2013-03-31 Sun 23:37
赤羽駅東口の飲食街、夜。安くて旨い中華料理屋が何軒かある。
その内の一つに入った瞬間、後藤は顔をしかめた。 タバコの煙である。 「信じられん」という表情もあらわに、 まじまじと中年の喫煙者たちの顔を直視して、というか睨みつけて、席に着く。 マァ、日曜酔っている。程よく、というのではなく、 周辺の話が盛り上がるほどに、語る口調もどんどんボリュームアップしてくる。 ![]() スポンサーサイト
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2013-03-24 Sun 22:33
齋藤孝氏著「アイディアを10倍生む 考える力」(大和書房、2006年10月1日)を読んでいて。
「創造的なThinker(思考者)のしていることは、 古くから教えられてきた聖書の深い読み方に通ずるモノが多いな」 と思わされた。 気付きのいくつかを、 A. 聖書、またウォッチマン・ニー著「How to study the Bible」と B. 上記齋藤氏の著書を比較し、検証してみよう。 ![]() |
2013-03-24 Sun 21:46
偉そうに喋る牧師を見、生理的にディスっている時がある。
自己分析すると、そういう時は決まって 「…善しないとアンタ、ひどい目に遭うよ」 的なメッセージであることが多い。 つまり、 「白い御座でお前らみんな裁かれて、 あら残念、地獄行き、なんて奴も居るんじゃないの? クフフフ…。」 そんなメッセンジャーの裏番組を、牧会の中に聴いてしまう時だ。 ![]() |
2013-03-24 Sun 21:32
風呂に入るときに、後藤はメモ・ペンを持ち込む。
アイディアの奔流が、<入浴中>究極のリラックス状態で与えられるからだ。 受け取ったアイディアをひたすらメモに落とすと、あら不思議。 【キリストの愛を 超多忙なあなたに】 の出来上がりである(*全てフロ内で書いている訳ではない)。 ![]() |
2013-03-18 Mon 00:50
ご高齢者の介護をするとき。決めていることがあります。
「絶対に、「ああ、気持ちいい…」と思って貰おう。」 「気持ちいい」票が集まりやすいのが、背中を拭くこと。 温かいタオルで拭き、また首の後ろ・肩甲骨の間(つまり、心臓の裏側)・腰部分を温めることです。 寝たきりの方たちが多い中、常にシーツと寝巻きで抑圧されている背中をさっぱりさせ, 痛い腰や背筋を温めることで、温泉に浸かったような「心地よさ」を演出できる背拭きが、 後藤のヒットチャート#1です。 しかも背拭きは、オムツ交換を終え、ズボンを直す際に側臥位(わき腹を下にして寝ること)をとってもらうわけですが、その流れの中でできる「ついで」の動作です。実行すると10人中ほぼ8人が、「気持ちいい」サインを下さいます。 「主よ、これってどうですかね?」 「あなたの愛を示す助けになってますかね…?」 『いいんじゃない、 あなたが喜んで仕えているのが 分かるから』 ![]() |
2013-03-07 Thu 21:48
<再>トポスキリスト教会(東京都足立区梅島)主催、ホームレス伝道の詳細
過去の記事より。Tさん、礼拝の詳細以下です。 「8月7日、トポスキリスト教会が毎週土曜日 午後2時から守っている、主の礼拝に参加してきました。 緑の天蓋に守られ、日陰が出来ている所は涼しげな風が吹きぬける。しかし日に晒される所では容赦ない灼熱が降り注いでいる。そんな夏の日に、“人々は荒野で叫ぶ声”を聴きました。 ![]() 悔い改めて、路上生活を脱するために。困難と共に脱出の道をも備えてくださる、愛なる神のみことばをアケミ牧師が語られていました。 路上生活は、確かに辛い。単純に、肉体的にも、精神的にも、魂の面でも、堪えます。 暑さ寒さは当たり前、道行く人々の冷たい目線、これから先の将来への不安、健康の喪失と生への絶望感、諦観…。それを紛らわせるための、酒やギャンブル…。 「ま、それでもいいか。」 「どうせ頑張っても仕事は見つからないし、あっても3K職場だし。」 「この生活のほうが、気楽でいいわな。…」 そう言って自分に言い訳してしまう人たちに。アケミ牧師のことばが炎を飛ばします。 ![]() ![]() |
2013-03-07 Thu 20:59
とあるご高齢者の枕元で。
面会を終えた私がそろそろお暇を、と切り上げようとしたときに、彼が不意にこう言ったのです。 「水…、水が飲みたい…」 その方は、飲み込みに問題がありました。 つまり何かうかつに飲み込めば、胃ではなく肺に入り込んでしまい、誤嚥性肺炎を発症。死に至る可能性が高かったのです。このため病院では点滴にて、彼の命を懸命に、彼岸のこちら側につなぎ止めていました。 その弱々しい言葉を聞いた瞬間、私の目にある光景が浮かんだのです。 それは、 『I thirst.(わたしは渇く)』(ヨハネ19:28) と言われた、十字架の上のイエス・キリストです。 ![]() |
2013-03-03 Sun 21:39
私はパウロの「(主イエス・キリストが)最後の敵である死も滅ぼされます」(Iコリント 15:26)という章節が好きです。
そんな「死」に対して、現代社会の歪みを覚えます。つまり 「一体いつから、私たちの日常より 「死」が除外されたのか?」 ということです。 今日の私たちにとって「死」とは、 A. 不慮の事故で起きるもの B. 病院で起きるもの そんな見方がいつの間に根付いてしまったのでしょう…。 ![]() |
| キリストの愛を 超多忙なあなたに |
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