後藤 秀孝
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JAPAN
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作者もインドで考えた
2006-11-30 Thu 20:00
あれは1992年の3月。19歳の最後の春、私はインドのカルカッタに降り立ちました。初めての海外、バックパッカー(貧乏旅行バンザイ)としてのデビュー戦です。そこで突きつけられた課題が、今の私の人生を決定付けました。

当時カルカッタの街路には、路上生活者がたくさんいました。ストリートチルドレンに至っては、それこそ即興で「子供神輿」が担げるくらいの数が「バクシーシ(お恵みを)」と言って外国人に殺到してくるわけです。そこで私の目を捉えたのは、両足が膝から無く、車輪つきの板に座って、木のパドルで巧みに「駆け寄って」来た子供でした。当時はこうした、四肢の一部を失った子供に、よく出会いました。
地元の人に理由を聞くと「より多くの施しを得られるよう、両親が新生児の足を切るんだよ」と言うことでした。私たちの価値観で考えれば、「なんて残酷な」「人間じゃない」と思います。しかし、当時のインド社会では、公然としてカースト制度による差別があり、路上生活者(ハリジャン)に生まれたら一生路上生活者として、社会的地位向上が望めない状況でした。親としても「ならば子供のために」と考え抜いて、愛するわが子の足を切るのでしょう。

私としては、今現在もその親の決断が、正しいのか誤っているのか、分からずにいます。「足を切るのは間違ってるよ」「そんな事しちゃいけない」と自分の観念を押し付けるのは簡単ですが、もっといい代替案を提供することができないのです。
そしてそれよりもっと分からないのは、この「生まれ」がもたらす差、不平等です。
日本に生まれた私たちには、安全な飲み水も食べ物も、貯金も教育もあり、家も車も持つことができます。日に決まった回数の食事を楽しみ、テロや狙撃兵に怯える事も無く、住民票も投票権もあり、子どもに教育を受けさせることができます。ただ「現代」の「日本」に生まれてきただけで、安全で、平和で、物質的に満ち足りています。

それでも文句を言うのが人間ですが、世界中にいる兄弟姉妹たちと比べて、比較にならないくらい恵まれていると言うことに、気付かなければなりません。この恵みはただひとえに、主が下さった物です。そして、このような神からの「特権」、「自由」、「健康」、そして「愛」を、ただ独り占めして、儚んで生きることも可能です。

しかし、その「特権」は「責任」と共に与えられている物だと私は考えます。与えられている特権の素晴らしさに気付くのなら、その責任に於いても、私たちは自分のできるベストを尽くすべきではないでしょうか。それはつまり、主イエスが言ったように「隣人を愛せ」ということです。

日々の生活の中で、できる支援の形はたくさんあります。例えば、古本を寄贈することで発展途上国に学校を建てるとか、子どもたちが予防接種を受けられるよう、寄付をするとか…。マザーテレサが言うように、「私たち全員が、大きな事業を成し遂げられるわけではありません。しかし、小さなことを大きな愛を持って行なうことはできるのです。」

どんな事でもいいんです。あなたの他人をいたわる気持ちと、愛から出たことなら。始めましょう。今日と言う日は、何かを始めるには絶好の日ですから。
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