後藤 秀孝
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JAPAN
私は泣いたことがない
2007-06-30 Sat 15:49
私は「足るを知る。」という言葉で、泣いたことがない。
「世界を動かそうと思ったらまず、自分自身を動かせ。*1」という言葉にも。
「仁は人の心なり。義は人の道なり。*2」という言葉にも。
「できると考えたにせよ、できないと考えたにせよ、それはどちらも正しいのである。*3」という言葉にも。

確かに、偉人たちの言葉や知恵は、私を感心させる。
だがキリストは、同じことを言いながら、魂に直接はたらきかけ、私を泣かせることができる。

それはひとえに、彼が私のことを深く理解しているがゆえ。
必要なときに、必要なことばを発し、必要なビジョンを見せて、私の心に開いた虚空を埋めてくれる。
乾き果てた私がささげる杯に、いのちの水を溢れるほど注いでくれる。

「士は己を知る者のために死す。」という言葉にも、私は泣かない。

しかし、イエスキリストが私を知っている、愛しているという事実には、感謝の涙を禁じえないのだ。

彼が私のために、そのいのちを進んで差し出してくれたように。
一回だけの人生。一つだけの私の命を、喜んで彼に捧げよう。

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なみだの理由


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ひゃくえん
2007-06-29 Fri 21:29
ある日、偶然隣り合った一万円札と百円玉が、銀行の金庫でおしゃべりしていました。

百円玉が切り出します。「あら、こんにちは。最近調子どうです。長いこと見なかったけど…」

一万円札は「すげぇことになってたで!! 俺さまときたら東京~ユーラシア~東欧~フランスのパリ~アフリカ~と旅するわ、五つ星レストランや巨大カジノ、超有名ブランドのブティック、ショッピングモール行くわ、ダム建設、新幹線導入、スペースシャトル建造プロジェクトに携わるわ…!!

劇団四季じゃない本物の“CATS”観るわ、アメフトのスーパーボールをVIP席で楽しむわ、カナダでヘリ使ってスキー行くわ、カリスマ美容師のサロンに行くわ、…この世のすげぇこと、全部やり切り わが人生に一片の悔いなし!! みたいな。」と答えました。

自慢話を吹聴したあと、一万円札は百円玉に尋ねました。「でぇ、あんたゎどうだったん?」

百円玉は答えます。

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謙虚にされる時
2007-06-29 Fri 21:26
6月27日、外務省殿資金で実施していた職業訓練の第三期が終業式を迎え、JENスタッフと村人たちが訓練の総括とお祝いをしました。事業村四ヵ村の一つ、ルインガマ村で終業式を終えた後、車に向かった時のことです。

道を挟んだバタータ村の男性が、何やら叫んでいました。先行した職員とも口論になりかかっていたので行ってみると、通訳を介して彼(仮にKさんとします)の状況が明らかになりました。

Kさんも津波被災で子ども2人を失い、家屋、船・漁の道具など生計手段を全て失いました。話を聞くと、強いアルコールの匂いと共に、止め処なく憤りと痛みが溢れてきます。その中には、ルインガマ村は支援を受け、バタータ村が除かれたという不公平感も含まれていました。

JENは公平中立を期すため、各村の規模・被災程度・人口構成・被災前後の経済状況変化・女性/老人世帯数・5歳以下の子どもの数など…さまざまな要素から支援対象村を決定します。その際「バタータも厳しい状況だが、相対的に他村がより困窮している」という判断で、支援対象から外れていたのです。

道路を挟んだルインガマで行なわれる職業訓練。にぎやかな空間。楽しそうな人々の声と笑顔。そこでKさんが抱いたのは、やり場のない不満と怒りでした。

お酒に逃げながら、祭壇に亡くなった我が子たちの写真を、何枚も何枚も飾るKさん。花を供え、グラスの水を換え、毎日、毎日、失われた子たちの感触を、声を、あの日の喜びを、追体験しているのです。津波被災から2年半、その間ずっと、何度も何度も、心に思い出の上書きをして…。忘れられっこありませんよね…。

彼の憤りに対して私たちができたことは、静かに彼の話を聞き、自分たちの力不足についてただ、謝罪するだけでした。組織としての限界を痛感させられると同時に、こうも考えさせられました。「仮にJENが、彼が望むままに物資を与えても、津波の喪失が残した傷跡を癒すことは決してできない」と。

たしかにKさんが暴力的・反抗的になるのは宜しくないとしても、反面とても愛情に溢れた方だなぁ…。と思いました。優しく、思いやり深くて、だからこそ今は傷ついて…。そんな傷を、物や金で埋められると考えることは、不遜な思い上がりです。

Kさんが欲していたのは、たぶん心開いて話を聞いてくれる、友…。苦しい時一緒に苦しみ、泣きたい時一緒に泣いてくれる、友人…。

私たち一人ひとりには、常に彼と共にいて、彼の望むように振舞うことなどできません。単純に、不可能なのです。

だからこそ、彼が主イエスキリストの愛に目覚め、これから先の人生を共に歩んでくださる方に、出会うことができるよう祈るばかりなのです。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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「神が人間になる」ということ
2007-06-27 Wed 19:16
イエスキリストは一度、神のあり方を捨てて人の姿をとり、苦しみと汚濁に溢れたこの世に来られました(ピリピ2:2~7)。その決断がどれほどのものなのか。よい例えなど、ありようもないのですが、人脳で考えうる対比としては、こうです。

「アリ世界を愛と平和に導く為に、あなたがアリ×1として生まれ変わる。」

どうです、魅力的でしょう!ハワイ旅行では決して味わえない、スリルとサスペンスが体験できるに違いありません。
と言うのは置いといて。現実問題として、アリになったら、どうでしょう?

アリですから、踏まれたら即死の弱く儚い存在。雨にも負け、風にも負ける毎日です。目もろくに見えず、頼りになるのは斥候の残した臭いのルートのみ。敵と危険に溢れた世界で、エサ運び、巣の修復、子どもの世話と、あくせく仕事に励む毎日…。
「生まれが特権階級!」などというボーナスもありません。ただ普通の、働きアリとして生まれるのです。


その位のカルチャーショックでしょう、神→人間というのは。その上、主イエスは他の人間から向けられる嫉妬や憎しみ、敵意と言ったものを承知で来られたのです。どれほどの代償でしょう。どれほどの覚悟でしょう…。

知れば知るほど、主に対する感謝の念は増すばかりなのです。

あなたも「感謝!」と言えましたか…?
言えた方は押してくださいね♪↓
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あなたの人生…お幾ら?
2007-06-26 Tue 19:10
①あなたに幾ら貯蓄があれば、これから先の人生、満ち足りて、幸せ絶頂な生活を、死ぬまで送れると思いますか。
7千万…?1億…?2億…?

質問を変えましょう。

②あなたが仮に、足二本、腕二本、肺片方、目二つ、咽頭、…等などを売り払って、換金できるとしたら。あなたはそれに幾ら値段をつけますか。
3億…?5億…?10億…?

