命ね。野球の試合もあきらめたんですよ。それなのに、あなたは約束を守っていない。何も教えてくれていないじゃないですか。
町のみんなが言っているように、あなたはやっぱりペテン師なんだ。欲張りで、お金は全部自分のもの。あなたのために働いている人のことなんかちっとも考えていないんだ。
今日だって僕のことを待たせるだけ待たせて、あやまろうともしない。
いくらぼくが子どもだからといって、こんなのひどすぎます」

金持ち父さんは椅子の背もたれにぐっと寄りかかった。両手をあごの下に当て、私のほうをじっと見つめる。まるで私の力量を測っているとでも言うようだった。

「悪くない。一ヶ月も経っていないのに、きみはうちで雇っている人間の大部分と同じような物の言い方をするようになった」



「何ですって?」私はその言葉の意味が分からずにたずねた。それから、また文句を言い出した。
「あなたが約束を守って色々教えてくれるもんだと思っていたんです。それなのに、あなたはぼくをいじめるばかりだ。ひどいですよ。本当にひどい」

「ちゃんと教えているよ」金持ち父さんは静かにそう言った。

「何を教えてくれたって言うんです?何にもないじゃないですか!」私は怒っていた。
「ほんのわずかな賃金であなたのために働くってぼくが約束してから、一度だってぼくと話していないじゃないですか。時給10セントですよ。ひどすぎます!本当なら、あなたのことを政府に知らせなきゃいけないところですよ。子どもの労働を規制する法律って言うのがあるんですよ。それくらいご存知でしょう?それに、うちのパパは政府で働いているんですよ……」

「これはこれは!今度はきみは前にうちで働いていた人間の大部分と同じような物の言い方をするようになった。私が首にするか、自分からやめるかして、今はもうここでは働いていない人たちのことだがね」

「で、どう言い訳するつもりですか?」子どもにしてはかなり大胆になっているのが自分でも分かった。
「あなたは嘘をついた。ぼくはあなたのために働いたのに、あなたは約束を守らなかった。何もぼくに教えてくれなかった」

「私が何も教えいていないと、どうしてきみにわかるんだい?」金持ち父さんは静かな声でそう聞いた。

「だって、あなたはぼくと一度も話しをしていないじゃないですか。ぼくは三週間働いたと言うのに、あなたは何も教えてくれていない」私は口を尖らせて言った。

「教えるっていうのは話をしたり、授業をしたりすることなのかい?」

「ええ、そうだと思いますけど」

「それは学校で教えるやり方だ」金持ち父さんは笑みを浮かべながら言った。
「でも人生はそんな風な教え方はしない。だけど、人生が誰よりも優れた先生だってことは確かなのさ。大抵の場合、人生は君に話しかけてきたりしない。きみのことをつついて、あちこち連れまわすだけだ。
人生はそうやって君をつつくたびにこう言っているんだ。『ほら、目を覚ませよ!君に学んでもらいたいことがあるんだよ』ってね」

「この人は一体何の話をしているのだろう?」私は心の中でそう思った。人生がぼくをつつきまわすのは、人生がぼくに話しかけているって一体何のこと?この仕事は絶対やめなくちゃ。ぼくが今話をしてる相手は、頭が少しおかしいんだ!

「もし人生から教訓を学ぶことができれば、君は成功する。もし学べなければ、人生につつきまわされるばかりだ。
人間には二種類ある。一つは人生につつきまわされても、ただそのままにしておく人たち。
もう一つは、怒ってつつき返す人だ。でも多くの人は、つつき返すときに相手を間違える。上司や仕事そのもの、あるいはだんなさんや奥さんに向かってつつき返すんだ。みんな人生が自分をつついているとは知らないからなんだな」

(中略)

「もし君が人生からこの教えを学ばなければ、賃金が安いとか、上司が嫌だとか仕事に文句を言い続けて一生を終えることになるだろう。
お金の悩みを全て解決してくれるような何かでかいことが起こらないかと、一生夢だけを持ち続けるんだ。(中略)
そして、一生安全な橋だけを渡り続け、まともなことだけをやり、決して起こることのない人生の一大イベントのために一生エネルギーをたくわえ続けるんだ。
そして、最後は退屈しきった老人として死ぬ。
とても働き者で気のいい君にはたくさんの友達ができるだろう。だが、実際君がやったことと言えば、人生につつきまわされ、されるがままになっていただけだ。
心の奥底で、君は危険を冒すことを恐れていた。本当は勝ちたかったのに、負けるのが恐くて勝利の感激を味わおうとしなかった。そして、自分がそうしなかったことを君は知っている。君だけが、心の奥底でそのことを知っている。君は安全なこと以外はしない道を選んだんだ」(中略)

「きみが金儲けの方法を知りたいといっているとマイクから聞いたとき、私は実際の人生にとても近いカリキュラムを作ってやろうと決めたんだ。
のどがからからになるまで君に向かってしゃべり続けることもできたけれど、そんなことをしても君には何も分からなかっただろう。だから、私は人生に君をつつかせることにしたんだ。
そうすれば、きっと君は私の話に耳を貸すからね。君に10セントしか払わなかったのはそのためだよ」

