後藤 秀孝
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JAPAN
「みんなの教会」プロジェクト III
2007-08-26 Sun 18:44
6. だから…「みんな」で福音(Good News)

イエスがこの世界に示してくれた「良い知らせ(福音)」とは、要約するとこういうことです。

エゴや欲求に支配され、心が冷めてしまった私たちに、主は自分のいのちを与えることで「あなたも愛されている」「あなたも愛することができる」と教えてくださいました。(Iヨハネ3:16、3:23、4:7~8、16)

そして一人の落伍者も望まず、皆がこの世界の縄目(罪)から解放されて、自由になる道を示してくれました。(ヨハネ14:6)

家を建てる者たちの捨てた石…。
罪にまみれ、見栄っ張りで、弱く、傷だらけ…。世間からは批判され、見放され、否定された経験のある者たち…。

そんな私たちの中から、偉大な指導者が。歴史に残るような勝利をもたらす神の部隊が。癒し手が。いのちの声が。神の歌い手が。生きる見本が。巨人が。王たちが。花々が。

全ての美しいもの、価値あるもの、真実なもの、誉れあるもの、正しいもの、清いもの、愛すべきもの、評判の良いもの、徳の高いもの、賞賛に値すべきものが、次々と出てきます。彼らは共に立って、世の暗やみの力に、主の戦いを挑みます。

彼らは、「どこかにいる、誰かさん」ではありません。
私であり、あなたなのです。
そして、戦いの時はもうすでに来ています。だから、みんなで福音!
(参照 ピリピ4:8、ゼカリヤ10:4~5)

<あなたの手の届くところに>
誰にでも、その声が届く人がいます。

それは、お父さんであり、お母さんであるかもしれません。
悩み傷ついている友達かもしれないし、職場の同僚や部下、主婦の会の仲間かもしれない…。

そこから始めてください。彼らの涙も、神にあってまた数えられているのだと…。その涙の意味を理解して、しかも益に変えてくださる方が、いるのだということを…。この世界にまだ、信じるに値することがあることを…。

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「みんなの教会」プロジェクト II
2007-08-25 Sat 17:23
前回はこちら。

3. 「教会」とは
前項で述べた、「罪人」そして「神に愛される者」…そんな私たちが集まり、互いに心を配り合い、知恵・感謝・愛をもって励まし合い、育て合う場が教会です。道場みたいなもんです(そうか?)。

教会」とはもちろん建物や、チャペルや、大聖堂を指す名称でもありますが、本当の教会は私たち一人ひとりの心にあります。そこには、私たちが望めば、いつでも神と直接会うことができる場――聖霊のネットワークが確立されている、精神の場です。

「私たちは世の事柄に忙しく、神のために割く時間があまりないが、反面超多忙な神は、いつでもそこにいて、あなたのためだけに時間を用意してくださる。」と言うのは真実です。

ですから、教会へは行かず一人で聖書に親しみ、神に祈り、賛美し、救われることも可能です。しかし、神があなたに与えている「人生目標」を見いだし、それを生きるためにも。他人との出会いを止めるべきではありません。神は他人の口を使って、あなたに語りかけることもありますし、あなたにしか触れられない魂、癒せない傷、拭えない涙が、そこには必ずあるからです。

そう。牧師であれ、信徒であれ、人からの助言を聖書の記述と比較、十分吟味し、神に聞いたうえで「正しい」とこころで頷くなら。そのメッセージはあなたの人生の宝になるかもしれません。その出会いは、あなたの生涯を変えるものになるかもしれません。

それは神が、主の道に歩む者が必要なときに、必要な師や友に会えるように、すべてを働かせて下さっているからです。

ですから、教会を訪ねてみませんか。人間の営む組織なので、好き嫌いも、向き不向きも「ちょっと違うんでない?」ということもあるでしょう。その時は別の教会を探せばよいのです。大切なのは、「探し(続け)なさい、そうすれば見いだします。」ということです。
(エペソ5:29、コロサイ1:24、Iコリント6:19~20)

その挑戦の後で、やっぱダメだわ~、という場合は。この場所に、いつでも戻ってきてくださいね。あなたは最高の友人として、仲間として、大歓迎ですから…!

「この教会どうでしょう」チェックリスト
● 主イエスキリストや神のみことばより、カリスマOO牧師への傾倒がある
キリストへ導くことをせず、OO牧師への個人崇拝を奨励するような傾向)
● 「神中心」でなく、「人間中心」「組織中心」な考え方が浸透している
● 教会での教えが、聖書内容に反している場合でも許容している
● 権威を示す為「超自然的」「宗教的」手法を多用・強調する
● 「神のみことば」を都合の良いように解釈し、大衆受けや経済効果ばかりを狙う

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「みんなの教会」プロジェクト I
2007-08-25 Sat 17:18
「みんな」の「教会
Biblical Background

1. 「みんな」…罪人
「私たちは皆、罪人です。」と言うと、「え~、そうかな?」と思われる方が大半ではないでしょうか。

だって、法律はちゃんと守っているでしょう。税金も払っている。人殺したことはないし、怪我させたり、物を盗んだり、浮気したこともない。たまに嘘つくこともあるけど、そんなに悪くないよ。親の面倒もちゃんと見ているし、第一他人に迷惑かけてないから。

そうですね。法で定められたこと(聖書であれば、モーセが述べた十戒の内、第九まで)、また人道的モラルは、守られている方がほとんどだと思います。

反面、主イエスはこう言われました。
私たちの心に、自己中心、不遜なプライド、怒り、嫉み、不満、情欲、羨み、保身、絶望、完ぺき主義、批判、自己憐憫などがある限り、私たちは誰しも罪人なのだと。罪の重荷を背負っているのだと。

つまり、神が創造されたこの世界で「何でも、自分が望むとおりにならなきゃヤダ」と、あたかも自分が神であるかのように願い、切望すること…。

私のこと一番に想ってくれなきゃ、ヤダ。
家は最低100mt2なきゃ、ヤダ。
家族はこうでなきゃ、ヤダ。
大学は私立でなきゃ、ヤダ。
年収500万上じゃなきゃ、ヤダ。…

そんな、私たちが誰しも持っている傲慢さ(I deserve better)が、罪の正体です。
そう、生きとし生ける者、誰ひとり例外なく経験していることが…。

それは、聖書にもある通り。
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリストイエスのことを求めてはいません(ピリピ2:21)。」という「この世の想い」と、
「…生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです(詩篇143:2)。」という記述の通りです。

逆に言えば、だからこそ主にあって、私たちはみんな平等なのです。

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あなたの霊の感受性
2007-08-23 Thu 21:14
(と言っても霊感の話をしているのではありません。あしからず。)

聖書を通じて神が与えてくれている「知恵」の探求を、山登りに例えてみましょう。

ある人は、新緑に溢れる山に登って「ああ、何て素晴らしい自然だ…。」と感嘆します。チャンチャン。

反面、それが例えば、山菜摘みの達人だったら。
ロッククライミングのエキスパートだったら。
地質学者だったら。
詩人だったら。
釣り人だったら。
自衛隊の山岳部隊の人だったら。


同じ山に見いだす物は、全く違う物かもしれません。

山菜摘みの達人は「これは食える、あれは毒だ、あれは傷薬に使える」という理解を得るでしょうし。
クライマーは「あの南壁を制覇するには、ロープOOmtとアンカー、カラビナ…が必要だろう」と結論するかもしれません。
地質学者は「この地層は何年の火山噴火によるもので、断層が浸食なく保存されている」といった見解を得るでしょう。

詩人ならば自然の美しさを謳い上げる詩が。
釣り人ならば渓相や、それに適した仕掛けが。
部隊所属の方には取水の利便、アンブッシュポイント、罠…そんな物が頭をよぎるかも知れません。

同じ山を見ていても、その人の知恵と感受性によって、得られるものは全く異なるのです。

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キリスト教について質問
2007-08-22 Wed 15:57
注:Yahoo!知恵袋に掲載されていた質問。もうとっくに締め切られていましたが(システムがよく分からん)、皆さんと共有する価値があるかと思い、載せてみます。

キリスト教について

Q. キリストはマリア様が処女なのに妊娠してできたと子だと言われていますが、科学的に考えても、普通に考えてもありえないと思うのですが、なぜ大勢の人が信じているのでしょうか?
キリスト教信者の人達は、この事に関して疑問に思ったことは一度もないのでしょうか?