あなたの健康、一体幾らですか。
あなたの人生、一体幾らですか…。

質問②の値段は、恐らくつかないでしょう。嘘っ子回答でなく、本当に熟慮した結果ならば。
そう。金で売り買いできないものが、この世には確かにあります。

今、私たちの大半が「当たり前」として享受している、からだ…その恩恵。
失ったとき初めて気付くことが、私たちには多すぎるほどあります。

お金は大事ですが、それはあくまでも、生活の手段にすぎません。だから、その「大きな絵」を決して見失わないで下さい。

なぜなら、お金をゴールにしてしまうと、いつか健康を、家庭を、自分自身を…その代償として、差し出さねばならない日が来るかもしれないからです。

「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました(Iテモテ6:10)。」(参考also マタイ6:21)

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ありのままで… おいで
2007-06-24 Sun 19:08
今日は初めに「Come, now is the time to worship」の歌詞を紹介していきたいと思います。
Come, now is the time to worship
Come, now is the time to give your heart
Come, just as you are to worship
Come, just as you are before our God
Come,…
おいで、今、主の喜びのとき
集まろう、そして心を主に注ごう
おいで、ありのままの あなたで
集まろう、私たちの主のもとに
おいで…


最近のYahoo!、新聞・雑誌広告など見ますと、いやぁ大変だ、女性はスネとワキの処理をしてからでないと、夏のヒロイン失格って感じですか。男もブートキャンプで超短期間にメタボリ何とかしないと、海の日来る前に夏オワタ!!みたいな。

化粧品のCM、エステ広告、悩み無用、腹筋関連など見ると、人類本当にしなきゃならんこと、沢山ありますね。

<私たちの見るものは>
日本語では「皮相」、英語で「Skin deep」。どう深く見積もっても、「脂肪deep」。
つまり見た目にこだわる、容(かたち)から入るということ。内側ドロドロでも、正直悩み無用。

可愛い娘、確かにモテるし、ちやほやされるし。
日焼けと腹筋とビーチバレーで何とか注目集まるかも知れんし。
だって、運命の出会いがあるかも、でしょ?


お疲れさま。日本全国お疲れさま。

運命の出会い、あります。
でもそれは、あなたの皮相では、得られないもの。
逆に皮相ばかりにこだわれば、完全に見失ってしまうもの。

そう。「あなたはあなたのままで良い」と言って、ありのままのあなたを愛してくださる方が、確かにいるからです。コブタでも、アゴでも、のっぽさんでも、八衛門でも、ぜっぺきでも、チョイ薄でも。

神さまははっきりと公言しています。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る(Iサムエル16:7)。」と。

だから、うわべであなたを判断して(裁いて)、あなたの心を見ることができない人間など、放って置きなさい。ビーチで一夜限りの「運命の出会い」を探すよりも、あなたの全てを理解して、愛してくれている方のことを、もっとよく知ってください。

「あなたは、あなたのままでいいよ。」「そのままで おいで」と言って、招いてくれる方のことを、もっとよく知ってください。

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今日は猛毒の話
2007-06-24 Sun 18:54
National Geographic に触発されて、今日は毒の話です。

いやぁ昼飯時だというのに、画面は毒蛇に襲われて憐れ飲み込まれるネズミや、小鳥のヒナ、そして毒で大変!な現地役者たち(再現フィルム)のオンパレード。(何で大蛇がネズミ捕食している姿を見ながら、Sub喰わにゃならんねん?)

とにかく。蛇やサソリ、クモなどが、捕食や防御のために利用する毒は、その多くが神経毒です。つまり神経を麻痺させて動きを封じるのみならず、しばらくして相手の呼吸や心臓すら停止させてしまう…。というもの。

こうした毒蛇やサソリなどに対応するために、解毒剤の開発が進められました。解毒剤がなければ、つまりひと噛みで走馬灯、みたいな。

石垣で彼女と二人、秘密のプライベートビーチに行こうとしたら、ガブッ。ワンストライク、アウト!!です。判定シビアなのです。


そう。一度噛まれてしまったら、すみやかな解毒剤投与によってのみ、私たちは人生のセカンド・チャンスを得るわけです。

そこまで考えて、思わされたのは「誰しも毒の被害を受けているではないか」ということです。それはつまり、欲望や、嫉妬や、憤りや、不満や、絶望や悲観や無理解や自己憐憫やプライドや否定…そんな毒です。

そして、人生の猛毒には対処法がないように思われます。富に富を重ねても満たされず。車、交際相手、地位、権力、そんな物を摂取してみても、毒に対しては効果がないからです。猛毒を克服しようと、飯を一生懸命喰う。みたいな。ギアがかみ合わない努力。


だから、私は主イエスの愛を説くのです。なぜならそれは、あなただけの大切な解毒剤であり。他のどんな物も癒すことができなかった人生の猛毒を、根本から取り除くことができる唯一のくすりだからです。

暗やみに満ちたこの世で、毒に冒されながら生きるのも一つです。それは、あなたの、私の選択ですから。でもその毒を取っ払ってみれば、人生がどれほど軽く、楽しく満たされて生きることができるか…。ひとりでも多くの方に知って頂きたいと祈るばかりなのです。

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神との邂逅(Encounter)シリーズ
2007-06-24 Sun 18:31
II-1 あなたの価値
まず、簡単なテストです。メモとペンのご用意を。そして以下の問いの答えを、簡単に書き出してみてください。

①あなたが「私はこういう人間だ」と思うこと、3点。
②あなたの周囲の人が、「あなたはこういう人間でしょう」と考えること、3点。
神さまがあなたに、「あなたはこういう人間ですよ」と伝えていること、3点。

(できましたか…?このテスト結果はあなただけのもの。良いも悪いもなく、ただ現状を把握する為に利用できるツールなので、必ず実行してから進んでくださいね。)


あなたの中の「認識」を作るもの
ここで少し、経験があなたの思考や心理にどういった影響を与えるのか、見てみましょう。

人間はこの世界に置かれて、身体というハードウェアで様々な経験をし、インプットを受けます。
その情報を魂CPU(感情・意思・精神)でプロセスし、翻訳して「理解」するわけです。
そうした経験→翻訳→理解の積み重ねが、「認識」となって私たちの自己・世界イメージを形成します。

例えば、私の父の話ですが。第二次世界大戦で焼け野原になった東京で、彼は祖父と一緒に、豆腐屋として財をなしました。しかし祖父は財にしがみつき、最後まで囚われて資産を息子へ委譲できず、その内病床で言葉を失い、涙を流しながら父と母の手を握って、逝きました。遺書は存在せず、と言うか叔父に持ち去られたらしく、その他の財産・土地所有権に関する文書も失われていました。遺影に飾る写真すら、残されたのは一枚だけでした。

祖父の死後残ったのは、入院費で膨らんだ借金と、支えなければならない5人の子ども。
金がない。子どもの教育も満足に与えられない。旅行も、玩具も、遊んでやることもできない…。
また、実の肉親(叔父・叔母)から裏切られ、父の味わった人間不信は想像を絶するものだったと思います。
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神との邂逅(Encounter)シリーズ
2007-06-23 Sat 16:25
I-1神との邂逅(Encounter)とは
神との邂逅(Encounter)とは、神と出会い、直接語り合うことです。自分が一体どんな人間で、この世での生活にどんな意味があり、神が何を期待して下さっているのかを聞くことです。

そしてその出会いがもたらす効用は「これまでの生き方・姿勢を根本的に変えてしまう変化…。」
ヨブ記の一説から、神との邂逅があなたの人生に与えるインパクトを参照しますと、

「もし、あなたが心を定め、あなたの手を神に向かって差し伸べるなら、<中略>そうすれば、あなたは必ず、

①汚れのないあなたの顔を上げることができ、
②堅く立って恐れることがない。
③こうしてあなたは労苦を忘れ、流れ去った水のように、これを思い出そう。
④あなたの一生は、真昼よりも輝き、暗くても、それは朝のようになる。
⑤望みがあるので、あなたは安らぎ、
⑥あなたは守られて、安らかに休む(ヨブ11:13~18)。」ということです。


しかし、その変化は私たちが自分の意志で求めないと、与えられません。私たちが「選択」し、「決断」することが必要なのです。
あなただけに用意された神のご計画への期待、「知りたい」という渇望がない限り、与えられるものではないのです。だから、こころを固くせずに、神に尋ねてみましょう。

