後藤 秀孝
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JAPAN
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【死は 勝利にのまれた】
2013-03-03 Sun 21:39
私はパウロの「(主イエス・キリストが)最後の敵である死も滅ぼされます」(Iコリント 15:26)という章節が好きです。

そんな「死」に対して、現代社会の歪みを覚えます。つまり

「一体いつから、私たちの日常より
「死」が除外されたのか?」


ということです。

今日の私たちにとって「死」とは、

A. 不慮の事故で起きるもの
B. 病院で起きるもの


そんな見方がいつの間に根付いてしまったのでしょう…。



我々は「老」を憎み、「死」を恐れます。

①死後の世界用にミイラになってみる(脳とか内臓は全廃棄)、
②蓬莱国に不老不死を求める、
③アンチエイジング化粧品でいつまでも肌・20代、

みな同じです。現代に至るまで人間は、老死から顔を背け、直視せずに済むように努めて来ました。

こうして彼らから目を背け続けた結果、我々大多数にとって「死」とは、突然襲い来る

「意識外からの一撃」となり…。
我々の日常生活を引っくり返し、
嘆き悲しみ後悔のどん底へと陥れ、
そして私たちを静かな時間の中に一人ぼっちにします。


国内の医療崩壊に正面から取り組む小松秀樹Dr.(虎ノ門病院泌尿器科部長)は、現代日本の死生観の歪みを危惧してこう語っています。

「(いくら死を否定しても)死は厳然と存在する。あってはならない死は恐怖の対象となり、冷静に受け入れられることがない。市は、現世のすべてを無にすると言う意味で人間を平等にする。死ほど人間の平等を明確に示すものはない。死を受け入れることで、個人の欲望の空しさが実感でき、行動が律せられる。死を受容しないと、死への恐怖と飽くなき欲望が人間の行動を醜くする。恐怖と欲望がひしめき合い争いが絶えない。死を受容する思想がなくなれば、日本人の将来が危うくなる。」(医療崩壊―――「立ち去り方サボタージュ」とは何か P248より)

「誰にも避けられない死を、意識のかなたに追いやらずに、正面から認識する必要がある。生老病死が人生に不可避のものであることを常に意識する必要がある。死の覚悟は個人の現世の欲望の空しさを教え、人間を成熟させる。大人の死生観を持つことは、きわめて重要だが、宗教が絡んでくるので、学校教育で可能と思えない。長期的対策について、私はよいアイディアを持たない。」(同 P262より)

小松Dr.も認めるとおり、世は死に向き合う際の明確な指針も方法論も持ちません。
キリストにある信仰のみが、やはり死を超える唯一の希望となるのです。

その信仰とは、
「主は愛なる方、恵み深い方」であり、
「信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ」ことを望まれている神が、
「他人に言えない穢れや罪を認め、自発的に悔い改めを求める」私たちを愛して、赦してくださることを、

頭で分かるのではない。
心で信じて、魂で信じて、霊で信じる信仰です。


主にある強力な信仰を与えられた時、私たちは「死」を再定義します。

つまり、
ほぼ100%「地獄へ堕ちる」ことを意味する「死」を、
「天国への凱旋」と取り替えることができるのです。

ただただ、御子の名を信ずれば。
天においても地においても、救われるのです。


「死」を超える価値観を提供できるのが、キリストにある信仰だけならば。
もっと関心を持って、皆さまにも知って欲しいのです。
自分で進んで調べて欲しいのです。その是 or 否を…。

メディアに植えつけられた偏見や、安易な食わず嫌いで、

主にある信仰の温かさ、
そして空しい現世に立ち向かう強さを、


みすみす捨て去らないで欲しいと願うのです。

「死よ。お前の勝利はどこにあるのか。
死よ。お前のとげはどこにあるのか。」
(Iコリント15:55)
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