後藤 秀孝
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JAPAN
【死について】
2012-12-23 Sun 23:21
「しゃり」
「しゃり」

と耳を覆いたくなる切断音がする。

目を向けると、血と肉と骨。
白く細かい軟骨がスライスされていくような音。そしてピンク色の肉にちりばめられた骨の、身の毛もよだつ模様(パターン)…。

最近目にした悪夢である。リアルすぎて、一体どこで見た映像だろうかと悩む。

ホラー映画から、という解答なら分かりやすかった。しかし青年期になるまでホラー映画は見てこなかった後藤としては、

①青年期以降ならば出所を覚えているし、かつ
②「フィクションである」という観点から、これほどまでの根源的恐怖はありえない。

しかもカラーなのである。後藤は白黒の夢を良く見るが、カラー夢は少ない。どんだけ後藤の網膜深く根付いたイメージなのか…。

色々原因を検討してみた。何日か前に車轢死猫を見たせいだとか、過去に知らずに見たグロテスクな映像を反芻しているだけとか…。でも納得のいく答えは出ない。

結局、そのグロさの奥にある、

人間誰しも=「血と肉と骨」の恐怖、

つまり人体を開口してみれば屠殺場の肉と何も変わらないのだということ、その原始的恐怖心からきているものか…。とも思わされた。
つまりこうして生き、活動している人間も、「死ねば くそ袋」(前田慶次)という<儚さ>そのものだ。



そんな「死」に対する生理的嫌悪を思うとき。私はイエス・キリストについて想い馳せる。

彼は約2000年前、保身と既得権益を憂う宗教指導者・権力者らによってあらぬ罪を着せられ、十字架の上に死なれた。その死は一人の英雄の死ではなく、犯罪者として、汚名を着せられ、嘲られての死であった。

出血が止まる。傷が塞がる。関節にも影響なく、元通り歩けるようになる。
そんな可能性を一片も残さない、仮借ない拷問の末の死である。容赦ない鞭打ち、大量の血と体液を失ってなお、十字架に釘付けにされた死である。


彼の死が私の中に重く、しこりのように残っている。
だが、そのしこりは同時に「イエスが死んで見せてくれた」という奇妙な安心感にもつながっているのだ。


私もあなたもいつか死ぬ。その死に際して、イエスが天を仰いで逝ったように、私も苦しみの吐息の中から、父なる神の光を見上げて死ぬことができるような…。生理的恐怖は拭い去れない。しかし彼が先に死んで示してくれたように、私も死ねるのではないかと…。少しだけ「恐怖」の先にある展望を抱けるようになったのだ。

「私はクリスチャンだから天国に行く」と断言できるほど、後藤は傲慢ではない。
ヤギと羊の選別は主に一任されていることだから、後藤としては主に信じ期待するばかりだ。

でもだからこそ死に際して、
イエスもここを通られた、
イエスが共にいてくれる
と思える信仰に感謝するのだ。

私が見た悪夢に、もし意味があるのだとしたら。
それは逆説的「主にあるいのち」であった。
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