「神よ。私はあなたに会いたい。会ってあなたに聞きたいのです。」と。

<邂逅を果たした人びと>
誰がこれまで神との邂逅を果たしたか。それがどのように起きたのか。聖書から参照してみましょう。

①モーセのケース;エジプトからミデヤン人の地に逃れたモーセが、舅の羊を追ってホレブ山に来たときのこと。炎に包まれた柴がいつまでも燃え尽きないのを不思議に思って、モーセが近づいてみると、神はその柴の中から「モーセ、モーセ」と彼を呼んだのです。彼は「はい。ここにおります。」と返事しました。
そのとき神は彼に告げて、こう言ったのです。
「私はイスラエル人の叫びを聞き、彼らがエジプト人から受けている仕打ちを見た。
今行け。私はあなたをファラオの元に遣わそう。わたしの民、イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト3:1~)

②パウロのケース;サウロ(後のパウロ)は大祭司から任命状をもらい、新興宗教キリスト教ね)信者をしょっ引いて処刑するため、仲間とシリアのダマスカスに向け旅していました。
その道中で、突然、天からの光が彼を巡り照らしたので、彼は馬から落ちて地に倒れました。
そこで彼は聞くのです。神の声を。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
サウロが動転しながらも、「主よ。あなたはどなたですか。」と聞くと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」と回答がありました。
サウロはそこで、さらに尋ねます。「主よ。私は何をすべきでしょうか(KJVより)。」
神は続けて、「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」と言いました。サウロはそれに従い、人々に手を引かれて町に入り、3日間使者の訪れを待ちました。(使徒9:1~)

③ヤコブのケース;実の兄エサウと気まずい関係になり、半追放されたヤコブが故郷に戻ってくる道中のこと。先行して「贈り物部隊」を送り出し、一人だけしんがりに残ったヤコブに、ある人(実は神)が戦いを挑みます。そして、夜明けまで格闘した後、彼はヤコブの股関節を打ち、脱臼させましたが、ヤコブはクリンチして彼を行かせまいとしました。
夜が明けると都合が悪い挑戦者が、去ろうともがく中で、ヤコブはこう叫びます。「私を祝福してくれるまでは、あなたを離しません。」…これまでケンカしてたのに、なんと長閑(のどか)な。
対戦相手はヤコブにこう告げました。「あなたはもうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは格闘の末、神からの祝福をその執念で勝ち取ったのです。(創世32:1~)

④ペテロのケース;考えるより先に手が出るし、反射で取りとめもなく話してしまう、うっかり八兵衛キャラ(だったんだ…)のペテロさん。こんな彼の日ごろの言動は、仲間のうちでも評判良くなく、彼自身歯がゆい思いをしていました。
イエスが十字架に掛かられて、復活されて後。彼の前に再びあらわれた主が、3度、同じ質問を繰り返します。「あなたはわたしを愛しますか。」と。彼の後悔と悔い改めを見られてから、主は彼に予言して、ペテロが遭遇するであろう苦難と死について、告げられました。
その後、ペテロの中のセルフイメージと、その後の言動が大きく変わったこと。「あの八兵衛が」力強い福音伝道の働き手、グループのリーダー的存在に生まれ変わったのです。また彼が最終的に、自分の生命をすら差し出せるようになるほど強い信仰心を抱いたこと。これが神との邂逅の効用でもあります。(ヨハネ21:1~)

⑤ヨブのケース;
「その男、ヨブ」を参照。

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朗読 神のみことば:イザヤ書
2007-06-22 Fri 21:52
神のみことば 第一章:旧約聖書 
第四節:イザヤ書

今日は第一章 第四節を読みます。

(「神のみことば」、また冊子については、神のみことば <はじめに>をご覧下さい。また「続きを読む」内にテキストもあります。)

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朗読 神のみことば:箴言、伝道者
2007-06-21 Thu 21:51
神のみことば 第一章:旧約聖書 
第二節:箴言(しんげん)
第三節:伝道者の書

今日は第一章 第二~三節を読みます。

(「神のみことば」、また冊子については、神のみことば <はじめに>をご覧下さい。また「続きを読む」内にテキストもあります。)

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Ocean will part
2007-06-20 Wed 21:36
ここスリランカはコロンボの交通事情は、途上国の荒っぽさと大都市の過密さを併せ持っており、慣れないと非常に生きづらい関門ではあります。歩くのですらひと苦労なのに、「ライセンスあるから、じゃレンタカー借りて遊び行こっか」などと言う不届き者は、TATAバスやトゥクトゥク(3輪リクシャー)運転手からの恥辱プレーという洗礼を受けることになります。

特に12:30~13:30PM頃(昼飯+下校時)は、ラッシュのピークで、歩いて飯を食いに行くのも大変です。しかしそんな大渋滞のコロンボ市内でも、「一瞬の隙」が生じることはあります。その瞬間に決断して渡らないと、もう渡れない――そんな隙が。


でも考えさせられたのは、人生も同じだなぁ、ということ。

機会は私たちに平等に、与えられています。しかしその機会が訪れた瞬間に、決断して渡ることができるかどうかで、その人が「望んだ人生を送れるか否か」が決まるのでしょう。

人によっては、危険を避けるためいつまでも渡れずに、ぐずついている人がいます。反面、手を振って運転手を牽制しながらでも、渡ってしまう人もいます。また、他の通行人を盾とし「みんなで渡れば怖くない」という人もいます。

仮に紅海が分かれても、そこを渡る決断をしなければ、怒りに燃えるエジプト軍に飲み込まれてしまうのと同じように。足踏みを続けていても、状況は変わりません。いや、自分の想いとかけ離れていく現実に、辛いだけです。

どんな場面であっても、決断と行動によってのみ、結果は出てくるものですから。
渋滞の間隙を縫って、すばやく車の濁流を抜けましょう。

神に聞いて、すばやくそれに従いましょう。

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朗読 神のみことば:第一章 旧約聖書
2007-06-19 Tue 22:50
神のみことば 第一章:旧約聖書 
第一節:詩篇

今日は第一章 第一節を読みます。

(「神のみことば」、また冊子については、神のみことば <はじめに>をご覧下さい。また「続きを読む」内にテキストもあります。)

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神のみことば 第一章 第一節 III を聴く(1697.6K)

神のみことば 第一章 第一節 IV を聴く(2541.3K)

*上記クリックされますと、MSメディアプレーヤーなどのソフトが起動し、音声を聴くことができます(右クリック→「別のタブ/ウィンドウで開く」がお勧めです。)

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カナン人の女
2007-06-19 Tue 21:58
イエスキリストの宣教の中で、気になる部分があるとすれば、一つは「カナン人の女」ではないでしょうか。

概略を申しますと、「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」「主よ。助けて。」と泣きついてきたカナン人女性の訴えを、主は無視したばかりか、「子どもたち(ユダヤ人)のパンを取り上げて、子犬(カナン人)に投げてやるのはよくないことです。」とまで言って、切り捨てた場面です。

「なんて無慈悲な。」そう思ったのは、私だけではないはず。ユダヤ人以外にも、この世の光として遣わされているはずなのに、なぜ…?