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あなたは神の存在を信じますか?私は絶対に信じません。
2007-08-20 Mon 21:46
注:Yahoo!知恵袋に掲載されていた質問。もうとっくに締め切られていましたが(システムがよく分からん)、皆さんと共有する価値があるかと思い、載せてみます。

Q. あなたは神の存在を信じますか?私は絶対に信じません。

なぜ人々は神を信じるのですか。仏、キリスト、イスラムのように何人もの神がいるから戦争や紛争、内戦が起こるのですよね?仏とキリストとイスラムの神が仲良くしないから人々が次々に血を流して倒れていくのですよね?イスラムにいたっては同じ宗教の中で争いをしていますよね。なぜイスラムという1人の神は同じ宗教同士の争いを止めさせないのですか。
本当に仏、キリスト、イスラムが神だったらお互いに仲良くして世の中から争いをなくすべきですよね。
子は神から授かったもの。ではなぜ、その子が人を殺したり人によって殺されたりするのですか。どう考えてもおかしいですよね。神は人々と己を永久に幸せにする存在ですよね?でも現実は神という形なき物が存在するおかげで人々が不幸になるのですよね?
3人の、無力で互いに仲良くもできない神なんて存在するべきでないと思いませんか?

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I deserve.
2007-08-19 Sun 20:41
「仕事より、結婚生活のほうが大事でしょう?」
「なのにあなたは、仕事仕事っていつも忙しくしてる」
「仕事から戻っても、自分の趣味のためにすぐPCに向かう」
「下らないブログに時間かけて、人生を費やして」
「自分の家族の面倒も見れないくせに、一体どうやって他人さまの心を助けるって言うの」
神さまも言っているわ。自分の妻を愛せよって」
「家族が一番大事ってことが、分らないの」
「妻の言うこと、聞くべきよ」
(私を見て。私を理解して。私を認めて。私を大切にして。私を愛して…)

仕事人間で、すまん。
家庭でも、将来のネタ準備に忙しくて、すまん。
面倒は、経済的な面倒と、人生を共に費やすことぐらいしか、みてやれん。すまん。
「愛せよ」と命令されると、逆に反骨心が芽生えてしまう小さな器で、すまん。
家族より、妻より、大きな目標が見えてしまった。すまん。
お前の言うことも、聞いているが、十分でなくて、すまん。

お前の怒りの根源を癒してやることができず、すまん。
お前は、「あんたのせいよ」と言う。確かに、私の言動もあるだろう。
しかし、お前の怒りは、お前の内面から噴出してくるものだ。
私にはその怒りの根源を取り去ることはできない。
神の御手に従い、お前自身でその核を除くしかない。

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歌う
2007-08-18 Sat 16:15
歌には力があります。そう聞いて、うんうん、と頷いてくれる方は、ミュージシャンの方たちだけではないはず。

しかしその「力の源泉」が、どこにあるのか?そんなことを考えさせられる機会が、先日ありましたので共有させて頂きます。

一つ目の例は、ある方のブログで。戦後東京で孤児院を開き、戦災孤児たちを集めて活動されていた女性(仮に、智子さんとしておきましょうか)のお話です。

大空襲あとの東京は、文字通り焼け野原でした(第二次大戦の被害で、原爆の威力が語られることは多いのですが、東京大空襲の意図的な大虐殺――焼夷弾でまず円を描き、人びとを輪の中に閉じ込めた上で、絨毯爆撃を仕掛ける――については、あまり語られていません)。目に映るものは、辛うじて残った鉄筋と、燃えかすだけ…。ただでさえ暑い夏の日差しの中、日よけになる木も、建物もなく。拾ってきて立てかけたトタンは熱く焼けて、とてもその下に身を隠せる代物ではありませんでした。清潔な飲み水も、満足な食べ物も、トイレも、医療施設も、もちろんありません。

そんな状況で、親を喪った子どもたちを孤児院に集めて、智子さんが懸命に面倒を見ていました。無口で、感情を失ってしまった子どもたちに、微笑みを取り戻してもらおう。そう決意して、何も満足に手に入らない中、歌を歌ったり、踊りを教えたりしながら、活動していました。

そんな、ある夕方のこと。かろうじて雨露を防げるようになった孤児院に、二人の酔っ払いが押しかけてきました。すでに赤ら顔で、吐く息はお酒の臭いに満ちています。そんな彼らが、欲求不満と腹いせのはけ口として、孤児院に踏み込んできたのです。

智子さんには、もちろん彼らを追い出したり、撃退する力はありませんでした。

そんな時、子どもたちを励まして、智子さんは歌を歌いました。できる限りの抵抗。自分の中の怖れを、ただ歌によって忘れるように。

「夕焼け小焼けで 日が暮れて
遠いお寺の鐘がなる
お手てつないで みな帰ろう
からすと一緒に 帰りましょう」
(作詞者 中村雨紅/作曲者 草川 信)

智子さんと、年端も行かない子どもたちが、無心に歌ったこの歌は。
しかし、その二人の男性の心を、はげしく打ちました。

彼らの目には、涙が溢れ。
その声には、嗚咽が漏れたのです。
彼らはその涙を恥じるように、孤児院を出て行きました。

<なぜ…?>

二つ目の例は、ある若年天才歌手の話です。彼女のことは、アナとでも呼びましょうか。
アナがその美声をもって欧州を席巻していたとき。当時クラッシック界の大御所であったステファン氏が、彼女の舞台を堪能したあと、隣の友人たちに語った言葉です。

「彼女の歌は、きれいすぎる。そこには傷もなく、暗やみもない。
もし誰かが彼女のハートを砕いたのなら、
彼女は文句なしに、欧州最高の歌手になるだろうに。」

<なぜ…?>

三つ目は、スリランカの刑務所で歓迎に供された、意味も分らない、拍子もランカ風な歌についてです。過日書きましたが、刑務所内に満足の行くような楽器があるわけでもなく、レントゲンのフィルムを枠に張っただけのドラムで女性が拍子を取り、歌い手が高く、低く、その声を張り上げて歌うわけです。

そう、見ず知らずのガイジンに対する、最大限のWelcome。彼女たちができる、最高のおもてなしとして。ベスト・セレクションの中の、特に素晴らしい歌(後で聞いた話ですが、入所者たちのオリジナル曲)を披露してくれたのです。

そこには、言葉が通じないにもかかわらず。私の妻を泣かせるだけの、深い心の響きが刻まれていました。

<なぜ…?>

<「歌」のちから>
ここで、皆さんが泣いてしまった曲を、頭に思い浮かべてください。

聴こえてきましたか…?

