2015-11-25 Wed 08:59
(富はガッツリ持ち出しされているが)
未だにガラパゴスアイランド/Koala's Sanctuary である日本は、ある意味平和だ。 少なくとも自分の近隣に銃声はなく、ヤクもなく、殺人事件も国内で日に一件あればいい方。これは平和だよ。 ま、そのために高い税金を払わされている。必要経費だ。 だが、その平和に完璧ふんぞり返って、水面下で何が起きているか知らず、知ろうともせず、 危機感を無くし、目の前の享楽・消費にだけ向かう人々を見ると、後藤は人嫌いになる。 「こんなモンか?人類」と、 日本人の一部 → 拡大解釈して人類 を憎んでしまう。 でも、気付いて欲しいんだ。 あなたが今、漠然と感じている不安や恐怖は、 実は健全なもの なのだと。 故に「平和の中にのみ居る」ことの危険を、実は噛み締めないといけない。 徐々に沸いていく湯の中で死ぬカエルと同じく。 変化は目前に迫っているのに、 <戦争してない/負けてないのに、 敗戦国としての戦後になっちゃうような危機や大変動> が迫っているのに、大半は何も備えられていない。 個人の財務諸表、また世帯の貯蓄率を見ればそれは明らかであるし、 So called 「資産保有」も、(バブル期に握っていた土地を、高値で売り抜けた)ジジババがタンスに所有しているだけだ。 「現在」の延長線上で既に成す術なし、の日本政府が、 「何かあれば面倒見てくれる」? 雇用主、銀行、IMF…等、 「誰かがケツ持ってくれる」? とでも、思っている?? 否。 ケツは自分と子々孫々がちゃんと拭かされる。 安心していい。 ![]() <強大なオオトカゲ。でも島全体が災厄に見舞われたら、生き残らん> ![]() スポンサーサイト
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2015-11-23 Mon 19:57
前稿で、「人の道の究極は」と言う事について書いた。
イエスさんが示してくれた道、人間にはなかなか、というか到底、たどり着けない「人道の究極」は垣間見えた。 不完全な人間は、残念ながら決して到れない。 俺たちの日常はそもそもダメに溢れている。 そんな人間にできるベストショットは、恐らく「死の瞬間の誠実、信仰、友愛」位だろうな。俺はそう感じていた。 その思考の流れの中、更に様々な指針が与えられた。 一つは、①宮沢賢治著の「雨ニモマケズ」、 もう一つは、②Mom テレサの言葉である。(後述) ――――― ①宮沢賢治著 「雨ニモマケズ」: 宮沢賢治没後に、彼が故郷の岩手県花巻で闘病中に書いたメモ帳が、文壇メンバーの間で閲覧された。 そこで発見された詩が、賢治の代名詞的作品となる「雨ニモマケズ」である。 詩に歌い上げられる「人物」は実在の方で、斎藤宗次郎 と言う。 宗次郎は同 花巻出身であり、地元の小学校の教師をしていた。しかし、師である内村鑑三の影響で日露戦争の際、非戦を訴え戦費納税や徴兵制を非難したため、県当局から睨まれ遂に学校を追われることになった。 退職後は新聞販売を兼ねる書店を経営し、キリスト教の伝道を志した。 新聞配達のために、雨の日も風の日も大風呂敷を背負って走りまわった。 この配達や集金の際に、宮沢が謳い上げたような「病人を見舞い、子供達には菓子を分け、貧困の者には小銭を与え」また「出会った人々の悩みに耳を傾け、争いを解消し」、長期に渡っての関わりの中、土地の人に広く慕われたのだった。 そしてクリスチャンとしては、 弟子の裏切りで傷心していた内村鑑三の愛弟子として、 鑑三の生涯最後の瞬間まで傍らに居て仕えたという。 彼の生き様を指して、宮沢はこう結んでいる。 「みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい」 不器用な「デクノボー」だけど、なりたい。と。 ――――― ②Mom テレサの言葉: マザーテレサの残した言葉の中で、後藤の琴線を掻き鳴らす文章がある。 「人は、~かも知れない。 だが~し続けよ」 という定型で語られるメッセージである。例えば、こんな感じだ。 「人はしばしば 不合理で、非論理的で、自己中心的だけれど、 それでも許しなさい。」 「正直で誠実であれば、 人はあなたをだますかもしれませんが、 それでも正直に誠実でいなさい。」 「今日善い行いをしても、 次の日には忘れられるかもしれないけれど、 それでも善を行いを続けなさい。」 上記、世俗の/他人の目から見ると、無為な、無駄な行動。 損得勘定度外視の、「デクノボー」な生き方だ。 だがなぜだろう。 「雨ニモマケズ」同様、 こんなにも温かい気持ちになるのは。 恐らく俺は、 この描写の中に 人としての「究極」、「本物」を見ている。 神の与えてくれた<人として到達できる高み>を、 無私の「デクノボー」は示してくれたのだと思う。 ![]() <実は 自撮りです> ![]() |