章節に隠された「含み」を理解するために、当時の時代背景・民族の知識を得るのは有益です。例えば、カナン人についての以下の記述を見てみましょう。

①「ユダヤ人」というのは宗教の区切りであるので、人種的には「ユダヤ人」「カナン人」はほとんど違わない。若干違うとすれば、発音?
②モーセの時代、ユダヤ人はカナン人を追い払うように、テリトリーを広げている。つまり仇敵同士。
③「主よ。ダビデの子よ。」という表現は、ユダヤ人特有の言い回しであり、カナン人のものではなかった。


「なぜ主が彼女を無視したり、冷たいことばを送ったのか」の解として、こう考えることができます。

つまり「カナン人の女性は、その娘が癒される奇跡が欲しいばかりに、主イエスの好意を得るためユダヤ人のふりをして主に近づいた。」ということです。


しかし、主イエスには、もちろんお見通しでした。
だから彼女が「主よ、主よ」と偽りの発言を続ける間中は、キリストは無言で、冷たいままでした。
最後の望みをかけた、真摯な願いが彼女の口から出るまでは。


だから、私たちも神の前にあって正直に、自分の過去を打ち明け、悔い改めることが必要なのでしょう。
「私、今日こんな素晴らしいことをしました。」
「Aさんの心の傷を癒してあげました。」
神さま、すごいでしょう!賞賛に値するでしょう!」ではなく。

本心から悔いた心、正直で謙虚な心をもって、神の前に立つことが必要なのでしょう。

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その男、ヨブ
2007-06-16 Sat 18:07
聖書の中に「ヨブ記」という章があります。これはヨブ(Job)という名の富豪が、サタンの仕掛ける試みに遭い、家族、資産、遂には自分の健康まで損ねて後、3人の旧知の友人たち(+若者1人)と神の意図について話し合う、その白熱した議論からなっています。

ヨブの通り抜けた苦しみや痛みがどれほどだったのか。それは彼が、友人たちに語り始めた言葉で、明らかになりました。彼は、こう言って呪ったのです。

「私の生まれた日は滅びうせよ。」と。
「なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか」と。


最初にヨブ記を読んだ時、私は釈然としない想いに包まれていました。
「なぜ神の前に正しく生きて、築き上げたものが奪われてなお、神に信頼している人が苦しめられるのだろう」
「なぜ神は、試みと悪意に満ちたサタンに権限委譲し、ヨブの人生を変えたのか」
「なぜ落ちるところまで落ちたヨブを、神はさらに叱りつけ、否定し、挑発したのだろうか」
「そしてなぜ、3人の友までを罰せられたのか」


実にヨブは、友人たちが訪ねてきた時、路上で座り込み、腫物で覆われた身体を土器のかけらでかいていました。息子7人・娘3人、羊・らくだ・牛・ろばなど資財を全て失い、全身の皮膚から膿がでる病に冒されたまま、貧困によって路上生活を強いられたのです。

苦い思いと、反抗心で満たされていたヨブの心は固く、友の励ましの言葉すらネガティブに捉えて、自己憐憫と正当化に浸ってしまいました。つまり、心砕かれ、今まで信じていたものに裏切られたヨブは、「友まで私を誤解し、分かりきったことを並べて私を責め、侮辱している。」と感じたのです。

しかしそれは、ヨブが神と本当の意味で、邂逅するためでした。


そう。ヨブが友人の励ましや忠告を振り払い、自分の格言を取り上げて、「私は正しい」「私は神の道を片時も離れなかった」「私は神と討論したい」とのたまわった後。神よりも自分を義(よし)としたヨブに対して、若者エリフが怒りに燃え、話し始めます。そしてその話は、ヨブに神への畏れを取り戻させ、神はその畏れを認めてから、彼に直接話しかけるのです。


「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
知識もなくて、節理を覆い隠した者は、だれでしょう。
まことに、私は、自分で悟り得ないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。
どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。
それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます(ヨブ42:2~6)。」


人生の底で、ヨブが見たものは、神。
そして、己を正当化し、憐れむことばかりに囚われ、醜くこわばった自分の顔…。
彼は、長い苦しみのすえ、本当の悔い改めに辿りついたのです。

その後、神は彼を以前よりも祝福され、ヨブ記はハッピーエンドで終わるわけですが。
彼はこれらのことが起こるまでは、幸せで、満ち足りて、正直神を必要としていないくらい、恵まれていました。神がその力をフルに働かせるのに必要な条件として、プロテスタントの父、ルターはこう言っています。

「神の本性は、無から何かを創ることである。それゆえまだ無でない者からは、神は何も創る事ができない。…それゆえ神は、見捨てられた者でなければ迎え入れ給わず、病む者でなければ癒し給わず、盲いたものでなければ目を開き給わず、死せる者でなければ生かし給わず、罪びとでなければ義と為し給わず、愚者でなければ賢く為し給わない。
一言で言えば、惨めな者でなければ憐れみ給わず、不興を蒙っている者でなければ恩恵を与え給わない。」

そう。一度落ちるとこまで落ちてみないと、本当に理解できないことはあるのです。


私たちも同じ。満たされて、幸福な間は神など必要としていません。
しかし、人生の荒波にもまれ、すべてを失ったときに改めて、その栄光を見ることもあるのです。

苦しみの中で、私たちが神に疑念を投げかけ、不満を打ち明けるとき。
「正しい者の私が苦しんでいるのに、神はどこにいるのか」
「私が傷つき/侮辱され/痛めつけられ/手ひどく扱われているのに、神は一体何をしているのか」
「なぜ救いの手を差し伸べてくれないのか…。」
そんな想いが首を持ち上げるとき。

覚えていてください。
「あなたは、神に対して怒ることもできる。
しかし神は、あなたに対して怒ることはない。」ということを。

幸いなのは、嵐に会わない人ではありません。
ヨブのように、その中からさらに優れた、素晴らしい宝物を見いだすことができる人です。


だから私たちも、来たるべき人生の暗やみに備えて、日ごろから神のことばに学びましょう。
また、今苦しみの底にある人は、主にあって希望を捨てずに日々生きて行こうではありませんか。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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朗読:神のみことば はじめに
2007-06-15 Fri 18:07
神のみことば <はじめに>

本冊子を手にとって頂き、まことにありがとうございます!

「神のみことば」は前作「主の福音」の続編として、旧約・新約聖書より、こころに響く章節を取り上げ、まとめたものです。

この冊子は、あなたが遠大な聖書の旅の中で向き合う、あの山の頂や、古い大樹、歴史ある湧き水、苔むした巨岩…先人たちの足跡が刻んだトレイル(道筋)で、あなたが見いだすであろう史跡を、少しですが共有することを目的としています。

焦点となる聖書のことばと、その章節の番号が振ってありますので、いつでも聖書から参照できます。簡単なインデックス代わりにも、ご利用いただいてはいかがでしょう。

<「みことば」 とあなた>

「わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、
私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。
私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません(詩篇40:5)。」

聖書にこうあるように、この冊子に掲載できたことは、本当に限定されたものです。しかし、皆さんの中に「聖書のメッセージとは、こういうものなんだ」という理解と、「興味」という種を植えることは、主にあってできると考えています。

ですから、「宗教」という線引き、また社会の既成概念を一度取っ払って、「聖書の章節があなたの人生にどう働きかけ」「先人たちの知恵が、あなたの現状にどんなメッセージを投げかけるか」を、経験していただきたいのです。

<聖書へのいざない>

しかし、この冊子が達成したゴールは、あくまでも「ダイヤモンドの一面」、「富士山の写真」、「あなたの履歴書」的な表現でしかありません。

つまり、無数に、それこそ限りなくあるダイヤモンドの輝きの、ほんの一面をとらえたもの。
季節ごと、いや時間ごとに違う表情を見せる富士山の、ほんのワンスナップ。
喜怒哀楽に彩られたあなたの人生を、たかがA4x2枚程度で表現しようとした、まとめ。

ですから、各章節が書かれた時代背景や、筆者の置かれていた状況を知れば、聖書のメッセージが単なる名言集ではなく、生きて、苦しんで、悩みぬいた人間が絞り出した声であることにも気付くはずです。そこまで辿りつくのは、単に名言を聞いたり、暗記するレベルから、さらに飛躍する必要があります。時間も労力もかかる仕事です。でもそれは、ご自分の興味が高まり、また聖書を購入されてから、少しずつ探求されてみてはいかがでしょう。

「これまでキリスト教に触れたことがない」
「聖書は読みかけたが途中で挫折した」
宗教なんてみんな嘘っぱちで、弱い人を騙すいかがわしいものだ」

というようなご意見の方に、お勧めできる冊子に仕上がったと思います。人生の谷間や嵐を経験した方なら誰でも、同じ想いを馳せることができる、先人たちのことばが詰まっておりますので。

