後藤 秀孝
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JAPAN
【供 物】
2012-12-15 Sat 23:33
2世紀のはじめ。ローマ帝国内におけるキリスト教徒には迫害が加えられた。悪名高いネロに続いて、ドミティアヌスは自らを神として全国民に皇帝を拝むよう強要し、従わないキリスト教徒たちを断罪・処刑していった。

そんな不穏な時代、アンティオキアの司教イグナティウスが捕縛され、ローマに護送された。イグナティウスは道中、各地の教会に向けて手紙を書き、信徒を励ました。その内容が以下である。

「私を獣の餌食にしてください。それが神へ到達する道なのです。
私は神の穀物であり、獣の牙に挽かれてキリストのけがれ無きパンとなります。


…そして獣を私の墓場となし、死体の一片も残さず、
永眠の際、誰にも面倒をかけないように致しましょう。」

彼の願いはそのまま叶えられた。(中略)

この頃から86歳のスルミナ司教ポリカルポスやリヨンの司教たちなど殉教者の数も次第に増加し、身分の低い者は火刑、十字架刑、猛獣との格闘刑、鉱山労役刑、身分の高い者は斬首刑、流刑に処され、さらに信者の処女で売春宿に入れられた者もあり、貞操の危機に臨んで自殺した話なども伝えられている。これらの殉教者の審問や最期の有様を記した殉教文学も信者の間に広まり、「キリスト信者の血は種子」となって新しい信者の数を加えた。(世界の歴史2、ギリシャとローマ。中央公論社、昭和36年)


歴史上の、殉教の一端を垣間見る文章だ。

平々凡々と読み過ごしてしまうべき箇所ではない。何故ならこのように歴史上から抹殺された信徒たちには、私達と同様、それぞれの人生、つまり:

親、妻、子ども、仲間らとの人間関係、
日々の学び、願望、夢、
仕事、事業、上司や部下、
健康、運動、趣味、
誇り、名誉、権威、…

そうしたものがあった。

それら全てを、彼らはキリストのゆえに棄てた。棄てて従った。


畳の上の死ではない。院内死でもない。
我々が絶対に避けたいと願う死に方。生きたまま食われる死だ。

なぜそんな死地に、嬉々として立ち向かえたのだろうか。

狂気だろうか。
ああ、そうだ。

あほうだ。
キリストのあほうだ。

だがそれが、私の死に際しても、心に平安を与えてくれるものならば。

私は主にある信仰を離さずにいたいのだ。


『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。』(ヨハネ12:24~25)
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