その中で、一体何が、あなたを泣かせたのか。少し考えてみましょう。

声。美しく、悲しい声で歌う方はいらっしゃいます。でも、声だけじゃ泣けないぜ?

メロディ/曲。これは、「ここのギター部分にしびれる!あこがれるぅ!」という一部マニアックな人にしか、分からない涙かも。

歌に込められた想い。歌手が乗り越えてきた人生の艱難が、想いが、その歌声に顕われるのでしょう。サブちゃん始め、底辺から始められた演歌歌手の唄と、もーむすを聴けば、自ずと分かります。これは、例2・3ですね。

そして、歌詞。特に、その内容が自分の状況や悲しみにかぶると、涙が溢れてしまうこと、あるでしょう。
例1の「夕焼け小焼け」は、失われた「家」「家族」「安らぎ」「愛」を歌っていたので…。それを喪い、荒れていた男性の心にも、響いたんでしょうね…。

それら全てが、渾然一体となって耳を抜け、体を震わせ、私たちの脊髄を走り抜けたとき。

私たちの中に広がる情景。
私たちの「現在」や「過去」。
私たちの知る友や、肉親の顔。
私たちの内に秘められた想い…。

それらが、私たちを泣かせるのだと思います。

曲ではない。カラオケの上手さではない。
その歌に込められた想いと、歌い手の人生そのものが。
私たち聴衆の想い、人生とシンクロして初めて、涙がこぼれるのでしょう。

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人を傷つけた
2007-08-18 Sat 15:53
私は虐める側も、虐められる側も経験しています。

昨夜気付かされたのは、「虐められた経験も、確かに鮮明に残っているが、虐めた経験も、申し訳なさとなって、残っているのだなぁ」ということです。


実に人は、被害者としてトラウマを受けるだけでなく。加害者としても、トラウマになるようです。

それは「他人を傷つけたことで、自分の内なる愛や思いやり、優しさをも傷つけてきたから」ということでしょうか。

その場の雰囲気に流され、「みんなで虐めりゃ怖くない」的な愚かで、浅はかな考えに囚われて、一人で耐えている友人を責めた。昔の虐めは多分にPhysicalでしたから、殴る・蹴るなど当たり前でした。

そんな光景が今になって、夢や面影に現れるのです。「すまんかった」という自責の念とともに…。

これまでの人生、一度もこんなことはなかった。
だって小・中学校の話です。遠い昔で、正直覚えてすらいなかった悪事ですよ…。

しかし、虐待に耐えていた、友人の顔…。その内なる叫び…。そうした物が今は、理解できるようになって。

ごめんな…。ということしか、多分言えないでしょうが、彼らに再び会いたい。会って、謝りたい。
そう思うようになりました。

<罪を意識するのは>
それはひとえに主よ、あなたのお陰です。
会って謝り、彼らに私の思いのたけを告げたなら。
加害者である私も癒されることを、あなたが示してくださったからです。
重荷から解放されることを、あなたが告げてくださったからです。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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ごめんなさい。
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心に満ちていることを
2007-08-17 Fri 12:00
Value Systemという言葉があります。その人の価値基準、思考トレンドといったものでしょうか。
それは私たちが、過去の経験・そこから得た教訓・人から聞いたことなどのリファレンスを通じて、日々起きることを「翻訳」し「理解」するプロセスのことです。

ある人は、権力闘争の真只中で、最若年の官僚として活躍し、軍から天下りしてきた上司の下でビジネスを一人切り盛りしてきました。しかし、「裏の事情を知りすぎた」ことから生命の危険を感じ、現在国外に避難しています。

彼の話を聞いていると、やはり「上下関係」「海外出張」「華やかな接待」「富」「権力抗争」「汚職」「隠蔽」「人間不信」「国外脱出した当時の、自由のない祖国」「刑務所でのむごい扱い」「拷問・処刑」など…。彼のValue systemが、話題にも、こちらの話に対するネガな姿勢*にも、滲み出てしまいます。
(*ネガティブな)

またある人は、若くして離婚を経験しました。その時は自殺を考え、しかし果たせず、辛さを忘れようと子どもを残して仕事・学問に励み、――その深奥の傷を、放置してきてしまいました。

話を聞いていると、彼女の受けた傷の深さ、人間不信や恨みが、その言葉の端に出てきてしまいます。ふとした折に、何が一体そこまで激しい怒りを発動させてしまうのか――周囲で話している人間が、びっくりしてしまうほどの拒絶反応や自己憐憫、被害者意識、批判、自助努力のなさが、出てしまうことがあります。

反面、先日あってきた刑務所の入所者たちの多くは。
その過去・現状に関わりなく。
広い微笑みと、他者への思いやりと、まっさらな心根で、彼らの内にあるものを、存分に示してくれました。

「心に満ちていることを口が話すのです(マタイ12:34)。」

という聖書のことばは、非常に重く、正しい。
ことばに耳を傾ければ、その人のValue Systemが分かり。
その人のValue Systemから、その人の人生が分かってしまうからです。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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クリスチャンのネットサーフィン術
2007-08-16 Thu 21:26
ネットに向かう際、あなたはしっかりした目的意識をもっているでしょうか。

それとも、ただ漫然とヤフーの一面記事を、つらつらと。
スポーツ、映画、ゲーム、競馬、セレブ、グラビア、ファッション、アニメ、ブランド、車、キーワード…。
目で追ってしまってはいないでしょうか。

ハイ。私もそうです。
常時接続の甘い罠だなぁ。

そう感じるようになったのは、現在の住居に電話線がなく(大家の意向。電話料金の支払いで揉めるので、入居者には使わせぬ)、従ってネットなしの生活を始めてからです。


ネットを使いたいときは、ネットカフェに行きます。店内PCには日本語フォントがないため、私の旧式IBM持参で行きます。重い。また、そこでは時間課金なので、ケチな私としては「何をするか」を概略だけでも意識して行く必要があるのです。

つまり「買い物行くのに、ショッピング・リストを持っていく」ということ。

スーパーに行く際、具体的に「今晩何を作るか」「冷蔵庫に何があるか」「=何が必要か」を把握してから出ないと、取りとめもない買い物になり、後から「あ、OO忘れた」ということにもなりかねません。「カレーに玉ねぎが入っていない」などという致命打につながります。

逆にリスト化されていると、スーパー店内をすばやく移動しながら、無駄のない買い物ができるのは、皆さんご経験の通りです。

こうしたコモン・センスを、ネット上でも応用してみませんか。
必要な情報を、必要なだけ集める。そのために、ネットに向かう。

そうすることで、セーブできる時間は…。
家族と語り合い、聖書を読み、人生の課題について自問神答するなど。

あなたの人生を、前向きに変革できるに十分な、時間だからです。

あなたも「イエス!」と言えましたか…?
言えた方は押してくださいね♪↓
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スリランカの刑務所でII
2007-08-15 Wed 14:07
(エピソードIについては、こちら)
一度男子房を出て、次は女子房に向かいます。

IDを提示し、荷物を預け塀の中に入ると、最初に案内されたのは本部事務所でした。主任警務官、クマリさんが迎えてくれます。そこにはホワイトボードがあり、入所者人口構成「訴訟中OO名」「軽度犯罪OO」「重度OO」「LTTE関連OO」…などの表記の下に、手書きで16・13と書いてあります。これは何?と聞くと、刑務所内で生まれた赤ちゃんの数、という回答が。