そして今後、この冊子に従って朗読を行なっていきます。お時間ある時、また付き合ってくださいね。よろしくお願いします。

今日があなたの人生を変える、とても大切な日になることを、信じ、期待して。お祈りしています。

ごとう ひでたか 拝

神のみことば


神のみことば をダウンロードする (pdf 978.6K)

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End Times: 今、地球規模で
2007-06-13 Wed 16:00
今日は私たちの置かれている状況を、数字で示す為に。

平均気温の上昇で、表面化する地球規模の危機(クライシス)についてお話したいと思います。

@0~1度
数億人が水不足にさらされる
種の分布範囲が変化
洪水と嵐による被害の増加
熱波、洪水、旱魃による罹患率や死亡率の増加

@1~2度
最大30%の種で絶滅リスク増加
ほとんどのサンゴが白化(出展?)
低緯度で穀物の生産性が低下
中高緯度でいくつかの穀物の生産性が向上

@2~3度
広範囲でサンゴが死ぬ
海洋の循環が弱まることによる生態系の変化
一年に沿岸洪水を経験する人が数百万人増加

@3~4度
低緯度で全ての穀物の生産性が低下
中高緯度のいくつかの地域で穀物の生産性が低下
地球上の沿岸湿地の30%が消失
地球規模での生物の重大な絶滅
(そして、今世紀末には1.8度~4度の気温上昇が見込まれている。IPCC報告より。)

そう、時は近づいています。

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パチスロ賛美
2007-06-12 Tue 20:33
「今日パチスロで、5万負けました」
「夫には内緒なんですが、実は借金あるんです」
「止めたいんですが、週末はやっぱりヒマだし」
「あのドキドキ感…。私の人生には、パチスロ以外ないわ」
「Praise パチスロ!ハレルヤ!」


私も10代後半から、パチンコやってました。と言っても金がないため、可愛いもので「今日は500円で何とかする!」などと言い、台の釘を見ては「この台…釘がキツすぎるッ」「この釘が低くて、みな落ちるであろう」などと、分かった風な口を利いていました。
記憶は、様々なものを美化してくれます。それはギャンブルも同様で、私はパチンコで勝った記憶はあっても、負けた時の空しい記憶は殆どありません。しかし、「時間の無駄だったなぁ」と思うことはあります。

ですから、全国のパチンコ・パチスロファンの皆さん。

「ハイ今すぐやめましょう!」
とは、おこがましくて言えません。

でも、もしあなたの心の中に、
「勝っても負けても、結局飲んじまう。どっちに転んでも負けさ」
「負けた分、取り返さないと…もしバレたら、夫に何て言ったらいいか」
「負けがこんで、マチ金に手を出した。これから一体どうなっちゃうんだろう…」
「止めるべき、なんだけどね…」
という良心の呵責と、空しさがあるなら。

イエスキリストが信じ、期待してこの世に送り出した「あなた」について、もっと理解を深めませんか。
主があなたに与えようとしている、「To Dos(すべきこと)」を尋ね、それを達成するために日々、行動してみませんか。

それと併せて、これらのサイト↓を訪ねてみてはいかがでしょう。自分も依存経験を持つ方、また経験豊かなスタッフから、有益な解決策がきっと、示されるはずですよ。
神さまの助言や、道は、人の手を借りて/人の声を通じて、伝えられることも多いからです。

パチンコをやめませんか?
強迫性ギャンブル癖からの復活・GA日本
リカバリーサポート・ネットワーク
自助グループ・ギャマノン

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Are we not entertained?
2007-06-11 Mon 21:13
1999年秋、私が家族と共に四国へ一周旅行に行った時のこと。観光の目玉の一つに「闘犬」がありました。
約4メートル四方の金網リングが中央に据えられ、周囲ではおっちゃんたち(地元の人?)がまばらに座って、ビール片手にだみ声をはり上げています。

そのリングの一方で、大きな土佐犬が、化粧マワシをつけて開始のゴングを待っていました。体重50kg超ではないでしょうか。太くて、巨大な犬です。口の端はぺろんっと垂れ下がり、よだれ気味。

犬派な私は試合開始前に、その犬に近づいて挨拶し、頭と耳の裏をなでていました。すると係りの人から「お客さん、手を食いちぎられますよ!!」と注意され、ようやく止めた訳ですが、そんな凶暴な犬では全くなかったのです。

逆に、私が間近に見たのは。
周囲の人間の怒号と目の前の金網、そして対面で吠え猛る敵に、怯えている犬でした。


案の定、試合開始するとその土佐犬は相手に噛み付かれ、「しかたなく」反撃する、という消極的な戦いを展開。尻尾は下がらず、背も向けず、ダウンもしないまま。しかし彼は判定で負けてしまいました。

その堂々とした、大柄な姿。化粧マワシで飾り立てられ、「こいつ…強いッ!」という先入観と偏見と評判が、勝手について。しかし、その内面は優しくて、繊細な犬。
「Are you not entertained?」


そんなことを思い出しながら、また少し前の話ですが。
アマレス オリンピック銀メダリストの浜口京子選手の父、元プロレスラーのアニマル浜口さんも、その「気合だッ」「おゥッ」のキレ振りが新鮮だったので、一時期これでもかッとメディアが放送していました。
しかし、娘さんにはその「気負い」が高血圧の父の健康に害を及ぼさないか、心配だったのです。テレビがこぞって貼り付けた「アブナイおっさん」のレッテルの下の、父の笑顔を知っていたからです。
そう。娘には「厳しくも優しい、尊敬できる父」だったからです。
「Are you not entertained?」


視聴率の取り合いで、ますますショッキングに、過激になっていくドラマや、ニュース報道。
Page View/Dayを稼ぐ為に、モラルや人道的視点から離れ、何でも掲載するネットメディア。
メディア受けを狙ったかのように凶悪化する、殺人事件…。

そして、それを甘んじて受け入れて、視聴率/PVアップに貢献してしまう私たち。
「Are you not entertained?」


映画グラディエーターの主人公、マキシマスの言葉を借ります。
「Are you not entertained(お前ら、楽しんだか)?!」

闘奴として戦うマキシマスが、地方大会で5対1のランダムマッチを戦った時のこと。
「血が見たい」「もっと残酷な殺し方で」「切り裂け、突き立てろ」と騒ぐ観衆に対して、対戦相手の首を刎ね飛ばすパフォーマンスをしてから、彼は叫びます。
「Are you not entertained(お前ら、楽しんだか)?!」と。


私たちはいつ、「もう十分だ」と言えるのでしょう。「これは私たちの求めているものではない」と。

「強くなければいけない」土佐犬。「キレてなければウケない」アニマルさん。視聴率獲らなきゃゴミ以下のテレビ局。そしてそんな、作り出され、偏見と脚色に彩られた情報の中で翻弄される私たち。
「Are we not entertained(もう、十分じゃないですか)?」


なぜなら、私たちには取り戻すべき「人生」が。
取り戻すべき「家族」が。取り戻すべき「愛」が。取り戻すべき「心の平安」が。
実はすぐそばに、あるんですから。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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フルコンでお願いします
2007-06-11 Mon 20:49
空手の流派で、「フルコン系」というものがあります。フルコンタクト空手の略で、極真舘総帥 大山増達先生が設立、伝道した「直接打突(拳なり蹴り足を実際に当てる)」武道です。これが元になり、現在キックボクシングなどとの融合を経て、立ち技系格闘技が産まれました。これは、テレビでもK-1ブランドなどとして親しまれていますね。
つまり、寸止め(当たる直前で止める)をせず、打撃で相手をノックアウトしたり、与えた有効打突が判定の基準になったりする格闘技。それが「フルコン空手」です。

