越谷レイクタウンで見た光景。
父親がショッピングモールで、子どもを乗せられるタイプのカートを押してきた。
笑顔満面である。そして娘にカートを見せ(リロ&スティッチだぞ!)、娘の喜ぶ顔を見て更に嬉しそうであった。
ああ、これが人間の本質だなぁ…。と思った。
原始時代の始めから、男は妻に、家族に頼られ、そのニーズに応えることで、喜びと誇りを得てきた。
「父ちゃん、ハラヘッタ」「ほれ肉だ」という営みから。
自身の存在理由を、存在価値を、守るべき対象、養うべき対象から、得てきたんだなぁ…。
そんな想いから振り返って、現代社会。
世界では、われら人間のこの原始的な渇望、
「我が子を、我が家族を守るために」
「彼らの必要を満たすために…」と言う想いが、利用されたり、悪用されたり、枯渇したりしている。
子どもの教育に関するCMがそうだ。
誤爆で子どもを失った父が、反米テロリストに変身するのもそうだ。
それらとは違った意味で悲しいのは、
支える側が感謝されず、支えられている側がその有難さを認めない。そんな状況だ。
「多くの人の愛が冷える(マタイ24:12)」時代にあって。
男の渇望を真の意味で満たしてくれるものは、
妻よ、あなたのちょっとした心配りと、
全てを知る主イエスの慮りのみなのである。
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