ベテランの女性警察官が、これまた丁寧に案内してくれました。

敷地は広く、男性房と違って花や緑に溢れています。実刑判決を受けた方・まだ訴訟中の方の居住スペースが大部分を占め、その中に医務室、厨房、作業所、保育所が整えられています。

保育所へ行くと、「例の」赤ちゃん・子どもたちunder5が、半分眠り、半分走り回って歓迎してくれました。そして突然4人の子が並んで、お母さんの拍子もままならぬ状態で、歌い始めたのです。あらかわいい。

若いお母さんたちの話を、ロバートが聞き取りすると、さまざまな理由が飛び出します。殺人、肉親に騙された、テロリストの関係など…。
元気を出して、頑張ってくださいね。そう言って私たちが席を立つと、子どもたちはいつまでも追いかけてきて、「バイバ~イ!!×15」みたいな。ありがとう、子どもたち。お母さんたちを元気付けてあげてね。

作業所も見せてくれました。機織物、編み物、宝石加工をはじめ、復帰後学んだ技術を活かして生計が立てられるように、コースを取り揃えています。どの部門にも共通したのは、皆さん全然部外者で何やってるのかわからないガイジンに対して、作ったものをあれこれ見せて、何とも嬉しそうなのです。

<Work Therapy>
物作りは精神を癒します。一心に手作業に集中することで、心の痛みや自己憐憫に浸るのを避けられますし、完成品をみて達成感を得ることもできます。規則正しい生活リズムも、決められた作業があればこそです。(反面、津波後のハンバントタでは、政府・NGO主導で家も食料配布も行なわれていましたが、逆に被災者たちは家に引きこもってしまい、精神的により追い詰められる、ということがありました。)

重度犯罪の入所者たちは、小さなブロックに施錠されています。3.5mt×2mtほどの房に、2名の受刑者が入っています。許されているスペースはその小さな房と、通路のみ。ロバートが色々聞き取りをすると、皆さんつらそうな面持ちで、身の上話を語ってくれます。

実に彼は、行きかう人々に何度も聞き取りをしていました。時に英語の会話で、理解できたものの内、印象深かったのは、尋ねる人尋ねる人「私は3年6ヶ月ここにいます。」「殺人の嫌疑で逮捕されました。」「2018年まで勤めます。」ときっぱり話す、いうことです。

通常、自分が犯した罪を共有するのは、何やら過去の失敗を話すようで、嫌なものだろうと私は思い込んでいました。しかし、彼女たちはそれをすでに人生の一部として受け入れ、淡々と語ったのです。

そして現在訴訟中(=犯罪人ではない)の女性たちが住む宿泊施設では、突然の来訪者のために皆さん立ち上がり、歌を歌ってくれました。悲しい響きの曲で、リードボーカルの方に続き、皆さんが小さくですが声を合わせ、歌います。レントゲン写真のフィルムを枠に張っただけの、手作りのドラムで拍子を取りながら、その声は長く、時に高く、時に緩やかに。美しい旋律を奏でていました。

シンハラ語ですから、勿論歌詞の意味はわかりません。しかし、妻の目には涙が宿りました。

そこを発って、私たちが医務室の前を通りかかると、先ほど会った編み物・機織物部門の女性たちが集まっていました。自分たちで作成したハンカチなどを手渡すために、わざわざ来てくれたのです。そんな優しさと心配りに感謝してお礼を言うと、受刑者の一人が私たちの健康と導きを祈ってくれました。

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スリランカの刑務所でI
2007-08-14 Tue 22:58
8月11日、コロンボのボレッラにある刑務所に行って来ました。国内最大級、最高セキュリティレベルの刑務所で、日本で言うところの網走刑務所みたいなものでしょうか。殺人や密輸、麻薬取引、国家に危機を及ぼすような重度の犯罪を犯した方たちが、収容されています。

みんなの教会で知り合ったロバート夫妻が、8年に渡り続けてきたプリズン・ミニストリを紹介してくれたのです。興味を示した私たちを、快く招いてくれました。

入所者は、男子房約4,500名、女子房約600名。
入り口の家族受付では、女性と子どもが主体の、長い行列ができています。
私たちも、厳重な警備陣とIDチェックを経て、遂に塀の奥の男子房に通されました。

格子門を抜けると、そこは思ったより明るく。しかし飾り気のない、無機質な空間が広がっていました。そこら中に、白い半そで・短パンといった格好の入所者たちが、ある方たちはグループで移動し、またある方たちは休憩なのか、座ったり、立ったりしながら、怪しい一行を眺め小声で話しています。

ガイドについてくれた、がっしり体型の警察官は、順繰りに刑務所内を案内してくれました。
刑務所内は、まるで小さな王国のようです。できるだけ自律運営するよう、巨大な厨房(80mt×60mt。皆さん包丁片手に作業していたのは驚きました。火は使わず、二台のボイラーからくる蒸気を使い調理)をはじめ、作業場としてランドリー部門(官公庁の仕事を請け負う)、製パン、木材加工・家具製造、鍛冶・溶接、印刷、手工芸、石鹸製造部門などが軒を連ねます。特にランドリー部門は、1948年に英国から導入した機材が、モーターや消耗品を別にしてそのまま稼動していました。「アジア圏プリズンランドリー部門、一位に輝く業績」と、紹介してくれた警務官も自慢げでした。

行水は交代して行なうようで、広い水場に50名程度の入所者が水浴びしています。トイレにドアはありません。個室内での自殺が多かったため、監視の目が届くようにとの配慮だそうで。

こうした自殺・自殺未遂を祈りと信仰によって減らすため、所内には宗教施設(教会、モスク、仏教の礼拝堂)も存在します。肉体を使った労働や更生への訓練のみならず、入所者が求めるなら精神的なケアも受けられるように配慮されているのです。

さて次に、入所者たちが寝泊りする房ですが、3mt×1.8mtほどの部屋(格子窓が一つ)に2名入るようです。招待してくれたロバートが、いつも会いに来ているというシークさん(ス移民の中国人。家族は今アメリカ)、同罪で入ってきたリカルドさんと話ができました。

房舎の中にあった、こじんまりとした手工芸工房を見せてもらうと、ココナツの殻を削り、磨いた指輪や、ボールペンなど、非常に珍しく、また美しい品を作成していました。職人たちの作業を見ると、指輪の研磨など正確さと忍耐を要求する、たいへんな仕事です。

工房から出て、房舎の出口に向かうと、何やら通路であわただしく準備が進んでいます。
すると、キャンディ(ス中央の山岳地)の伝統舞踊を、ドラム・歌・踊り手を含めて、総勢8名の入所者たちが披露してくれました。表演終了後、私たちから拍手(入所者は拍手禁?静かでした)と、一人ひとりに握手をすると、おそらく(何なのこのガイジン…?)と思いつつも、皆さん嬉しそうでした。

レクリエーションのスポーツ活動も、クリケットやバレーボール、ボクシングなど選べます。仕事のスキルではないけれども、趣味を持つことで出所後の社会復帰が促されるように。そんな工夫が、至るところに見られるのです。

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キリストが私たちに求めるもの
2007-08-13 Mon 21:43
「私クリスチャンです!」というひとたちに、主イエスキリストが求めていることは、一体何でしょう?

