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後藤 秀孝
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7.「何であたしがこんな目に?」 I I
2007-12-25 Tue 21:54
前回からのつづき。

「B)他の人間がおかしい」に付随して。この世の暗闇の勢力の存在も、決して無視できないのです。

<サタンとその眷属の働き>
サタンが地を行きめぐった後、神の前に正しく頑張っていた人、ヨブに目をつけ、その人生を妨害するエピソードが「ヨブ記」です。サタンがヨブの所有物・家族・健康を取り上げる許可を求めたとき、神はそれを許して「好きにさせた」わけです。

「好きにさせた…。」悪い表現に聞こえますが、神はその計画の内で、サタンがヨブを傷つけ、全てを奪い取ることを許可しました。そこには神の理由、遠大な計らいがあるわけですが、残念ながらヨブには分かりません。だから苦しむわけです。遂にヨブは、励ましに来た3人の長老を沈黙させ、自分の正当性を神に直接訴えようとします。

そんなヨブを、神はその苦しみの中で救い出し、その悩みの中で彼の耳を開かれて、神ご自身の計画を明らかにしました。それは「主に立ち帰り、主に信頼して歩む」という一事に尽きます。それは聖書にこうあるとおりです。

「わたしはあなたがたのために立てている計画を良く知っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」

主のご計画の中に、無駄になることは一つもありません。
それは、痛みにも意味があり、挫折にも効用がある、ということです。
あなたの人生最悪の時期が、実はあなたに力を与えてくれる宝になることもあります。
四面楚歌、思うように行かない苦しみの中だからこそ、神への信仰が増すことがあります。

P.S. 心身ともに健康を取り戻したヨブは、遂に以前よりもたくさんの家族や、富・家畜に恵まれるようになりましたとさ。

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ボディメカ二クス
2007-12-19 Wed 00:08
NPO介護保険マネージャー科の実習に、「ボディメカ二クス(=移動介助の技術。クライアントの身体の動かし方のコツ)」がありました。

身体の各部位の重量・重心バランスが作用する力を有効活用することで、クライアント・介助者共に、身体にかかる負担を減らすことができる手法です。元空手家に言わせると、「合気か太極拳のような力の使い方で、クライアントを反転させたり立たせるとき、自分の手・腕など末端の力でなく、身体の中心部分の力を使う」動作のことです。

その「ボディメ」発動のための注意は、実は基本的なことのみで:

●クライアントの身体を小さくまとめる
(例:仰向けに寝ているクライアント。両腕を胸の前で交差し、手で反対側の肘を持つ。また膝を立ててもらう。その体勢で膝を倒せば、ベッド・布団の上で簡単に反転できる。)

●クライアント・介助者の重心を近づける
(例:立ち上がり介助。クライアント・介助者の立ち位置が近いほど、少ない力で上がる。)

●支持・基底面積を広くし、重心を低くする
(例:足幅を広くとり、膝を柔らかく使って重心を落としている方が、安定している。)

●広い筋郡を使う
(例:腕力で上げるより、肩にもたれさせてお互いの足の立ち上がる力で上げた方が楽。)

●介助者の重心移動でクライアントを動かす
(例:二人とも立った状態。介助者の円周運動で、中心のクライアントの身体を反転させる。)

●てこの原理を利用
(例:肘をベッドにつき、クライアントの膝を支える前腕をてこの原理で引き上げ、横臥から仰向けに戻す。)

●ベクトルを利用
(例:椅子に座っているクライアント。まず前方に「おじぎ」をしてもらうと、頭が下がるにつれお尻が浮いてくる。クライアントの足に体重が乗っているので、介助者がクライアントの身体を預かり一緒に立ち上がれば、双方楽に立ち上がることができる。)

などです。

生活に関する動作は全て、クライアントにとってリハビリを兼ねた運動であり、その目的は「クライアントが自力でできるところはしてもらい、できないところをできるように訓練する/設備整備する」ということ。

食事から排泄まで何でも「一人でできるもん」状態が、実は人間の尊厳・自信につながります。このため、日常生活動作(ADL)の量と種類を増やし、クライアントの望む自立生活を達成できるようお手伝いすることが、介助者のゴールです。

あくまでも、クライアントの持っている力を最大限利用して、自立・再生の基盤とする。
介助者は最小限の動作的支えと、最大限の励まし・勇気付けをする。必要ならば手すり付きベッド、介助用食器や歩行器などの必要機材を用いて、クライアントができるADLの範囲を増やしていく。