型稽古や表演などの「かたち」「順番」でなく。実際に二人の選手が、心技体尽くして殴りあうわけです。学校や会社では、なかなか出来ないことですね。

試合で勝つためには、日々の稽古でもある程度ガチンコで練習しなければ、強くなれません。実践の中で自分の長所・短所のみならず、トップギアでの戦い方、スタミナの限度・配分、故障中の戦い方を学びます。だから、「同じ道場生なので、仲良く、お手柔らかにやりましょう…」では、お互いの為にならないのです(黒帯の先輩たちはその辺重々承知していて、可愛がってくれます。)


キリストの愛」の話で、いきなり極真空手とは、一体何が言いたいのか。

最近私のブログに訪ねてきてくれた方に、「一度クリスチャンになるも、教会内での矛盾や、信仰の理想vs現実を目の当たりにされ、主の元を離れてしまった」方がいました。その方の投げかける質問は、他の大勢の方たち、特に新しいクリスチャンや、キリストの福音を聞いたことがない方、また「宗教なんていかがわしいもんだ」と思われている方たちが、当たり前のように持つであろう質問です。

しかし現実に、こうした「素朴で、核心を突いた」質問が、教会内でオープンに話され、検討され、解決されているでしょうか。「こんなこと聞いたら失礼ではないか」「牧師さんの言葉を否定することになるのではないか」などと、敬虔な教会員の皆さん、口を閉ざしてしまっていないでしょうか。
質疑応答の模範事例に従い、「お手柔らか」な「型稽古」に終始してしまっていないでしょうか。

人類が考えうる全ての質問に対して、模範解答はあるかもしれません。なんせ、歴史が違いますから。
しかし、この世の全ての論理(ロジック)を持ち出しても、聞いた人が「こころで頷くか否か」は別問題です。
「正解」や論理でたたみかけ、相手を黙らせても、そのはぁとの合意には至りません。また、自分の理解と違うからといって、「そんなこと聞くなんて、クリスチャンらしくない」と批判し、切り捨ててしまっても、お互いの成長と理解にはつながらないと思います。

そう。実際に殴り殴られてみないと、実戦の機微など理解できないのと同じように。
まっすぐに、鋭く斬り込んでくる質問を恐れず、受けてみない限り。
私たちが理解できないことは、きっとたくさんあります。

だから、同じ教会内でも、意見交換は「フルコンでやりましょう。」
特に新しい信者の方、教会初めてというような方の新鮮な意見を聞いて、みんなで考えることは、その教会の健康と、中長期的な成長のために不可欠だと思われます。普段おとなしい人を黙らせず、オープンな雰囲気で語る。例え意見の食い違いがあっても感情的にならずに、お互いへの愛を忘れず話し合う。

そうできるように、祈りましょう。
難しい人生の質問に対して、真摯で謙虚なこころでもって「私はこう思うけど、それが全てではない」「私にも本当のところ、分からない」「一緒に調べてみましょう」と言える勇気を、神さま、与えてください。
私たちが、自分たちの好き嫌いや偏見や裁きによって、誤って「高価で尊い、主の働きびと」を批判してしまわないように、忍耐と知恵を与えてください。
あなたが「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」ように、私たちが訪ね来る人をひとり残らず、あなたの御前に連れて行くことができるように、導いてください。

愛する主の従者たち。私たち一人ひとりが、神の教会です。
そして主が共にあって、私たちを仲裁し、導いてくださるなら。
私たちには必ず、お互いに「こころで頷く回答」が示されると知っているからです。

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This is life
2007-06-08 Fri 19:05
「思うように行かない、これが人生だ。」「This is life…」と言って、肩をすくめて諦めるのは簡単なことです。人生という教師に遭遇し、横っ面を張り飛ばされて、「人生なんてこんなもんさ…」と自分の痛みを娯楽やTV、恋人や車や酒やインターネットなどで薄めることも可能です。もしくは鉄面皮を身に着けて、どんな状況にも無関心を装い、悲しみも、苦しみも、孤独も涙もあたかも存在しないように、自分の心の奥深くに押し込めることもまた、可能です。世をはかなんで、引きこもる選択もあります(そして毒をネットで吐く。)

でもそれって辛いよね。
それって、コルセットでウエストぎゅうぎゅうに締めた状態。
中国の纏足みたいに、無理やり矯正して本来の足の形を変えてしまうこと。
もしくは、おしっこ我慢してる状態。
どれも、身体に良くない。


私たちは本来敏感で、軟らかく、感じやすいのです。他人の表情や、電話越しの声音、そんなものにも気を配ります。だから逆に、友好的な人と出会えば楽しくなり、権威があって忙しい人と出会えば遠慮がちになり、悲観的で不幸な人と出会えば同情し、悲しくなります。

それもこれも、私たちが「理解したい・されたい」「人から認められたい」「愛されたい」と願う当然な欲求の表れであって、個人差はあれど、誰でも持っているものです。それをまず認識することから始めましょう。

あとはその内側から噴出してくる思いを、どう取り扱うかです。それを、マイナス方向でなくプラスのベクトルとして働かせることです。
その為に実は、万人向けの解決法があります。


<あなたも愛されている>
「Life is life, but Life with Lord is a Life renewed.」これが、キリストの愛を知った私たちの答えです。つまり、「人生辛いけど、主が共にいて下さる人生は、新しい人生だ。」ということです。

でも「主が一緒の人生」「新しい人生」って、どんなものでしょう?

イエスキリストは、人間が経験するであろう喜怒哀楽、誉れ、蔑み、友情、裏切り、出会い、別離、愛、憎しみ、そうしたものを実にその極限まで、味わいました。だから、あなたが日々晒されている気分の移り変わりや、感情のアップダウンを自身の経験を通じて、自分のことのように感じることができます。

だから、主は私たちから遠く離れた存在ではないんです。キリストはちょうど、あなたの先輩や、あなたの兄のような距離でもって、あなたに接してくれます。

主が共にいてくれれば、あなたがどんな環境にあろうと、どんなに状況が悪く思えても、「私は一人じゃない」と信じることができます。主イエスが共にいてくれれば、たとえ友人から誤解され、否定されようと「私の主は全てご存知だ」と心を強く持つことができます。主が共にいてくだされば、一見不可能なこと、自分には向いてないなと思うようなことでも「信じて行なえば、できる」という姿勢でタックルすることができます。


私たちが人生という教師に虐待されて、失ってしまったもの。

イエスに信じ、彼と共に歩むことで、私たちは新しい勇気を得ることができます。
新しい目標、新しい活力、新しい思考、新しい姿勢を、身につけることができます。

そんなあなたの元に、相応しい仲間が必ず集まってくるはずです。
ダビデとヨナタンのように、これまでにない深い友情や、人生を変える出会い、かけがえのない師が。そして、彼らと共に追いかける、生涯をかけるに値する目標が…。

それら全てが、つまり「主が一緒の人生」「新しい人生」ということです。

<だから、今>
もしあなたが今、信じられるものが無くて。傷ついて、血を流していて。何をすべきか、分からなくて。人と話しても、表面だけの会話や、世間話に終始してしまっているとしたら。

一度、基本に帰って、神さまに聞いてみませんか。
あなたが本当は誰なのか、何をすべきなのか。

主はいつでも、あなたのそばにいて、あなたの祈りに耳をかたむけてくださっているからです。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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下らないことで
2007-06-07 Thu 17:03
レジ待ちの順番で割り込まれたとき。満員電車の中で、濡れた傘が足に当たったとき。運転中、渋滞にはまったとき。図書館で、子どもが騒いでいるとき。
また、学校休んでゲームにはまっているとき。週末にすべきことをしないで、マンガ喫茶で範馬バキを読み倒してしまうとき。パチスロ・競馬でなけなしの資金を全弾放出し、晩飯すら食えないとき。

私たちは簡単に、主イエスキリストの伝える「愛と赦し」を離れ、「憤り」や「空しさ」に囚えられてしまいます。


そう。サタンとその一派の戦争論は、大規模な掃討作戦ではなく、ゲリラ・テロリストの戦い方です。思った通りに物事が進まないことへの苛立ち、怠惰、一時の快楽、逃避、責任逃れなど…。生活の中に巧妙に隠されたトラップでもって、私たちを陥れようと常に狙っています。

私たちには、その罠に気付き、識別するための知覚を持つだけでは不十分です。つまりその罠を回避し、もしかかってもすぐに抜け出すための確固たる意思と、決断力が必要だからです。

<言うは易し>
「そう言うのは簡単だ」と思う方もいるでしょう。確かに私たち一人ひとりは、こうした感情・欲望に対し弱いのです。しかし、聖書を通して語られる私たちの師の考え方や、生き様に触れることで、誰でも対応策を学び、実践する努力はできると思います。

そして、それによってできた時間を、もっと有意義な目的に使用してみませんか!

