『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
私は正しい人を招くためではなく、
罪びとを招くために来たのです。』(マルコ2:17)
イエスさまが、レビと言う名の取税人を弟子に加え、その悔い改めの晩餐に招かれていたとき。
当時の罪びとランキングナンバー3くらいだった取税人を招いたことを、宗教指導者たちが批判したときに返されたおことばです。
考えてみれば、主は別の箇所で
『心の貧しい者(=心貧しさを自覚している者)は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。
その人は(わたしによって)慰められるからです。』(マタイ5:3~4)
とも言われています。
世の荒波に晒されてひねくれ、やぐされて、周囲の人々の幸せなど祝すこともできず、
自分の不幸、自分の悲哀、自分の孤独を本当の意味で自覚したときに。
イエスさまはあなたのすぐ傍らに立って、
招いて下さっています。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、
わたしの荷は軽いからです。』(マタイ11:28)
あなたがすべきなのは、
厳しい修行(特に修行そのものが目的となってしまうような…)でも、
冬空の下、小冊子をもって駅前に立つことでも、
献金のノルマを達成することでもなく(*)。
ただただ主の愛をまるごといただき、
あなたの深層心理、無意識の世界にまで光を投げかけてもらうこと。
その優しい光に包まれて、新しい人生の一歩を、主と共に踏み出すことです。(*)主はこう仰っています。
『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』(マタイ9:13、マタイ12:7)
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