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【IIサムエル記】まとめ
2007-12-15 Sat 20:57
Iサムエルに続き、サウルの死後ユダ・イスラエル王となったダビデの生涯録です。

主に従い、主に信じて連戦してきた紅顔の少年ダビデが、ついにその王国を切りとってから。王国を護り繁栄させるために、さらに戦いの日々に身をやつしてから。
ダビデ自身、権力の中で揺らぎ、また揺さぶられていく姿が描かれています。

IIサムエルの特徴を言うと、
ダビデとその周辺における、人間同士の「確執」「対立」「復讐」かも知れません。

●サウル家とダビデ(サウル家の残存勢力の凋落)

●アブネルとヨアブ(余興の試合から殺し合いに。ヨアブは弟アサエルを喪う。その後アブネルに報復し殺害)

●ダビデとミカル(最初の妻、ミカルは別の男性と結婚していたが、ダビデにより引き剥がされた。二人の愛なる関係はもはやなかった)

●ダビデとアヒトフェル(アヒトフェル>エリアム>バテシェバ=ウリヤ。これまでの忠義を踏みにじられたアヒトフェルの報復)

●アブシャロムとアムノン(妹タマルを犯したアムノンを、2年待った後、アブシャロムは殺害している)

●ダビデとアブシャロム(アブシャロムはダビデをその王座から追い落とし、命さえ狙った。アブシャロムは戦死)

●ダビデと、主なる神(自国の生産力や戦力に頼るべく、ダビデは人口統計を行なった)

一見華やかであった王としての生活ですが、ダビデの身の回りにはいつしか敵も内包されるようになり。
そうして迫り来る国難と、信仰から迷い出ての試練…。

その中で王ダビデは主に立ち返り、主に祈りつつ、40年に渡る波乱に満ちた生涯を歩むことになるのです。

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傾聴について
2007-12-14 Fri 00:51
(皆さま、更新長らく遅れておりました。ごめんなさい。また「何であたしがこんな目に?I つづき」も現在執筆中にて、少々お待ちくださいませ。今日はちょっと違う題目で)

「傾聴(けいちょう)」という言葉を、あなたは聞いたことがあるでしょうか。端的に言えば「①自分の観念や主張を交えずに相手の話を聴きとり、また②質問するなどして相手の感情表出を促す」ということです。クリスチャン的に言いますと、傾聴とは
「あなたが神さまに怒りをぶつける時、どうしようもない人生の困難に嘆き喚く時、主があなたの言い分を聴いてくださるように、そのように聴くこと」でしょうか。

誰しも主イエスキリストに呻いた経験の持ち主でしたら、上記の表現をご理解頂けると思います。「傾聴は技術」とも言えますが、まずその精神を知るためにも、主に自分の嘆きを聴かれた経験を持つのは大切です。よいお手本があれば、私たちはそれに従うことが出来るからです。

<神は紳士です>
上記、少し詳細を書きますと、神はあなたが不平不満を並べ立てたり、一心不乱に祈ったり、「次はこれ、その次はあれ」と忙しく神頼みをしていると――Gentlemanなので、例えば天の大音響を鳴り響かせ、あなたを止めてまで意見しようとはしません。

そう、あなたが胸のつかえを全て吐き出して、静かになるまでは。
神は沈黙を守ることが多いのです。
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聖書のことば 【Iサムエル記】
2007-12-14 Fri 00:01
【Iサムエル記】

【Iサムエル記】まとめ
Iサムエルは歴史書であり、ドラマチックな人間物語でもあります。Iサムエルは:

預言者サムエル、
イスラエル王サウル、
そして後の王ダビデ

の人生、彼らの信仰の歩みを描きだした書簡であり、サムエル自身、また歴史学者ナタン・ガドらが作者だと言われています。

章節の概略は、

1.母ハンナの祈りとそのひとり子の聖別、
2.従順なるサムエルと神の親密な関係から始まり、
3.預言者サムエルの活躍、イスラエルの繁栄(ちなみに、彼の一番最初の預言は腐敗した神官たちの死でした)、
4.神よりも人間の王を選んだ人間たちへの失望、
5.サウルの聖別、栄光とそして躓き。
6.神の霊がサウルを離れ、代わりにダビデが油注がれる。
7.サウルを悪霊が襲い、彼は狂気に苛まれ、その矛先はダビデに向く。
8.遂にサウルはペリシテ人の手に落ち、その息子たちも死に絶える。