●新しく、肯定的で満たされた友好関係を築きましょう。あなたの価値は、学校・塾・部活・職場でのみ認められるものではなく、地域社会・教会・ボランティア活動など、さまざまな分野で必要とされているからです。
●家族と時間を過ごしましょう。だって家族といえども、私たちは他人です。E.g.お母さんが、あなたと同い年だった頃は、一体どんな世界だったんでしょうか。どう感じ、どう考え、どう生きてきたんでしょう?
●あなたが一体何者で、なぜこの時代にこの世界で生きているのか――その意味について、少しずつ理解を深めましょう。あなたには「自分自身」という贈り物を最大限吟味し、「ゲーム」「生活」「単位取り」「昇進」より遥かに大きな目標のために、活かすことができるからです。

聖書は、あなたが罠から抜け出すためのみならず、まず「自分の幸福のため」、そして「周囲の人びとの喜びのため」の人生を、教えてくれます。

<旧あなた>が「いや私にゃ無理」「向いてないから」「ウザい」と言ってしまうときでも、主イエスと共にある<新あなた>は「楽しんでやってみよう」「イエスさまが一緒にいてくれる」「私には、何だってできる」と、自分の内側から溢れ出る勇気と、前向きな思考で満たされるはずです。

悪魔が仕掛けた「下らないこと」から脱して、あなただけに用意された、素晴らしい人生を今、始めましょう。
イエスキリストが、あなたのガイドです。

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい(ローマ12:2)。」

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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神さま、私に注目!
2007-06-06 Wed 14:57
神さま、私の願いを聞いてください!」
「お願いです、私の祈りをかなえてください!」
神さま、Attention please!!」

一体どれほどの時間を、私たちは上記のように拝み倒して、費やしているんでしょうか。

でも本来祈りって、双方向のはずです。自分の「Wish List」を繰り返し唱えることではないはずです。

そう、神さまは礼儀正しい方ですから、私たちの自己主張を途中でさえぎってまで、話そうとはしません。私たちが聞く姿勢をとるか、または拝み疲れて静かになるまで、語るのを待つことが多いのです。

だから祈る時は、神さまからのインプットを求めましょう。

神さま、あなたの意思を示してください」
「お願いです、あなたの望むように、私を導いてください」
「私がしようとしていることは、あなたの道に適っていますか」
「しもべは聞いています…」

謙虚な耳は、神さまの声を聞きます。真摯なこころは、神さまのイメージをありのまま受け取ります。従順な人は、神さまが示されるように、まことの道に歩みます。
強い信心を持つことは大事です。しかしそれ以上に、主に聞き、その声に従って生きる姿勢が大切なのです。

イエスキリストは、あなたに語りかけていますか…?
あなたの中に、神さまによって与えられたビジョンや、夢や、目標がありますか…?

もしあるなら。

行動しましょう。遅すぎることなんてありません。もう一度それらを引っ張り出して、埃を払い、丹念に検証してみてください。「神さま、これはあなたの意図したことでしょうか」「教えてください」と尋ねましょう。


祈りの後、もしあなたの心が、主にあって平安に包まれたのなら。
続けて張り裂けそうな情熱や、興味や、アイディアの奔流が、あなたに注がれるはずです。

「できるだろうか」「そんなの無理だよ」と心では思いつつ、「できたら、どんなに素晴らしいか」「やってみたい」という圧倒的な想いが、膨らんでくるはずです。それはまことに、いいサインですね。

それがどんな事業であれ。仕事をしながらでも、できることはあります。家族の面倒をみながらでも、進められる部分はきっとあります。学生であれば、なおさらさ。

そして、今日という日は始めるには最高の日です。

あなたも「イエス!」と言えましたか…?
言えた方は押してくださいね♪↓
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リスクの山を越えて
2007-06-05 Tue 18:08
決断することには代償が、冒険にはリスクが、ついてまわります。

パウロが、「眼からウロコ(使徒9:18)」現象を経て、主イエスに人生を捧げたとき。周囲からの反応は、冷たく、厳しいものでした。以前所属していたユダヤ人社会からは「裏切り者」の名を受けて、抹殺リストに載り。クリスチャン社会からは、「私たちの一員の振りをして、一斉検挙するための作戦ではないか」と疑われて、敬遠されました。つまりどっちに振り向くことも、できなかったのです。

しかし、彼は堅く信仰に立って地方から伝道を開始し、アラビア、シリア、故郷タルソスやカイザリヤで福音を宣べ続けました。そして、14年と言う歳月の後、「死地」エルサレムに戻ったパウロさん。しかし、想像していたような拒絶や抵抗はありませんでした。
彼に対する周囲の目、批判、敵意は全て、主にあって彼の決意の前に屈したのです。

ですから、私たちは、周囲の意見がどうあろうと。状況がどんなに厳しかろうと。

そのユニークさ・財産を保ち、伸ばし続けるべきではないでしょうか。
自分だけに与えられた、ユニークな目標を追い続けるべきではないでしょうか。


ヒナが殻を突き破るまでは、苦しい、孤独な戦いです。親鳥も手を貸すことはできません。
しかし、一度殻を破ってしまえば。
私たちはみな、自由になり、太陽の元に出られることを知っているのです。

一人でも多くの方が、主イエスに会い、その慈しみと愛を知ることができるように。あなたの祈りも、貸してくれますか…?
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空気を読め
2007-06-04 Mon 16:11
「天上天下My way is high way」 なB型国家(なんだろうなぁ)のここスリランカでは、「空気を読む」などという小手先の技は存在しません。「江戸しぐさ(江戸町人の心くばり。「暮らしうるおう江戸しぐさ」参照)」など実施しても、彼らは感じないのです。つまり、こちらが大人になって譲歩しても、彼らがそれについて理解し、かつ感謝するなど、ほとんどありえない、ということです。

私は一緒に道を歩いている際、その人の心配りを観察することがあります。つまり、道が狭くなったら譲りあう、とか、雨の日、傘をさしている人が歩いてきたら、自分の傘を傾けて通りやすくする、とか。集団で歩いている時も、後ろから追い越そうとしている人のために道を譲るよう呼びかける、とか、ドアを開けて次の人を先に入れてあげる、とか。それが、お互いを尊重する姿勢の片鱗みたいなもの、と考えています。

そんな礼儀正しさを、海外で、特に途上国で期待すると。
多分あなたは人類に失望します。

現実はこんな感じです。
あなたが対向者に道を譲ろうとして、さらに壁際によって歩くと、彼はゆとりのある車道側から突然方向を変え、あなたよりさらに壁に近づいてすれ違おうとする。なぜだ。
女性が5人ぐらいで、雨の日に歩いていた。すれ違い時、私が傾ける傘に全く気付かないのか、「私たちのお通りよ。頭が高い!!」とでも思っているのか、我関せずで直進して傘をぶつけて来た先頭の彼女。
通行人がすぐそばを歩いているのに、見向きもせずアクセルを踏む/ドアを開ける運転手。
通勤時、急ぐ人波。前方を行く男性が、「あ。」とノーモーションで突然立ち止まる。後ろなんてもちろん見てない。
込んでいるエスカレーター前。偶然出会った友人がそこで立ち話をし、通行人をブロックする。
エレベーターに乗っても、「開ボタン押し係」になど誰もなろうとしない。結果私が挟まれる。