「時給たったの10セントで働いたことからぼくは何を学んだんですか?
あなたがけちで、労働者から搾取しているってことですか?」

金持ち父さんは椅子の背もたれに寄りかかって、本当に愉快そうに笑った。それから、やっと笑うのをやめるとこう言った。
「君は物の見方を変えなくちゃだめだよ。
つまり問題なのは私だといって
私を責めるのをやめるんだ。
私が問題なんだと思っていたら、私を変えなければそれは解決しない。
もし、自分自身が問題なんだと気付けば、自分のことなら変えられるし、何かを学んでより賢くなることもできる。
大抵の人が自分以外の人間を変えたいと思う。
でも、よく覚えておくんだ。他の誰を変えることより、自分自身を変えることのほうがずっと簡単なんだ。」

「よくわからないんですけど……」

「君が抱えている問題を
私のせいにするなということだ」
金持ち父さんは少ししびれを切らしたような口調で言った。

「でも、あなたは10セントしか払ってくれなかった」

「そうだよ。で、君は何を学んだ?」

「あなたがけちだってことです」私はちょっといじわるそうな笑いを浮かべて答えた。

「ほら、もう私が問題なんだって考えている」

「でも、そうなんですから」

「そういう考え方をしているうちは何も学ぶことはできないよ。もし、私が問題だっていう考え方をするとしたら、きみにはどんな選択の道があるんだい?」

「ええと……もし給料を上げてくれなくて、ぼくのことをもっとまともに扱ってもくれず、お金儲けの方法を教えてもくれないんなら、仕事をやめます」

「そうだね。たいていの人はいま君が言ったとおりのことをする。
仕事をやめて新しい仕事をさがす。もっと昇進の見込みがあって給料も高い仕事をね。
で、新しい仕事が見つかって給料が上がれば問題が解決すると思っている。
でも、たいていはそうならないんだ」
(「金持ち父さん、貧乏父さん」ロバート キヨサキ著、pg50~56)

―――――

全日本 従業員の皆さん。お疲れさまです。
おはようから~おやすみまで、勤労感謝します。


上記引用に、少しでも心当たりのある方。
あなたは幸いです。

同じような不満感、不公平感…。
それは人生があなたを十分に鍛えている証拠だからです。


私たち、本当に言いがちです。
「経営者は従業員の便宜をもっと図るべきだ」
「労働条件や福利厚生を改善すべきだ」
「従業員の人生に配慮し、もっと保護すべきだ」…

でもね…。
資本主義(を標榜する)社会で生きている我々はある“前提”について、致命的な誤解を解いておかねばなりません。

その“前提”とは:
経営者(=資本家)と従業員は対等な関係であり、
経営者は従業員の生活に責任を持つべきだ。という考え(=誤解)です。


まず事実を述べます。

兌換経済、拝金主義/資本主義経済の中では、

資本家は利益を最大化する。
(それが従業員たちの犠牲の上であろうとも)

もし従業員が不満を抱え、労働組合など組織化して対抗しようとしても、
「まあ、会社が潰れたら元も子もないよね」
「じゃああなたの給料上げるために、誰の首を切ろうか」
「海外の研修生を代わりに雇います」と言われてお仕舞いです。

経営者の良心が問題なのではない。

従業員として、与えられることに慣れ切ってしまい、
資本主義社会に生きている、その前提を多くの方が見誤っていることが問題なのです。

―――――

聖書を読んでいても、そんな「他人のせいで俺の人生メチャクチャだ」的例話にぶつかります。2000年前も今も、あまり人間変わっていないな。そう実感させられる件です。


“その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。

(異本)彼らは水の動くのを待っていた。
(異本)主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でもいやされたからである。

そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』
病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」

イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい。』
すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」
しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」

彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』と言った人はだれだ。」
しかし、いやされた人は、それがだれであるか知らなかった。人が大ぜいそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。

その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。『見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないもっと悪い事があなたの身に起こるから。』

その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。
このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。”(ヨハネ5:1~16)

上記、注意して見て下さい。

イエスさまの『よくなりたいか。』

という問いに対して、老人は

「はい、よくなりたいです」「癒してください」とは応えなかったのです。

「他の人が誰も手伝ってくれないから、いつまで経っても俺は癒されず、乞食のままなんだ(俺のせいじゃない)」と自己弁護したのです。

そして癒された後も、彼はわざわざユダヤ人指導者たちに弁明に行っています。

「イエスがこう言ったから、俺は律法を破らざるを得なかったんだ(俺のせいじゃない)」と。……

―――――

上記金持ち父さんのエピソードもあり、聖書引用もありますが、もはや明白でしょう。

「○○が~~してくれないから、悪い」
「○○が~~と言ったから、やってしまった」

全て誰か別の人間の責任で、
私は被害者である。


私たちの無力感と絶望の根には、そんな考えがあるのではないでしょうか。

他の誰かが、雇用主が、政府が、世界が……
良くなるべきだ。何とかしてくれるべきだ。


そんな幻想に、今こそ“No More”と言いましょう。
「受け取る慣れ」を超えて、
自分から行動し、
人生の責任を負い、
自分から与えましょう。


「受け取る慣れ」
「自分から進んで行動する/与える慣れ」
に換えることは、実は簡単なのです。

なぜなら、
イエス・キリストという究極のお手本が、
私たちにはあるからです。
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