それは、「だれでも、わたしについて来たいと思うなら、①自分を捨て、②自分の十字架を負い、そして③わたしについて来なさい(マタイ16:24)。」と、聖書に記されている通りです。

つまり、
①自分のエゴや欲を捨て、
②自分の役割りを担い、
③主の道に従うこと。
これだけです。

しかしあまりに簡略な説明で、逆に分りづらいことって、あります。
故ブレークダウンして、聖書から章節を当てはめ、キリストイエスが私たちに何を求めているのか、その概略を掴んでみましょう。

①自分を捨て;
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリストイエスのことを求めてはいません(ピリピ2:21)。」これが、残念ながら現状の世界です。

しかし「自分!」「自分!!」「自分!!!」と頑張って、どれだけ「さすが俺!」アピールを高め、それについて周囲が見え透いたお世辞を言っても。
六本木のホストが、分った振りをして「いや~、頑張ってるね。ありがと。じゃあ、景気付けにドンペリ桃で乾杯だ♪」などとのたまわっても。

自分のうちに更なる欲望が育ち、嫉妬や劣等感が渦巻いている内は、どこまで登っても満足できないことは、皆さんもうご存知です。

だから聖書は、この世の移ろいやすいものに、確信や真理、平安を求めるのでなく、もっと確かなものを見いだしなさい、といっているのです。

それは「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます(Iヨハネ1:15~17)。」また、

「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです(コロサイ3:2~3)。」
とある通りです。

では、自分(の欲望)を捨てると、一体何が残るでしょう?


②自分の十字架を負い;
「自分の十字架」が残ります。
それはつまり、神さまのしもべとして、誰もが割り当てられている、責任ある役割り。

それは「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです(ローマ12:4)。」

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子供となり、
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世のとして輝くためです(ピリピ2:13~16)。」とパウロが言っている通りです。

自分に与えられた、尊い配役をしっかりと認識して、この世のくれる欲求や比較、自画自賛などに惑わされないようにしましょう。


③わたしについて来なさい;
「いのちのことば」をしっかり握って、主イエスの道に従いましょう。それはつまり、

A.「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
B.「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。(マルコ12:29~31)」ということに集約されています。

A.「あなたの神である主を愛せよ。」というのは、「教会に居眠りに行く」「トイレで聖書を読む」「世間話をフェローシップと呼ぶ」などの形骸化した慣習・行事ではなく。

「神に信頼し、全てをゆだね、主のみこころのままを、受け入れる。」ということです。

そして心を開いて、生活のひとコマひとコマに、主を招き入れましょう。すると;

キリストがあなたの生活の一部になる。
=キリストがあなたの思考回路になる。
=キリストがあなたの内に生きる。

こんな変化が、必ず起きるからです。

あなたを癒し、赦して死から救うため、自らの命を捧げてくださった主イエスを、あなたが心から「愛しています」と言えるように。謙虚な心をもって、キリスト・イエスを招いてみましょう。

B.「あなたの隣人を愛せよ。」
「愛する」という動詞を聞いた瞬間に、この章節が浮かぶ人は幸いです。

「愛は寛大であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利を求めず、怒らず、他人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません(Iコリント13:4~8)。」

愛とは行動を伴う感情表現です。「自分の内面の現われ」なのですから、上記にあるように「内での葛藤に勝利する」ことが、正道なのでしょう。

また、もう少し日常的な例ですと、
『無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい(エペソ4:31~32)。』ということでしょうか。

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トニーのはなし2
2007-08-12 Sun 18:33
キリストの道について、まだまだ駆け出しのトニーさん。少しでも彼の聖書読解を助けようと、持っていたAMES聖書学校の「初めての方へ;聖書はこう読みましょう!」セクション(後述)を差し上げました。

中華海鮮88で直接渡すか、イーさんに渡してもらえばいいや。と思い、繁忙期のレストランに入ると、トニーさん丁度昼食で来ていました。そこで、私が文書の主旨を伝え、封筒を彼に手渡すと、彼の顔が輝き、何とも嬉しそう。食べかけだった昼食のテーブルに、一緒にどう?と誘われましたが、事務所に戻らなければならずその場は失礼したのです。

私にとっては、ほんの小さな労力です。持っていた資料を出力し、封筒に入れ、お昼休みに5分歩いて、渡す。
そんな些細なことで、こんなに喜んでくれる人がいました。

<あなたの周りにも、きっと>
あなたの周りにも、きっと、寂しい思いをしている人がいます。
あなたの周りにも、きっと、助けを求めている人がいます。
あなたの周りにも、きっと、後悔や不安を抱えている人がいます。

自分にできる「小さなこと」で、その人は笑顔と喜びを、取り戻すかもしれません。
そしてその笑顔は、あなた自身の幸せに、何より貢献するものです。


普段「自分は!」「自分が!」「自分で!」と頑張ってしまう、私たち。

時にそれを、誰か別の人に振り替えて。
その人の幸福のために祈り、行動してみませんか。

まずは、自分自身の幸福のために、他人を思いやりましょう。
いつかそれはあなたの習慣となって、あなたの人生を更に幸せに、満ち足りたものにしてくれるはずです。


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トニーのはなし
2007-08-11 Sat 22:36
2007年8月5日のことです。きっかけは妻の「中国語」でした。

「みんなの教会(People’s Church AG)」朝の礼拝の後、見知らぬスリランカ人夫妻が私たちの元へやってきました。「あなたがた、中国の方?」と聞かれ、ごとうは違うがリンダはそうだ、と応えると、何やらむにゃむにゃお願いがあるそうです。

どうやら、ス女性の持ち家で中華レストランを経営する、マレーシア人シェフが、最近元気ないの。だから「神はいるのだ!」というメッセージを伝えようとしたが、彼は英語ができないため、全然通じませんでした。あなた、通訳してくれない?と言うのです。
最初は渋る妻。しかし最後には、「これもお導き」と頷きました。12:30分に、そのレストラン「中華海鮮88」で落ち合うことに。

さてレストランで。時すでに12:30を回り、12:50、13:00…と過ぎていきます。ごとうの隊はすでに飯完了。皿に残った最後のパパイヤ一切れを見つめながら、「まぁ、そろそろ帰ろうか…」などと言っていたのです。

そのとき、入り口付近にたくさんの人影が現れました。あ、教会であったス女性の家族です!息子、娘含む大家族が、今やってきました。もちろん、「遅れてごめんなさ~い」などとは言いません。むしろ「あなたたち、いたの!!」という感じです。

そして、その直後に問題の「マレーシア人シェフ(アルちゃん、としておきましょう。アルコールのアル)」が入ってきました。88のマネージャーである、イーウェン(イーさん)と、「あれ双子」というほどそっくりさんです。

ス女性は、「あら、アル!いい所に来たわね!お友達を紹介するわ!」「こちらリンダ。こちらアル。よろしくね。」と言ってから「じゃあ、後は任せたわ。」とさっさと行ってしまいました。

(話違くね?)

