後藤 秀孝
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JAPAN
【一番 最初の 記憶②】
2012-12-04 Tue 23:07
我々が<記憶>と呼ぶ、こうした<意識的記憶>は、

=膨大な無意識記憶
+感情(喜び、悲しみ、恐怖、怒り…)

なのだ。それはあくまで<生存>のためであり、トラブルを避けるために

やると死ぬこと/大変ひどい目に遭うこと=絶対忘れない

という脳の効率性の表れだ。逆に言えば脳は、平穏無事でぬるま湯な状況では、何も覚える価値を見出さない。覚えるとしたら、どこへ行けば食い物があるか、位だろう。

だから人生一番最初の記憶とは、=よほどヒドイ悲しみや怒りや恐怖が添付されているモノ…。と言えるかもしれない。

あなたの人生最初の意識的記憶は、一体どんな物だろうか。



ちなみに後藤の思い出し得る人生最初の記憶は、森下公園(に違いない)の砂場で遊んでいた時に、いじめっ子に迫害され家に泣きながら帰った時のことである。そんな我が子を見て、母親が(おそらく森下公園の砂場から)持ってきた砂を庭に広げ、息子が遊べるようにしてくれた。

そこまでで後藤最初の記憶エピソードは途切れている。どうやら気分的に落ち着いたことで、また無意識記憶が全て飲み込んでしまったのであろう。


後藤のその記憶には、母親の支援と愛情の温かみがあった。
児童の発達心理学を少しかじると、こうした一つ一つの記憶が、おそらく母親以外の人間全部に対する漠然とした信頼として、今の後藤を支えていることが分かる。

揺れたときの地盤として、
折れそうなときの支えとして、
燃え盛りそうなときの鎮火機能として、

私を支えてくれている。

その支柱の一本一本が、今日の後藤の精神的安定や充足感、他者への奉仕を支えてくれている。



そこで改めて、
今世を騒がせている無差別殺人の犯人や、
子どもを殺してしまう親や、
電車に飛び込んで自殺する方を想うと、

こうした<温かい記憶>の支柱が、自己修復機能が、

へし折られ
分断され
歪み
錆び付いて

働かなくなっていたのではないか、と思わざるを得ない。


意識記憶、また無意識記憶に深く浸透してしまった負の記憶が、もし私たちにあったとしたら。

何かその染みを取り除く方法は、あるのだろうか…。

時に湧き上がる不穏感、
コントロールできない憤り、
自己価値の低さ、自己肯定感の無さなどは…変え得るのだろうか。
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