そこでは、「あ・うんの呼吸」「ツーカー」「奥ゆかしい礼節」など、期待できないというよりは、存在しないのです。ですから、ほぼ全面的に「俺のビールはアサヒだろって!」「レポートのフォントがバラバラなのよ!」「客が来てるのに茶が出てこねぇ!」「出る前にデジカメの電池充電しとけって!」などという日本的「分かってよ、そこんとこ…」という心のSOSなど、届きはしません。

時間をかけて、きっちり指示を出し、間違ったらその都度指摘して、ネチネチと精神的に陵辱するくらいしないと、「きめの細かい心配り」など、「なんちゃって」でも期待できないのです。そうやって部下や家政婦をしごき倒して、作業の一つ一つをモニターし、修正して「日本化」しようとあがくか。それとも、それを純粋な「違い」として受け入れるか。選択は私たちのものです。

諦観(あきらめ)でなく、失望でなく、私たちがこうした民族的、文化的な「違い」を受け入れ、感謝することができますように。主よ、導いてください。

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「神不在の人生は」
2007-06-03 Sun 16:00
私たちの最も信頼できる仲間であり、近しい親友である主、イエスキリスト。そして、天地を創造し、私たちに大切な役割りとそれを果たせるだけの才能を与え、愛してくださっている天の神さま。身近な相談役の、聖霊さん。

神さまの道に従って歩く私たちが、「頼りにしてますよ」という神さまです。三人で、一つの意思。一つで、三つの異なる役割。

人間の理解にはとても収まりきらないコンセプトなので、捉えられ方はたくさんあるけれど、究極的には一個の「神さま。」その神さまが不在のとき、私たちはどう生きるでしょう。

私の父は、時代小説大ファンで、自身も剣道7段、現在70歳超ながらも二刀流を使いこなす兵(つはもの)です。その父が人生の中で、さまざまな人生哲学に出会い、さまざまな人の生き様に触れて得た結論として、私が学生のころこう話してくれました。

「男は富・権力・名誉のために生きている。」と。

小咄ですが、私がミシシッピで学生していた時、国際学生フェアでこの「Money、Power、Honor」を習字の筆で書いてやったら、南部アフリカンアメリカン学生たちの超人気商品となりました。その内一人は、「俺これ入れ墨するんだ!」と嬉しそうでした。(ドラゴンボールの入れ墨しちゃう人たちですから…。かわいいんです)

でも最近になって思うのは、この「富・権力・名誉」という三本の柱が、どれほどの人を狂わせてきたのかということ。それを手に入れるためなら、何でもする。それが仮に、多くの人々の不幸の上にのみ、成り立つゴールであったとしても。

そう、私たちは「富・権力・名誉」という名の偶像を崇拝して、賛美しているんです。
資格、学歴、身体能力、美貌、役職・肩書き、海外経験、人脈、効率、成功、実績、運、自己実現、資産…。

「おお神々よ。私を満足させてくれ!私を幸福にしてくれ!私の望みをかなえてくれ!」と。
「おお神々しい高みよ…。あなたに辿りつきさえすれば、私は別人になれる!私は人々から認められる!」と。

しかし、時に大風が吹きすさぶと…。
株価大暴落…。自然災害…。糖尿病が発症…。失明の危険…。家庭崩壊…。失業、左遷、破産、…。

あなたが渇望して、高い山々を乗り越え、ようやく手に入れた、達成したと思ったもの。
人生の嵐が来れば、これらの神々は「必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。(箴言23:5)」のです。

あなたを暗やみの深遠に、ひとり残して…。

そして彼らは、誰か別の人間を見つけて、よろしくやっています。ご心配なく。
新聞を見てください。そこはこれらの「神々」に一時愛され、持ち上げられ、そして破綻していく人々の影で、溢れています。


だから、知恵のある私たちは、もっと確かなものに信頼をおきましょう。
「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません(ヨハネ6:37)。」と言ってくださった、私たちの救い主に目を向けましょう。

神に会うこと、そしてその意思を理解しようと努力することは、文字通り私たちの人生に、革命を起こすだけのインパクトがあるからです。

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愛と平安を見いだすことができますように。
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もういやだ
2007-06-02 Sat 17:34
「辛い…」
「もうやめよう、何もかも…」
「悲しいよ…」
「ひとりぼっちだよ…」
「どこまで登ればいいんだろう…」
「苦しい…」
「もう無理…」
「痛い…」
「誰も分かってくれない…」
「死にたいよ…。」

あなたは一度でも、そんな風に思ったことが、ありますか…。
人生の嵐にあったことが、ありますか…。

もしそうなら。あなたも神さまの愛を受け取り、新しい人生を始められます。

「いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。」というのは、神さまがあなたにくれた、信じるに足る約束だからです。

また、あなたの中の「自分(エゴ)」が小さくなったとき、あなたの中の「神さま(への想い)」は大きいからです。

神さまはあなたを知っています。この地上の誰よりも、広く、深く、理解しています。
その上で、あなたのことを心配して、一日も早くあなたが「自分も神さまの子であり、愛されて、崇高な目的と共にこの世に送り出された」ことに気付くのを望んでいるのです。

だから、もしあなたが「神さま、今私は迷い、悩んでいます」「助けてください」「教えてください、私が何者なのか」と真摯に願うのなら。

あなただけの「神さまのプラン」を知るために、祈りましょう。また、ヨハネの福音書(新約聖書)から始めて、聖書を読んでみてはいかがでしょう?教会に行って新しい人たちと出会うのも、良い刺激になると思いますよ。なぜなら、教会に居る人たちもみな「人生の嵐」を経て主イエスキリストに辿りついた人たちでしょうから。


「わたしはあなたがたのために立てている計画を良く知っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなた方がわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう(エレミヤ29:11~14)。」

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スピリチュアル・リアルム
2007-06-01 Fri 20:05
「「Spiritual Realm」「Heavenlies」など、神学者のあいだで噂される、天の領域。その「光」に対して存在する、「Demonic Realm」という悪魔の領域。どちらも私たちには見えませんが存在し、そこで天の軍勢とサタンの使いたちが、現在進行形で戦闘中なのです。」

5月27日の説教の中で、そのような話を聞きました。この世で起きている、全ての天変地異や、戦争や、殺人や、伝染病のアウト・ブレークなどは、そうした「目に見えない領域での戦いの結果が、顕在化したもの」なのだそうです。

とすると、最近の終わりの見えない戦闘行為や、異常気象(地震や津波、気温上昇、旱魃や洪水など)、デング熱、HIVなど伝染病の流行、凄惨な殺人事件など…。これって、天の軍勢側、圧倒的に不利?

でも、正直にいって、「目に見えない領域」でのことなので、私には見えません。
だから現世との関連性についても、よく分からん。


しかし、これだけは言えないでしょうか。

こうした、神学や国際政治や気象学や地質学の専門家が、今頃になって取りざたしている「End of Days。」

これらは、聖書にすでに記されていることです。世紀末がどんな時代であり、どんな災害があり、どれだけの人が亡くなり、人類がすがっている文明という物が、いかにあっけなく崩れるのかを。ダニエルはキリストの生まれる約600年前に。ヨハネはその黙示録の中に、凄惨な人類の終わりの時を記述しています。

そんな危機的な状態に向き合うことになっても。私たちは信じています。

私たちは、死と不安、恐怖という強力な拘束から、解放されていることを。
私たちは、いつ、どこで、どんな敵の攻撃にさらされていようとも、決して一人ではないことを。
私たちは、最後まで耐える者が、主の側に立って喜びの歌を歌うのを。

それが、私たちの信じる救いです。

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