<それから4時間後>
88の角卓、店の関係者のためのテーブルで。ごとう、リンダとアル、トニーという中国から来た方、時折イーさん、そして途中で博打に去っていったおっちゃん。

時に頭をつき合わせ、時に笑い、時に言葉につまり、時に激しながら、アルはビールを飲み続け、話し続けました。要所要所で、妻の軌道修正が入るも、お酒の匂いと次第に座ってくる目で、私の目にはどうなることか、と危ぶまれました。

その頃トニーは言葉数少なく、時に頷き、時に他のテーブルに目を配りながら、それでも大人しく話を聞いていました。イーさんはその頃別卓で、他のマレーシア人仲間との話に盛り上がっています。

そしてレストランの夜の部が始まるため、アルが席を立つと、とりあえず一度お開きになりました。じゃあ俺らもそろそろ、と言って立ち上がると、トニーがついて来ます。どうやら、話の序盤で妻が「夜の礼拝は5時半からよ。行く?」といった言葉を受けて、フルマラソン級の話し合いの後も、「いってみよ」というやる気を保っていたようです。

そこで私たちは一度、タクシーで自宅に戻り、中国語(マンダリン)の聖書(妻が日本で友人からもらい、なぜかスに持参したもの)を、トニーにあげました。それから教会に直行です。

教会では、サムという台湾人青年とも出会い、「なんて濃厚な中国語の一日だ」と半分げんなり賛美していると、妻が「じゃあ晩御飯、どうしましょうか?」と言ってくれました。中国語の沼に首まではまった形です。主は生きておられる。皆住む場所が異なるため、どこへ行くか良いアイディアもなく、うだうだ歩いていると、トニー改心の一発。「88?」また、私たちが4時間のバトルを繰り広げた現場に舞い戻ると、仰るのですか。

私たちが88のドアをくぐると、案の定、ウェイターたちが「あらお帰り」と言うような目で見ています。イーさんも途中からテーブルに参加。サムも参戦して、キリスト&中国語一色の卓になりました。

異邦人であるごとうには、その日中華海鮮88で執り行われた奇跡が、後に妻から説明があるまで、全く分かっていなかったのです。

<あまりに多くのことが起きたため、各部分ダイジェストでお届けします>

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神のみことば 第二章 第九~十三節
2007-08-09 Thu 22:28
神のみことば 第二章:新約聖書 
第九~十三節:ガラテヤ~テサロニケ人への手紙

今日は第二章 第九~十三節を読みます。

(「神のみことば」、また冊子については、神のみことば <はじめに>をご覧下さい。また「続きを読む」内にテキストもあります。

神のみことば 第二章 第九節 を聴く

神のみことば 第二章 第十節 を聴く

神のみことば 第二章 第十一節 を聴く

神のみことば 第二章 第十二節 を聴く

神のみことば 第二章 第十三節 を聴く

*上記クリックされますと、MSメディアプレーヤーなどのソフトが起動し、音声を聴くことができます(右クリック→「別のタブ/ウィンドウで開く」がお勧めです。)

*新約聖書の内、四冊の福音書は、前作「主の福音」でより詳しく話されています。併せご査収ください。

ごとう ひでたか 拝
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死に場所を求め さすらう
2007-08-08 Wed 21:28
ある日、コロンボのビジネス街であるコルピティアで、二つの葬式が開催されました。

その二つの葬儀の列が、一方は東から西に。
もう一方は西から東に。
棺を中心に、行進していたのです。


一方は、明らかに裕福な家庭。参列者はみな、スーツと革靴、ドレスといった黒ずくめのいでたちです。列は厚く、長く、どれほど影響力のあった人か、おそらく政府高官か、と思わされました。

もう一方は、比べられると何とも貧相な葬儀と言えたでしょう。参列者はみな普段着のような服装(おそらくはお出かけ用)、人によってはサンダル履きの方もいらっしゃいます。人数も総勢30人くらいの、ささやかなものでした。

その二つの列が、すれ違ったとき。

考えさせられたのは、その生涯の功績や富貴のいかんにかかわらず。
その生涯で得た友人や恩人、兄弟たちの多寡にかかわらず。

「肉体の死」という終わりに、何の違いはない、ということです。


<世のすべての人の行く道>
人間の究極の終わりが「死」ならば。その終焉をどう飾るか。
日本人の歴史小説をひも解いて見ると、終わりを悟った人びとがどれだけ「有終の美を飾る」ことに執着したかが、明らかになります。

新撰組、四七士、彰義隊、白虎隊、崩落寸前の豊臣/大阪城に組する武将たち、…。

肉体は死んでも、名は残る。
そう信じて、自分たちの掲げる「義」や「善」に従って、死んでいった人たち。
私もすごぉく分るのですが、日本人(男性)の心の琴線に触れ、血をざわめかす美しさが、そこにはあります。

<死は更なる飛躍へのステップ>
キリストを信じる者、その死と復活を喜ぶ者には、また別の想いがありますね…。

それは、「肉体の生はしょせん旅であり、肉体の死後、私たちは家に帰ることができる」という望みです。

そう神が約束されている。
その約束を信じ、主に信頼する者は救われる。

このため、この世で苦しく、老いて、障害があって、貧しくて、困難が身の回りを取り囲んでいても。
生も死もその後も含め、長い目で全体を見ることができます。
今のこの苦しみを、証に変えてくださる方、主に目を注ぎ、足元の現状に揺るがされることなく、しっかりと立つことができます。


それは、死に場所・死に方を探し求める生き方ではなく。
生きるにしろ、死ぬにしろ、全てのことを、主の栄光を顕わすためにする。

そんな、弱者の心に宿る勇気によって。
主にあって与えられる、愛と恵みと導きによって。

日々、与えられた生に感謝して、生きることですね。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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<クリスチャンと仕事II>
2007-08-07 Tue 20:00
しごとについて、続きです。

「転職」というと、「年収アップ!」「キャリアアップ!」などという宣伝文句がついてまわります。リクナビキャリアをながめる私たちは、一体どこを見ているでしょうか。やはり「職種」「年収」「ネームバリュー」がきて「勤務地」「企業理念」「福利厚生」…などとなるのでは。(やりがい?それは入社してからのお楽しみです。)

つまりこれまで積んできた職歴にある意味縛られて、後はどれだけ年収・役職・対外イメージがアップするか。
「生活水準の向上/維持」「正社員/部長であるというステータス」「ブランドが与えてくれる優越感」といったものが、その下に眠る動機でしょう。

つまり、「お金」「ステータス」「ブランド」という偶像に仕えるということ…。

しかし、そうした目で見えるモノの代償に、私たちが差し出しているのは。
私たちの「魂」かもしれませんね…。

<他人事ではない>
ブログランキングを少し眺めるだけで、苦しみに血を流している方たちが見えてきます。

私たちの内、一体何人が;

営業に向いていないのに、胃に穴を開けながら、毎朝営業成績の表記に目を走らせて、電話越しに同じセリフを繰り返しているのか。
望んでもいないのに子会社へ異動させられ、生活レベル維持のためと、そこで敵意に燃える部下やお局様に囲まれて、苦しい思いをしているのか。
人不足、夜勤・日勤の連続で、家族との時間も、休みも満足に取れずに、心身ともに疲弊してしまっているのか。
給与がイイからという理由で別業界へ転職したはいいが、自分の倫理感をぶち壊されるような職務内容。それでも家のローンのために、後ろめたい想いを抱えながら継続しているのか。

ここで少し、考えてみてください。
この世に仕え、この世の生存競争に勝ち残り、この世で他人より成功しようと、孤軍奮闘する行為自体が。

実はあなたを神から引き離している、最大の原因であることを…。

<あなたにも、神が与えようとしている居場所と役割りがある>
この世の偶像に仕えること。それが人生の目標になってしまうと、神さまがあなたのために用意してくださっている、はるかに大きな絵を見逃すことになります。

だから、主はこう言いました。「神の国とその義とを、まず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(生計、名誉、幸福など)はすべて与えられます。」と。