という、人間サウルにとっては非常に孤独で残念な、
そして神の選びの子ダビデにとっては、苦しいながらも報いある旅路が描かれています。

特に、悲劇的ともいえるサウル王の人生からは「主の与える機会と、我々の選択」について深く考えさせられます。
サウル王の即位は、人民から祝福されたものでした。彼は全ての名誉、権威、富、武力、そして美貌さえも与えられた主の器でした。しかし彼の末期は、大敗し、敵軍に追われ死の恐怖に晒されながら、「神は私から去ってしまった」ことを噛み締めての死だったのです。何が狂ってしまったのでしょうか。

それはサウルが神の意思でなく自分の想いに従って生きたからではないでしょうか。躓きの最初にして最大の物は、聖絶せよと告げられた分捕り物の内、最良の物を自分たちの物として取り置いたこと。そしてそれをサムエルに咎められると、「民が惜しんだから取っておいた」「民の声を恐れた」「今から捧げるところです」と責任を転嫁・回避しようとします。

つまり、神の使命でなく自己都合、
神のことばでなく民に受け容れられる方針を選んだのです。

その時、神はサウルを王位から退けられました。

反面ダビデは、群れの中で一番小さく、若く頼りないと見えた存在でしたが、創造主である神はその真価を見抜かれておりました。ダビデには謙虚さ、正直さと合わせて、絶えず祈ること、また信仰に立つ勇敢さが溢れていたからです。後のイスラエル王として建て上げられる器は、信仰に歩む私たちにとって良い手本と成りました。

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聖書のことば【I列王記】
2007-12-13 Thu 21:37
【I列王記】

ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。
「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。
あなたの、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。I列王2:1~3

「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」I列王3:9~14

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聖書のことば【IIサムエル】
2007-12-12 Wed 21:12
【IIサムエル記】

、主よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。、主よ。これが人の定めでしょうか。
、主よ。このダビデは、このうえ、あなたに何をつけ加えて申し上げることができましょう。あなたはこのしもべをよくご存じです。
あなたは、ご自分の約束のために、あなたのみこころのままに、この大いなることのすべてを行ない、このしもべにそれを知らせてくださいました。
それゆえ、、主よ。あなたは大いなる方です。私たちの耳にはいるすべてについて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかにはありません。IIサムエル7:19~22

ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。
しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」IIサムエル12:13~14

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聖書のことば【I サムエル記】
2007-12-11 Tue 22:01
【I サムエル記】

ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」Iサムエル1:15

主は殺し、また生かし、
黄泉に下し、また上げる。
主は、貧しくし、また富ませ、
低くし、また高くするのです。
主は、弱い者をちりから起こし、
貧しい人を、あくたから引き上げ、
高貴な者とともに、すわらせ、
彼らに栄光の位を継がせます。Iサムエル2:6~8

それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話ください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。
そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル、サムエル。」と呼ばれた。Iサムエル3:9~10
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聖書のことば【ルツ記】
2007-12-10 Mon 08:57
【ルツ記】

ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」ルツ記1:15~17

ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を酷い苦しみに会わせたのですから。
私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらい目に会わせられましたのに。」ルツ記1:20~21

彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して、彼に言った。
「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」ルツ記2:10~12

こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。
女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」ルツ記4:13~15
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【士師記】
2007-12-09 Sun 12:53
【士師記 まとめ】

士師記は、ヨシュア死後のイスラエルの歴史を、約410年間に渡り記録した歴史書である。
特徴的なのは、

①イスラエルが他民族の信仰する偶像や、宗教慣習・淫行に誘惑され、創造主である神の道から外れるたびに、
②積年の恨みを果たそうと周辺の他民族が立ち上がり、イスラエルを攻め、これを支配下に置く。
③その塗炭の苦しみの底で、人々は主に立ち返り、
④その嘆きを聞いた神が、士師(司祭・英雄)を起こして救済する
(⑤勝利を味わった民は年月を経て傲慢になり、主の道から外れる)

という流れである。
それはイスラエル民族の中に、罠となり誘惑となる他民族を残した(=聖絶しなかった)ことから、起きるべくして起きたことでもあった。ここに人間の弱さ・愚かさが繰り返されるのである。