2015-11-22 Sun 22:25
旧約聖書の「俺好み」に、ヨブ記がある。長いけど読んでみて。
人の心理の難しさを垣間見れる/味わえる部分が、その冒頭から盛りだくさんだ。 本文から拾ってみよう。 「ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。 彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。 (中略&ダイジェスト版。 豊かで家族にも恵まれたヨブ。 しかし突然災いが襲い、資財は取り去られ、 子どもたちは皆死んだ。 自身も体中を皮膚病に冒され、 全盛期と比べ見る影もなくなってしまった。) そのうちに、ヨブの三人の友は、ヨブに降りかかったこのすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分の所からたずねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに悔やみを言って慰めようと互いに打ち合わせて来た。 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられないほどだった。彼らは声をあげて泣き、おのおの、自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。 こうして、彼らは彼とともに七日七夜、地にすわっていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みがあまりにもひどいのを見たからである。」(ヨブ記1:1~2:13) ![]() ![]() |
2015-11-22 Sun 21:35
この世の、圧倒的な不条理、
統治機構の腐敗、人民に降りかかる無惨、理不尽… に出会う時。 俺はとことん無力さを覚える。 同時に思う。 「無力感とは、引き摺られる側、動かされる側、被害者の側の持つ感情の筈だ」 俺はじゃあ、被害者の側にいるのか? 誰かに酷使され、誰かの富のために働かされる、 奴隷の側に? ![]() ![]() |
2015-11-22 Sun 20:47
後藤は「本上げ魔」だ。
つまり、「本を上げる」と言う、 超余計なお節介を焼いて販売する。 のみならず、油を注いだりフランベしたりする。 そうやって、自分の厳選した書籍、 ある人の人生をマル替えできるに足る書のみを、 芽のある人に贈るようにしている。 その際、必ず付記するのが「後藤文庫への招待」、すなわち後藤文庫にまつわるルールである。 ![]() ![]() |
2015-11-20 Fri 22:02
日常生活で、疲れちゃってる人、
い!ま!す!か!? 職場で学校で、 家庭でさえも、 嫌なこと、余計な一言、 侮蔑、腹立たしい対応 食らう事、あるよね。 俺はこう考えるようにしている。 「そのダメージに耐える HP/MP(*)があれば、大丈夫」。 そうだ。本質はシンプル。 それらゲージが低下して行く過程で、 人が穏やか → 豹変しちゃうのが問題。なだけだ。 ![]() <山田さんに15,721のダメージ!山田さんは死んでしまった!> (*ゲームによくある表記。 HP/MP = 体力/精神力、みたいな数値。 HPがなくなると死ぬ。MPなくなると気絶する等) ![]() |
2015-11-19 Thu 22:08
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2015-11-19 Thu 21:24
――― 私は、文章も稚拙で、
読者を惹きつける表現も技術も、 ないわけです ――― 『稚拙で、良いんだよ。』 『逆に、稚拙なものを通してしか、 わたしは自分をこの世に表現できない』 『父なる神の意志、 その御心を告げ知らせることができないんだ』 『幼子のように素直に、従順に、 わたしの声に耳を傾けて、 それを精一杯世に伝えようと表してくれれば、 それで良いんだよ』 ![]() ![]() |
2015-11-19 Thu 20:07
究極は似る。
ひとつの道を突き詰める程にそう思う。 茶道の究極は、流派によって多少の差異はあるかも知れないが、 無駄の全くない所作 =奥ゆかしさ、に到る と言う。 (残念ながら、 茶坊主どもはその他諸々を、勿体つけてゴチャゴチャ言う。 根本が分かっていない証拠だ。) ヘルパー業務のオムツ交換にも、奥義のような物がある。 その人の施工したオムツを見ると力量は大体分かるし、 試合開始後何分時点で、何をしているか。 どのタイミングで何を持って何処を歩いているか。 等でその方の練度は丸裸になる。 それは、何の道 Art でも同じだろう。 理を図り抜き、動線を突き詰めた挙動は、 やはり多かれ少なかれ似るからだ。 ![]() <究極の土下座は…似ない> ![]() |