ですから、主にあって「あなたが本当に成すべきことは何か」「あなたが喜んでこれを行ない、生きがいを見出すことができる仕事は何なのか」を、慎重に考えてみませんか。

職能や経歴でなく、あなたの人格や心根に適う仕事を、探してみませんか。
「職種」「年収」「ネームバリュー」を、選定基準から外してみて、いちから始めてみませんか…。

あなたの人生で、その生産的な時間の大半を費やす、重大な場所に。
イエスを招いて欲しいのです。

キリストイエスの力ある御名によって。
主のみこころを行なう者は誰でも、私たちの王に知られており。
主のもとにひざまずき、救いを求める者は誰でも、捨てられることがないからです。

あなたも「イエス!」と言えましたか…?
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<第OOO次夫婦戦役勃発→冷戦突入 近況>
2007-08-06 Mon 21:25
妻とは5日ほど前に仲直りしました。ごく一部の皆さまに、ご心配をお掛けしました。

そして昨日見たら、何と

Getting Anger Under Control Getting Anger Under Control
Neil T. Anderson、Rich Miller 他 (2002/01)
Harvest House Pub

「Getting Anger under Control(怒りのコントロール)」


という本を買って、読み始めた模様。

何とも単純な奴だなぁ、と思いつつも、神さまのお導きに感謝なのです。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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<クリスチャンと仕事I>
2007-08-06 Mon 16:48
私たちの日常。職員として勤務している方なら、毎日約8時間、一日の1/3を職場で過ごしていることになります。しかも私たちが目覚めて、最も元気良く、最も頭脳明晰で、最も生産的な8時間を、仕事に注ぎ込んでいるわけですよ。

もし私たちがそこで「仕事は仕事、キリストキリスト」と使い分け、「平日は仕事、日曜は神さま」のように切り分けるのなら。私たちは人生の重要な「1/3」から、神さまを退けてしまうことになるのです。

<しごとの起源>
ここで、仕事の起源について、少し話してみましょう。
「仕事」のコンセプトが出てくる、最初の章節には、こう記載されています。

①神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
②神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。…(創世記3:15~16)」

つまり、①仕事をしたら、②食べてよい。ということです。

その時はまだ、アダム夫妻は実り多い樹木に囲まれ、何の苦労もなく、園の管理人として立ち働いていました。しかしその後、蛇(サタン)に唆され、人類初の罪を犯した彼らに、神は告げたのです。

「あなた(ア)が、妻(イ)の声に聞き従い、
食べてはならないと
わたしが命じておいた木から食べたので、
土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
あなたは、一生、
苦しんで食を得なければならない(創世3:17)。」

「仕事がつれぇ~」というのはエデン追放を喰らったアダムとイブのせいなのね…。一義的には、そうなるでしょう。
しかし、その辛い仕事に励む、勤勉な人びとにこそ、神は目を注ぐのです。

実に、神が運びの器として選んだ人々も、勤勉で優秀な仕事人たちでした。

モーセはしゅうとの羊を面倒見ているときに、燃える柴の中から主が語りかけるのを聞きました。
ギデオンが主の御使いに出会ったとき、彼は酒ぶねの中で小麦を打っていました。
ルツは異邦人ながら、その献身と勤労の美徳によって、災難の後の人生を喜びに変えました。
キリストが弟子を呼んだとき、ペテロとアンデレは漁師として、ガリラヤ湖で漁をしていました。
パウロは宣教の傍ら、テント職人として生活費を稼いでいました。

また、キリスト聖書の中で、生産的な働き者たちをほめたたえ、反面怠け者や横着者、怖れから何もしない者を退けられています。仕事の大切さと喜びを、私たちに何度となく訴えています。(後述)

<God is interested in your work>
そうです。神はあなたの仕事に、大きな関心を持っています。
あなたが職場でどんな決断をし、どんな風に部下や業者に接し、どんな目標設定をして、どのように達成するのか…。その過程を注視しています。

そして、公平と善に基づいた決断には祝福を、努力と勤勉には実りを与え、反面偽りや怠惰に満ちたやっつけ仕事には、必ず報復されます。

大きな障害にぶつかるときもあるでしょう。考えていたような成果が、全く上がらない時もあるかもしれません。しかし、正直でまじめな仕事人には、神は技能も、知恵も与えてくださることを私たちは知っています。

それは、聖書にもこうある通りです。

「あなたがたは、私の声に耳を傾けて聞け。
私の言うことを、注意して聞け。
農夫は、種を蒔くために、いつも耕して、その土地を起こし、
まぐわでならしてばかりいるだろうか。
その地面をならしたら、ういきょうを蒔き、クミンの種を蒔き、
小麦をうねに、大麦を定まった場所に、裸麦をその境に植えるではないか。

農夫を指図される神は、彼に正しく教えておられる。

ういきょうは脱穀機で打たれず、クミンの上では脱穀車の車輪を回さない。
ういきょうは杖で、クミンは棒で打たれるからである。
パンのための麦は砕かれない。
脱穀をいつまでも続けることがないからだ。
脱穀車の車輪を回しても、馬がこれを砕きはしない。
これもまた、万軍の主のもとから出ることで、そのはかりごとは奇しく、
そのおもんばかりはすばらしい(イザヤ28:23~29)。」

ですから私たちは、この素晴らしい神の知恵を招き入れるためにも。
職場で日々、神の意思を尋ねながら仕事に励みましょう。

「仕事は仕事、神は神」でなく、全てを神の栄光を現すためにしましょう。(Iコリント10:31)

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今日はスリランカ ハンバントタへご招待
2007-08-05 Sun 12:28
今日は スリランカ南部 ハンバントタの被災者支援の現場を、みんなで視察してみましょう!



あなたも「ハンバントタ行きます!」と言えましたか…?
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神との邂逅(Encounter)シリーズ
2007-08-04 Sat 22:25
II-4 「家族」について

天地創造をされた時、神は次々と出来上がるPlanet Earthを見て「よし」とされました。
しかし、一点だけ神さまが「よくない」と言ったことがあります。

それは「ひとが、一人でいるのはよくない。」と、神さまがさみしんぼのアダムを指して言ったことばです。


一度結婚すると、そのカップルは親からも、友人からも独立し、自分たちの家庭を造ります。
それにより、人間関係の優先順位も、結婚相手>子ども>両親>兄弟>友人…という風に自然と変わっていきますね。

ここで、その最重要項目である「結婚相手」と実りある関係を築き、維持していくために、家庭生活における「十戒 for men」をひも解いてみましょう。

1. あなたには、妻のほかに、ほかの女性があってはならない。
家庭の外にもし、あなたが自分の妻よりも多くの時間を、共に過ごしている女性がいたとしたら。彼女と一緒のほうが、楽しいし気がらくだ。などと思ってしまうのなら。
今すぐ方向転換すべきです。さもないと、自分の人生のみならず、妻、そして友人である女性の人生をも、狂わせてしまうからです。

2. 妻の偶像を拝んではならない。
ここで言う「偶像」とは、彼女の昔の姿…。若く美しかった頃。感受性が強くて、儚くて、可憐で…。そんな20年も前のことを、「私が~おばさんに~な~ったら」の妻に期待してはいけません。
または、知り合いの女性の美化美化イメージを、妻に押し付けてはいけません。
あなたが求めて結婚した妻を、ありのまま愛しましょう。

3. あなたは、妻の名をみだりに乱用してはならない。
というのは、「人前で妻の悪口を言う」ということです。悪意のこもったジョークや、妻が気にしている点を口外するようなことは避けましょう。
また誰か他の人が、あなたの妻の悪口をいうのを聞いた場合も、穏便に、しかしきっぱりと、止めましょう。

