後藤 秀孝
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JAPAN
【信仰者の祈り】
2013-02-26 Tue 21:18
聖書に以下の記述があります。私の信仰を励ましてくれた、大きな章節です。

“ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。

すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。
この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。

ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。
男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。

すると、ペテロは、
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
と言って、彼の右手を取って立たせた。

するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。

人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。”(使徒3:1~10)

私が刮目したのは、
「男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ」というくだりです。



ここで注釈*ですが、

主イエス・キリストにある癒しには、ある特徴があります。
「癒しを受ける人間が、
<癒されるに足る信仰>を持っている」

ということです。

つまり、「イエスさまにすがれば直る」と信じきった人々を、イエスさんは
『あなたの信仰のとおりになれ!』
と癒しまくりました。(例、マタイ8:13、マルコ1:40、同5:25、…)

反面、信仰のない者たちに対しては、癒しは起きなかったのです。(マタイ13:57~58)


だから私は、<足る信仰>が必要条件であり、
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われ」(ローマ10:10)なければならない。

逆に言えば
「いくら主でも、その人が意識的に信仰しなければ
救ってくれないのか…」
という寂しさを感じていたのです。


そして、私が日々向き合う方たち。例外なくご高齢者です。
かつ、重篤な疾病を抱え、急変して今日亡くなるかも知れぬ。そんな方たちが中心です。

しかも認知症や聾唖、精神疾患、せん妄などで、こちらが言葉を介して主への信仰を訴えても、何も伝わらない方たちが少なくありません。

彼らの多くが「心に信じて、口で告白して救われる」水準を満たすことは、恐らくもう不可能なのです。

だから神の愛を説くためには、言葉でなく態度で、微笑で、温かい声がけで、優しい触れ合いで、示すしかありません。
恐怖に震える方たちの手を握って、ただただ傍に座っているしかありません。
そして帰ってきて、ブログにこうしたことを綴りながら、涙で祈りを捧げるしかないのです…。


そんな時に示された、神の救いのもう一つの形。

「男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ」

この文面から察するに、足の不自由な男性は
①イエス・キリストのことも知らないか、
②少なくとも意識していなかったし、
③金か食料でも貰えるのかな?と思って目を上げた。それだけでした。


なのにペテロは

「金銀は私にはない。
しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって、
歩きなさい。」と言って、

男の右手をとり、立たせた。


もう一度言います。上記男性には信仰がなかったか、希薄だったはずです。

にもかかわらず、
主イエス・キリストの御名を通して
 祈ったペテロの信仰によって、
  男性は癒されました。救われたのです。


『まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが父に求めることは何でも、
父は、わたしの名によって
それをあなたがたにお与えになります。』
(ヨハネ16:23)

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、
またそれよりも さらに大きなわざを行ないます。
わたしが父のもとに行くからです。』(ヨハネ14:12)

主がそう仰ったとおりに。
信仰者の主への信頼と希望が大きければ、
神はそれを叶えて下さるんですね…?


だったら、俺が祈るよ。
言葉を失ったご高齢者の皆さんの代わりに、俺が祈るよ。
俺が超信じるよ…。超信じて、あなたの道に歩むよ…。


だからお願いしますよ。
彼らの霊を、ねんごろに扱って下さいよ…。


恵み深き主、
愛なる神さま…。


どうかこの小さき者の祈りを、聞いてやって下さいよ…。



『その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。

あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。
求めなさい。そうすれば受けるのです。
それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。』(ヨハネ16:23~24)
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