後藤 秀孝
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JAPAN
【A C T 2 & 3】
2013-01-04 Fri 11:09
【A C T 2】
聖書には、

「行動しない人」
「ためらう人」

に対する注意書きも多く載っています。

『主人の心を知りながら、その思い通りに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどく鞭打たれます。』(ルカ12:47)

『また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。』(マタイ7:26~27)

『だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。』(ルカ9:62)


「行動しない習慣」がついてしまうこと。私たちが一番恐れるべきはそれです。

「いつかは俺も」と願いながら、腰は重たいのです。

「大学に入ったら~」
「結婚してから~」
「子どもができてから~」
「子育てが終わったら~」
「引退してから~」

……そんな言い訳先行なのです。

こんなことを繰り返し語っていると、私たちの潜在意識にしっかりと根付いてしまうのです。
「行動しない習慣」が。

行動しない方が楽だから。
行動しなければ恥をかく事も少ないから。

じゃ、いつする?!



何かを学んだ経験のある人なら、頷かれることと思いますが。

行動した結果、学べたことって大きい。

いや、行動しないで学べることなんて、自分に正直になるならば、ありえない。


アタマ知識 Knowledge としては取り繕えるかもしれない。
知ったかフリはできるかもしれない。でもすぐ見透かされる。

行動を伴わない学びなど、自分の血肉通った知恵 Wisdom にはなりえない。
人生 Life へは、絶対昇華されえない。

行動がなければ、他人を利すること、社会の益となるようなこと、地の塩・世の光としての働きもできない。
他の「死の影の谷」に座っている方たちに、主の良い知らせを伝える働きなどできはしない。


ただただ、時ばかりが移ろっていく。


だからこそ、発信する者へと変わっていきましょう。
受け取るばかりの存在から、与える者へと。
観戦している側から、リングに立ち、実際に格闘する者へと…。

『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』(マルコ8:34)

あなたの、私の貢献が、主なる神に大いに期待されているのですから。



<変われる リスト>
喫煙を止める(日に10本→毎食後1本、日に3本へ。そして禁煙へ)
浪費癖を克服する(=1/10 貯金を開始)
腹筋する(毎日30回~、朝夕問わず)
聖書を読んでみる(新約、詩篇~旧約へと)

そしてその変化を常に自覚し、主に喜び感謝しつつ。
その前向きな変化を、他と共有し、発信していけるようにと。

変えられていきましょう。

こんな小さな変化が、毎日繰り返されることで、
後に来るさらに大きな克己、さらに大きな変化へと。

あなたを鍛え、あなたを向かわせ、
あなたの習慣を昇華させてくれるからです。


【A C T 3】
こちらが働きかけても、「うんともすんとも」言わぬ相手。この世には手ごわい相手が存在します。

そんなことを、児童相談所の開く講座で耳にしました。つまり里子として来た当初、感情の発露が乏しく、こちらの声がけや配慮に対して何の感情も表せない子どもがいる、と。

しかし講師は続けて、「反応しないことも反応の内」と言われました。至言だと思います。


こちらの優しい声がけ(努力します)に対して、子ども側/相手方は:

驚いている
どう返していいか分からない


ということもあるでしょうし、

信じていない
信頼関係が不足


ということもあるでしょう。

また、

他の事でこころが一杯で、構っていられない。

時もあるのだと思います。


そう考えると、

職場でこちらが挨拶をしても、見向きもせずに過ぎ去る人がいます。
こちらの配慮を、迷惑そうに受け取る人がいます。
こちらの笑顔を、強張った表情で目を逸らす人もいます。

彼・彼女のこころが覗けるわけではありませんが、
上記のような脳神経反応が起こっているのだな、と自己納得することで、

無視されたり、相手の表情があべこべであっても、

すこしだけ溜飲を下げることができるようになりました。


『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。』(ルカ23:34)

たかが人間が、上記を口にすることはできません。

ですが、主もこのような人のこころの動き、反応を見られて、寂しく感じられた。
その上で赦し、愛された。

私たちも愛そうとすることはできます。
主をとことん真似ようと、頑張ることもできます。

結局、最終的には

「相手がどうあれ」
主に喜ばれる善を行なえ。

そこに尽きるのだと思いました。


相手の吹きかける悪意や寒風に対して、こちらが動じないこと。
ぶれないこと。離れないこと。
相手がその温かさを常に感じていること。

人生、一体全体、そこからが面白いところですから。
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