4. 安息日を覚えて、妻と一緒に時間を過ごせ。
毎週、妻と一緒の時間を持つようにしましょう。週末デートに誘ったり、一緒に買い物にいってみてはいかが。妻が喜ぶだろうな、と思うことをこっそり計画して、実行してみましょう。
また、普段堅物の夫が職場から電話すると、奥さん非常に喜ぶものですよ。何事も、マメに実行しましょうね。

5. あなたの妻を敬え。
あなたの妻が「私って特別ね」「愛されてる」と感じられるように、尊敬の念を表しましょう。言葉で、また行動で、何度となく「お前は いい かみさんだ」ということを伝え、認識させるのです。
実に、あなたの奥さんは、あなたが彼女を敬う通りに、あなたをも敬ってくれるからです。
日々できることで結構。テレビやネットを止めて、妻の愚痴を聞いてあげることもその一環です。

6. 殺してはならない。
(そりゃそうだ。)少し広義で話をすると、「彼女の個性や信念、大切に想っていること」を踏みにじったり、侮辱し蔑んではならない、とも言えると思います。
家庭内暴力や言葉の暴力、人格の否定、ネグレクト(放置)は、これら侮蔑の発露でしょう。まず心の中にある「憤り」「不満足」といった「殺意」を、消す必要があります。

7. (他の女性と)姦淫してはならない。
(そりゃそうだ2。)代替の相手を持ってはいけない、ということ。それは実生活でも、インターネット上でも同じです。また広義に話せば、仕事・野球観戦・ゴルフ・子ども・教会の活動などに没頭して、妻との生活を置き去りにすることです。

8. 盗んではならない。
(そりゃそうだ…もうやめます)資産目当てで結婚して、挙句「妻を激戦の真正面に出し、彼女を残してあなたがたは退き、彼女が打たれて死ぬようにせよ。」とヨアブ宛ての手紙を書いてはいけない、ということ。同時に、妻が必要としているもの(単なるわがままのぜいたく品でなければ)は全て、十分に買い与えるか購入の権利を与え、ニーズを満足させてあげることです。

9. あなたの妻に対し、偽りの証言をしてはならない。
嘘つき。は苦労するだけです。正直は最善の策。
また、小言や蔑みや文句やゴシップばかりで、妻が辟易(へきえき)とするような会話も、グッとこらえて避けましょうね。
沈黙に勝る言葉がないときは、私たち男性は沈黙を選ぶべきなのかもしれません。

10. あなたの隣人の妻を欲しがってはならない。
自分の欲望に対して、防衛線を張りましょう。それは美女に対しても、物質に対しても。そして、この世が一生懸命販売努力をして、買わせよう/欲しがらせようとしている物の呪縛から、解かれるようにしましょう。
また、怒りや苦渋、憎しみ、欲求不満などから解放されるように、「世の価値観」を「神の価値観」へと入れ替えるようにしましょう。


「十戒 for men」を念頭において、家庭生活を顧みるようになると、一体どんな変化が起きるでしょうか。

旧約十戒本編は、こう言って締めくくっています。「あなたの齢は長くなり、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになる(申命5:16)。」

ですからまず、かみさんを愛して、大事にしましょう。それはパウロも言っている通りですね。

「夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです(エペソ5:27~28)。」

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この世界が求めるもの
2007-08-04 Sat 08:19
求人広告を見ると、現代社会が一体どれほどの「技能」「実績」「知識」を求めているか、驚かされます。

「要普免/大型免許保持者」
「ビジネス英語の知識:TOEIC 900点以上」
「食品業界での勤務経験5年」
「メーカーでの生産技術・製造技術開発・設備開発経験」
「金融業界での融資業務経験者・不動産担保融資経験者」

神さまが求めているもの>
それに比べて、主イエスキリストに従い、牧師になろうと思っている方に対して、神はどんな資質を求めているでしょうか?

IIテモテ3:2~4に、一部ですがその答えはあります。
「ですから、監督(=英訳KJVではBishop)はこういう人でなければなりません。すなわち、①非難されるところがなく、②ひとりの妻の夫であり、③自分を制し、④慎み深く、⑤品位があり、⑥よくもてなし、⑦教える能力があり、
⑧酒飲みでなく、⑨暴力をふるわず、⑩温和で、⑪争わず、⑫金銭に無欲で、
⑬自分の家庭をよく治め、⑭十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。」

上記をよりよく理解するために、ちょっとしたエクササイズをしてみましょう。

<神が求めるもの>
上記で挙げられた監督に必要とされる項目を、カテゴリー別に分類してみましょう。

つまり①~⑭を、
「言動(外面)」
「性格(内面)」
「技能(能力)」
にブレークダウンしてみるのです。

「言動(外面)」
①非難されるところがなく、
②ひとりの妻の夫であり、
⑥よくもてなし、
⑧酒飲みでなく、
⑨暴力をふるわず、
⑪争わず、
⑬自分の家庭をよく治め、
⑭十分な威厳をもって子どもを従わせている

「性格(内面)」
③自分を制し、
④慎み深く、
⑤品位があり、
⑩温和で、
⑫金銭に無欲

「技能(能力)」
⑦教える能力がある

そう。神さまが能力的に教師・牧師に求めているものは、ただ「教える能力」だけです。

逆に言うと、私たちの日々の生き方(言動)、姿勢(性格)、つまり人生そのもの。主があなたを監督に推挙するために見ているのは、そこなんです。つまり、「リーダーシップは能力によるのでなく、あなたの生き方による。」ということですね。

ですから、「あれもない、これもない」と言って嘆くのはやめましょう。
他人の優れた業績ばかりを見て、羨むことも、やめましょう。

なぜなら、これまで生きてきたあなたの人生の中に、神さまが求めている資質もまた、存在するからです。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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366回目の「ありがとう」
2007-08-02 Thu 12:23
このブログは筆者の愚かで、単純な思いつきから始まりました。
「一日一話のペースで書き続け、とりあえず一年続けてみよう。」

当時パキスタンから戻った私には、カシミール山中で無数に書き溜めた記事が、ノートに、また.Docとして手元にありましたから、それらを精錬し記録・共有するのが目的でした。最初の頃は既存の文書に手を加え、一日一話、よろしくやっておったのですが、そのネタ帳が尽きてくるとさて、どうしたものか。

しかし神さまは非常に恵み深い方なので、日々の生活の中で、その栄光の片鱗を私に垣間見せてくれました。また教会に様々な経歴の恩師たちを備え、私の迷い出た心を導いてくださいました。

反面、当初「365話も書けば、もう十分だろう」「書くことなくなるんじゃない」と考えていた私は、「大甘でした。」
キリストの愛は深く、私如き偏屈者に溢れるばかりの恵みを注いでくださるのですから。

お陰さまでアイディアは尽きず、書くことが習慣になった今、掲載すべきことが逆にますます溢れています。


これまで皆さんにお付き合い頂いたのは、こうしてごとう石頭が叩かれ、削られ、磨かれて、柔らかくなっていった証そのものです。
私のような欠けた、小さな器でも、こんなに満たしてくださる方。主イエスキリスト
読者の皆さまをはじめ、神が触れてくださった方々の人生も併せて語るなら、それこそ「世界もその書物を入れることができまい」と、私も思います。

<ありがとう。そして、これからもよろしく>
独断と偏見、過ちと前向きな勘違い、独りよがりの多い拙ブログを見捨てず、継続して足を運んでくださる皆さま。
これまで本当に、どうもありがとうございました。

そして、これからも地道に継続してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ブログで失礼致しますが、とりいそぎ読者の皆さまへのお礼まで。

ごとう ひでたか 拝

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