後藤 秀孝
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JAPAN
【種】
2013-01-29 Tue 17:36
新約聖書にこうあります。

“イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。

『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。』(マタイ13:3~9)”

続けて主は、弟子たちに上記例えの意味を語りました。

『御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとが みことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。』(同13:19~23)

この聖句を反芻していて、示されたビジョンがあります。


上記で言う「種」とは、主のみことばのことです。それを受け取る私たちの土壌の良し悪しで収穫が決まる、という主旨ですが、イエスさんはもう一歩進め、自然の中で繰り返される“続き”を私に見せてくれました。


まず種子についてですが、ともすれば数千年保管しておいても、発芽を促す環境を整えれば芽を出すのです。これは神の御言葉の普遍性・永続性を表しています。

蒔かれた後、ある物は鳥に啄ばまれ、ある物は枯れ、またある物はいばらに絡まれ窒息しました。しかし、もし種―――御言葉―――が僅かでも残ったらどうなる?と考えていた時に、土壌の形成について、上野の森で見た銀杏の黄葉が思い浮かびました。

銀杏は毎秋、大量の落ち葉を周囲に散らします。葉は後にフカフカの絨毯のようになり、時が経つにつれ滋養ある腐葉土層を形成します。絨毯は文字通り地表を覆いつくし、いばら(=雑草、と約されている場合もある)を駆逐します。
上例で「道ばた」や「岩地」、また世の誘惑に惑わされた「いばらの中」と表現された心的状態では、種を受け容れられないか、受け容れても枯らしてしまうのは主の仰るとおりです。

ですがもし、その土壌のすぐ傍に広葉樹の大樹が立ち、年を経るごとにいばらを除き、葉を散らして土壌を改良していく―――御言葉の受容キャパを上げていく―――のならば。土壌の環境が整えられていくのならば、残された種はそれからでも発芽しないでしょうか。


ここで言う周辺の木とは、傍にいる私たちクリスチャンのことです。

成熟したクリスチャンの信仰が、痩せた表層土のうえに堆積し、覆い、そしてついに種が根づくに足る表土を形成する。
寄生するいばらを排斥し、鳥が奪えぬよう種を深く覆い隠すよう助けてくれる。
小さな木、年を経た木、葉の多い樹木、枯れかかった木さえもが、肥やしとして良い影響を周囲に与えていく。…

そんなビジョンが与えられたのです。


そして、それらの木が全て、仰ぎ見て賛美し、喜んでいるのは…。
全ての土地とそこに生える木々を
その葉で優しく覆う、
主イエス・キリストの大樹でした。


種は蒔かれ、種はその土壌の状態によって発芽しなかったり、枯れたり、雑草に取り込まれてしまったり…。
しかし神のご計画によってその土壌が豊かにされるならば、「時が来ると実がなり、その葉は枯れない」(詩篇1:3)のです。

そんな忍耐と愛の真理を教えられたのです。
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