2015-11-19 Thu 19:44
暗闇の時代が来る。否、来ている。
苦難と絶望、争い、飢え渇きの時代が。 だが、主は仰せられた。 『時間の問題 Matter of time.』 だと。 見よ、 暗雲立ち込める空が、 いつしか太陽の光と熱の圧倒的な存在により、 分断され、消え尽きていくのを。 そうだ。 主なる神、我々の太陽は今も、この地を照らし、照らし続けている。 ![]() 誠に、主にあって暗闇が吹き払われ、 明るく暖かな光がこの地を覆うのはただ、 『時間の問題』 なのだ。 ![]() |
2015-11-13 Fri 22:02
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2015-11-13 Fri 21:19
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2015-11-12 Thu 22:30
人は、かつて自分の持ったことのある重量までは、
そこそこ持つことができる。 自分の重量経験以上の物を持とうとすると、どっちか。 覚悟のトライか、さっさと無理だと諦めるか。 ――――― 介護ヘルパーをやっていると、重量級のお年寄りをお世話することがある。 車いすからベッドへの移乗、 ベッドからポータブルトイレへの移乗、 病院にてレントゲン撮影台への移乗、など。…。 掛け声「一、二の三…!」でスロットル踏んだ瞬間に分かる、介助者の体を軋ませる重量。 それだけではない。 実際の数値としての重量はあるが、それ以外にも: 持ち易い・持ち難い(拘縮・脱力)、 長身・短躯、 まんべんなく重い・腰部重い、 などで、単に米袋10㎏ × 何袋分、と言えない難しさがあるのだ。 そんな中、超重量級のお婆ちゃんをベッド移乗などする際は、 持ってみた感触で<本気度・覚悟>を改めねばならない。 「これは絶対腰をヤる」という直観があれば、 即本気モードに切り替えねばならない。そんな感じ。 ![]() ![]() |
2015-11-08 Sun 22:25
ボロネーゼ⑥の復旧作業の中で、後藤が未経験ゆえに難関と思っていた箇所が二つ。
A. ベランダのサビ落とし・ペンキ塗りと、 B. 小型犬と思わしき小動物に引っかかれた土壁の処理。 貰った連休で何とか、形になってきた。 ![]() <見ての通り、このままだと大変印象が悪い> ![]() |
2015-11-07 Sat 21:46
後藤が松戸のボロネーゼ⑥に携わり、日がな古ペンキを剥がしたりサビ止め・新ペンキを塗ったりしていると、ご近所の噂が耳に入ってきたりする。
今日も老齢の水道屋(自分の「業界的知識」「お客さん思いのエピソード」自慢がしつこい)と、 ご近所おばさんが駄弁っていた。 一頻り自己称賛が終わった後、老水道屋が声を潜めて言う。 「お隣さん(=後藤)、何か修理しているけど、不動産で下手な物件買うと痛い目見るからネ…。」 「実は私の息子も物件を買ったはいいが、屋根の雨漏りだの外壁だので、1,000万位掛かるって言われて困ってたヨ」 爺さん。言いたいことは二つある。 ①何の予備知識もなく、勧められるままに表示価格で買えば、大抵バカは見れる。 爺さん、あなたは、自分の息子をバカに育ててしまったことの証人だ。 ②1,000万の修繕であっても、築浅RC造で 路線価2億、 年間家賃収入2,400万みたいな規模なら、修繕1,000万の価値は十分ある。 要するに、自分の主張を支持するために、分かりもしない不動産の「失敗談」「不幸自慢」をするな。ということだ。 ![]() |
2015-11-07 Sat 07:14
「Adam's Fall」
=アダムの失楽園。つまり神さまに禁じられていた 善悪の知識の実を食べて、アダム夫妻がエデンを追われた顛末。 実に、アダム・エバ夫妻が善悪の知識の実を食べたことは、 否、神の言いつけを破り、 「自分も神と同じように賢くなろう!」 と欲したことは、 人類最大の過ち、不幸、悲劇…。と捉えられるべきはずの、 人類最初の「神への背信」だった。 そのお蔭で「罪(=自己中心)が人に入った」と言われる。 だが、それを指して、 「The Great Plan for Happiness」 と呼ぶ人がいる。 矛盾である。大いに矛盾である。 ![]() ![]() |
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
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