以下にその略歴を記載する。

ヨシュアの治世→
 ×略奪者(周辺諸国)の攻勢
さばきつかさ
 ×アラム人の支配(8年)
「カレブの甥」オテニエル
 ×モアブ人の支配(18年)
「左利きの」エフデ
「牛の突き棒」シャムガル
 ×カナン人の支配(20年)
デボラ(バラク)
 ×ミデヤン人の支配(7年)
ギデオン
 ×アビメレク(イスラエルの悪行)
トラ
ヤイル
 ×ペリシテ人・アモン人の支配(18年)
「遊女の子」エフタ
イプツァン
エロン
アブドン
 ×ペリシテ人の支配(40年)
サムソン
王不在の時期
 ×イスラエルとベニヤミン族の対立
→サムエルに続く。

イスラエル人たちは、苦しみの中にのみ、神にすがる謙虚さを取り戻したことが分かる。
そして、その一度は離れていった民、自分を尊ばなかった民を、神は悔い改めのたび救わんと手を差し伸べたのである。

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【ヨシュア記】
2007-12-08 Sat 09:45
【ヨシュア記 まとめ】
モーセの後継者、ヨシュアの人生を通して現わされた、神の御業の記録。イスラエル12部族が攻め取った町々の相続内容。そして、死に臨んでヨシュアがイスラエルの民に伝えた遺言と、主に従っていくための決意を新たにさせる語りかけが含まれる。

前半のヨシュア戦記では、主がどのようにイスラエルの民のために戦ったのかが記載される。まことに太陽の動きを止めるほど、神が直接介入された戦は「先にもあとにもなかった。」この森羅万象の主への従属を見、体感した者たちが生存している間は、イスラエル民族は少なくとも神の目に悪と映るようなことはしないで済んできた。これはひとえに、神に導かれるままに偉大な指導者 モーセからの困難な役割りを引き継ぎ、領土を拡大発展させ、部族間の軋轢を解消し、そしてイスラエルの信仰への決意を固めさせるに到ったヨシュアの、主に明け渡した生き様による。

ヨシュア記の最後は、ヨシュアとその側近の治世以後、イスラエル人が再び迷い出る前兆を書き記している。砂漠での40年にわたる生活で、人の弱さと迷いを知り抜き、その躓き易い性向が必ず主の怒りを引き起こし、災いをもたらすことを知っていたヨシュアは、それでも「私と私の家族は、主に仕える」と言い切った。その神への全面的信頼、その土台が、彼をしてイスラエル国家の骨組みを作り上げ、強化する力の源泉となったことは疑いようがない。

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【申命記】
2007-12-07 Fri 12:11
【申命記 まとめ】
モーセが生前、イスラエルの全ての民に告げたおきてと定めの言葉。また、その教えを与えられた歴史的経緯が記述されている。
ここで書かれる神は、荒野の厳しい自然を背景とした父性の神であり、その教えに従う者は祝福するが、逆らう者を容赦なく滅ぼして来た。モーセはこれに警鐘を鳴らし、イスラエルの民に主の道から離れることなく、子々孫々迷い出ないように警告した。
モーセは、神と顔と顔を合わせて直接対話した、最後の預言者として知られている。神と「うなじのこわい民」との間で取り成しをする、モーセの労苦の片鱗が到るところで伺える。
またこの書にはモーセが死に至る直前に語った、次期後継者(ヨシュア)、また各部族に対する戒めと祝福が含まれ、モーセの遺書としての意味合いもある。

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【民数記】
2007-12-06 Thu 21:49
【民数記 まとめ】
そのタイトルが示すとおり、この書の一部はエジプトから旅立ったイスラエル人の国勢調査を行なった際の記録である。各国勢調査は①エジプトを発った直後②約束の地カナンに入る前に行なわれている。軍事面において大切な局面で行なわれたのであろうか。
それに加えて、荒野でのイスラエル人集団の40年にわたる流浪の物語である。しかも民が不満・怨嗟の声を上げるたびに、神の怒りが燃え上がり不穏分子を抹殺しながら(語弊がありますね…)旅を続けた期間の記録である。またレビ記にも重複するが、主がモーセを通じてイスラエル人に命じた命令と定めが書かれている。

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【ネヘミヤ記】
2007-12-05 Wed 17:41
【ネヘミヤ記 まとめ】
BC586~537年の期間に、新バビロニア帝国の捕囚となり、その強制移住政策により故郷を離れたユダヤ人たち。移住は一時的なもので、すぐにエルサレムに戻れると楽観視する世論もあった(エレミヤ・エゼキエル書)が、エルサレム神殿が破壊され、城壁が打ち崩された時に人々の希望は絶望へと変わった。
その後半世紀を待って、アケメネス朝ペルシア帝国がバビロニア帝国を破り、ユダヤ人たちは故郷に帰る許しを得た。民の多くは移住地で職・住まいを得たり、相応の地位に着いており、それらを捨てて廃墟と化したエルサレムに戻ろうとする者は少なかった。
そんな中、祖国の荒廃を嘆きその再興の礎となったのがネヘミヤである。祭司として、実業家として、王の献酌官として、彼は自分のエルサレム再興計画をじっくりと練り、そして明確な工事時期と必要資材の要求を挙げ、王の合意を取り付けるに到った。
そして、再興を望まない外部の圧力のみならず、敵の内通者の害、身内の弱音、批判の害を通されながらも、ネヘミヤとその同労者たちは信仰を保ち、城壁を完成させた。故国に集ったユダヤ人たちが、招聘されたエズラの読み上げるユダヤ人の歴史と、主である神の約束を聞いて深く理解し、涙する場面には胸を打たれる。

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【レビ記】
2007-12-04 Tue 16:55
【レビ記 まとめ】
主からその権威を与えられ、イスラエルの民の長としてモーセが定めた法律/慣習法。
その中には十戒をはじめとして、イスラエル人が守り行なうべき事が詳細に書かれている。

いけにえに関すること、祭司の務め、
食べてよい食材、
汚れ、またその清めについて、
感染症(らい病や漏出)について、
性について、
在留異国人、
祭司の結婚について、
安息日について、
仮庵の祭り、
刑罰、
農業について、
ヨベルの年について、
土地の所有権について、
信仰に反するとき、
誓願について、など。

レビ記は、主イエスの生きた時代の背景を知る上で貴重な資料となる。特に長血の女(マタイ9:20~22)・らい病人(マルコ1:40など)に代表される、「汚れ」とされた病人、身体・精神障害者とその家族の扱いは、当時の社会情勢や慣習を知らなければその痛みの深さを理解できない。
また、このレビ記に語られるユダヤ法は、現代ユダヤ人社会でも脈々と生きている。日本人にとっては恐らく馴染みにくいものだろう。だからこそ、異文化理解の第一歩として価値ある文献である。
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【出エジプト記】
2007-12-03 Mon 23:02
【出エジプトまとめ】
アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、ヨセフがエジプトの宰相となり、平和な治世を実現した、そんな功績をエジプト人らが忘れ去るほどの時間の経過の後。イスラエル人勢力の隆盛に危機感を覚えたファラオが、イスラエル人搾取・迫害に乗り出した。
一度はファラオの王宮で教育を受け、王の軍を指揮し、栄えある立場に立っていたモーセはその様を見た。そんなある日、義憤よりエジプト人奴隷監督官を殺害してしまい、その裁きへの恐れから辺境に逃れる。そこで「燃える柴」に象徴される神から宣託を受け、同胞イスラエルを救うためエジプトに戻る決心をした。執拗にモーセの行動を妨げ、奴隷としてのイスラエル人たちを鎖につなぎとめておこうとするファラオに対し、モーセは神の力を借りて十の災厄をもたらし、終にイスラエル人同胞とともに約束の地を目指し出発する。

本書は大まかに言って2部に分かれる。
前半部、神にあるモーセの冒険譚と、後半部、十戒をはじめとするイスラエル人に対する教え、戒律の記載である。モーセの言う「うなじのこわい民」と言う表現があるが、現代も周辺アラブ諸国と争いの絶えないイスラエルの国策のみに目を留めると「我が意を通す」ことに汲々とする国民性があるのか。そのことからも、エジプトから脱出した100万人家族を律するのは大変な労力であったこと想像に難くない。愚痴っぽく、時に不従順で、偶像を求めたり、自分の利を追ったりする民をまとめ上げるために、神の火柱の元でとは言え、モーセも多分に苦労したのであろう。

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後藤の日報 11月15日~12月2日
2007-12-03 Mon 00:47
長いので「続きを読む」内に掲載。
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【創世記】
2007-12-02 Sun 21:38
【創世記まとめ】
神の天地創造。また人類の初穂の犯した自己中心(自分を神とする欲望)の原罪について。

また、その後に起こされるイスラエルの祖先たち、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの人生について。彼らの生き様を通して、主がともにある者、主の道に喜んで従う者に、神の栄光が片時も離れずついており、(現状はどうあれ)終には高みに上げられる。創造主である神の、人知を超越した不思議な働き、またその慈しみの愛について書かれている。

その作成時期はBC4,000年(1~11章)より、BC1876年(45章以降)にわたるとされ、聖書における最古の書であるとともに、最も作成期間の長い文献と言えるだろう。

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上野公園 青空教会
2007-12-01 Sat 22:24
上野公園 青空教会(ホームレス伝道*)

今日は再び比留間先生ご夫妻とスタッフの方、上野の信徒の皆さん約300名に会ってきました。明日から始まるアドベントから、来たる主イエスの誕生日に触れたとき、比留間先生が「12月の誕生日の方はいらっしゃいますか」とたずねると、おずおずと上がる手がありました。

その後、もちろんBirthday Songです。小声で歌う方、じっと耳を傾けている方もたくさんいましたが、歌い終えると全体がわっと拍手しました。その光景に、思わず涙が出ました。

ホームレスとして、様々な理由からそれまでの生活を離れざるを得なかった方たち。
社会は認めてくれない。家族にはあわせる顔がないから、正月帰る場所もない。誰一人、心を開いて話せる友などいない…。そんな彼らが思わぬところで祝福され、その喜びを受ける人も、与える人も。お互いに人間らしく笑い合うことができた瞬間でした。

こんな喜びを与えることが、一体誰にできるでしょう?
利益や名声、栄誉を望む人間にできることではありません。
もちろん、細やかな配慮で誕生日を謳った比留間牧師が、言葉を伝えたわけですが。その深奥には、誰一人として滅びることを望まず、蔑まず、愛して止まない神の愛がありますね…。

素晴らしい神の御手の働きが、ますます力増し加えられるよう。微力ながらの手助けと、感謝の祈りをもって応援していきたいと思います。

とりいそぎ。

主にあって
ごとう ひでたか 拝

*ホームレス伝道:足立区梅島にあるトポス教会 比留間牧師ご夫妻が約9年前より、前任者より引き継がれた福音伝道の一部。雨や雪にかかわらず、毎週土曜日、上野公園で賛美・礼拝・温かい食事の提供等を行なっている。
比留間牧師が「名前のない奉仕」を目指し、ネット・メディア告知を避けて来られたので、現在までトポス教会のホームページ等もありません。このため、「ホームレス伝道?初耳」という方も多いことと思います。

その「名前のない」ポリシーに反することではありますが…、今回の記事は只の一ファンが勝手に書いたことです。より詳しくお知りになりたい方、お手伝い・奉仕されたい方は、ぜひ土曜日午後2時からの礼拝の時間に間に合うよう、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

連絡先:
トポス キリスト教会
〒121-0816
東京都足立区梅島 2-14-1
電話:03-3880-0335
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【ヨブ記】
2007-12-01 Sat 21:34
【ヨブ記まとめ】
人生の度重なる不幸災難に打ちのめされたヨブ。成功から転落したその病床で、3人の長老、ヨブの友人らが言葉をかける。
しかし最初慰めであったその言葉は、「ヨブが何か罪を犯したから神に罰せられた」「神はあなたの欠点を矯正しようとしている」「だから悔い改めよ」…という訓戒に変わって行った。底辺で苦しむヨブは、安定の中にいる友人らが語る言葉に「お前たちに何が分かる」と態度を硬化した。
そして、自分の善行を取り上げ「私は神と直接議論したい」と語る。頑ななヨブに対して、長老たちが言葉を失ったあと、若者であるエリフが神の真意を示した。それはヨブが「神を理解した気でいた」「自己都合で神を測っていた」という過ちであった。
全て、最後の告白に出てくるが、ヨブは神の「うわさを聞いてい」て、それを自己流に解釈し、「神とは」という想いを強めていた。
しかし神のその意図も、存在も、人間の想いを遥かに超えた存在であり、自分が神から遠く離れた者であることを思い知ったのである。

そのヨブ記の言葉に「私の証人」「私を購う方」「御使い/代言者」という仲裁する存在が語られている。
聖書の中で創世記と並び最古(BC2100~作とも)と言われるヨブ記に、神と人間との間を執り成す主イエス・キリストの存在が描かれていることが、非常に興味深い。

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