後藤 秀孝
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JAPAN
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<ハンバントタ出張編I>
2007-03-31 Sat 17:01
3/29日に、スリランカ南部ハンバントタ県で、津波被災者の再定住地域を訪れました。その時は、JENの職業訓練と心理カウンセリング・子どもの課外活動事業の終業式がありまして、その時に伝えたCongratulate(卒業おめでと) のメッセージと、村人のコメント、またJEN職員たちとの評価ミーティング時のやり取りなどを、6夜連続でお伝えしたいと思います。

<カラニガマ村(野菜栽培の訓練)での挨拶>

「今日、この村に来る道すがら、車窓から美しい自然を眺めていました。スリランカは本当に緑に恵まれ、白・赤・ピンク・黄色などの花にも溢れています。国道2号線の周囲では、米作の田畑が緑に輝き、木にはマンゴーやパパイヤなどの果物がなり、水牛がのんびり草を食んでいます。

なんて美しい国だろう。私は改めて、そう思いました。

でも、人生の困難に向かうとき、人はこうした美しい世界のことを、すっかり忘れてしまうことがあります。

私の場合、JENのレバノン事業で、チームメイトを喪った時のこと。2006年7月、イスラエルがレバノンに侵攻し、空爆や陸上戦などが繰り広げられた直後のことです。私が東京で番頭をし、彼がレバノンで現地指揮を執る、という形で動いていました。

その彼が、痙攣を起こし、病院に収容され、死亡する約10時間前。私は彼と電話で話す機会がありました。

彼の死の直後、『なぜあの時気付けなかったんだろう』『なぜあの時、心を配って、もっと体調の話を聞いてあげられなかったんだろう』『もし私が気付いていれば、結果は違ったかもしれない…』そんな後悔と自責の念で、私は押しつぶされていました。

それ以後しばらく仕事など手につかず。食事も喉を通らず、街を歩きながら、知らずに涙がこぼれてしまいます。『世界の美しさに気付け』なんて言っても、当時は全く無理な話でした。

友人の死が、それだけのダメージを一個の成人男性にもたらせるとしたら。愛する家族の死は、一体どれほどの喪失感をもたらすのでしょうか。どれほどの自責、後悔、行き場のない恨みで、世界が塗り替えられてしまうでしょう。


しかし、2年という月日が経ち、またトレーニングを終了して。
何人の方が、新しい友人と出会い、こころを通わすことができたでしょうか。
何人の方が、未来を信じて生きる勇気を、取り戻すことができたでしょうか。
何人の方が、今周囲を見渡して、『ああ、やはり世界は美しい』と言えるでしょうか。


暑い最中、屋外での作業は大変な苦労を伴ったと思います。また水不足や、野生動物の野菜への被害など、決して100%順調とは言い切れない2ヶ月でした。

ですが、あなたたちの日々の努力が、荒野だったこのカラニガマ村に緑を取り戻し。そしてあなたがたの心に、希望と平安、友情と思いやり、そうした宝物を取り戻したのです。

もう一度、皆さんの努力に、盛大な拍手を送りたいと思います。」


<村人からのコメント>
「トレーニングが始まるまでは、家に籠もりがちだったのですが、いまでは野菜の生長が楽しみになり、朝晩と外に出るようになりました。堆肥作りには子どもも参加して、近隣から枯葉などを集めてきてくれます。
2日前には、初めてオクラが収穫できたんですよ。苦労が報われた感じがします。
また、ソーシャルワーカー(カウンセリング担当)、コミュニティワーカー(参加者代表で、村人から選出される)たちが友だちのように、毎日話してくれて、気が紛れたものです。本当にありがとうございました。」

「2ヶ月を共に過ごしたインストラクター、ソーシャルワーカーたちと、別れるのは辛いです。家事の合間での参加で、時には大変なときもありましたが、継続して参加できて良かったです。
感謝の気持ちを込めて、歌を歌いたいと思います。」
そう言って、彼女が歌ってくれた歌。

『雷がなる あらしの晩
ヒナたちの元へ いそぎ飛ぶ親鳥
しかし 大いなるあらしは
巣であった巨木を なぎ倒しました

神さま」と親鳥の祈り
吹きすさぶ あらしの中の沈黙で
神さまは それを聞きつけてくださいました

親鳥は 神さまがヒナを取り上げ
天国へ向かう姿を見ました

親鳥は 天に向かうヒナと 神さまに向け
ただ喜びと 感謝の涙を 流すのでした』

(題名:不明。彼らの死生観が顕われています。津波の直後、大いなる喪失を慰める為に、どれだけの母親がこの子守唄を繰り返したでしょう。)
<つづく>

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カラニガマ2


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大切なもの
2007-03-31 Sat 16:47
「晩御飯のしたく」
「子供の面倒」
「奥さまサークル」
「昼の連ドラ」
「お化粧ののり」

大事ですね。


でもそれ以上に、大切なものがありますよ。

それは、「あなた」という存在です。

****************************************

宗教」は信じないでください。

でも、あなたが

神さまにとって、どれだけ素晴らしい存在なのか」
神さまの目に、どれだけ尊い存在なのか」

それだけは、理解してください。
そして、信じてください。

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『グテっ』と寝る犬
2007-03-31 Sat 16:43
ここスリランカでは野良犬がたくさんいます。皆さん優しいので、何かと食べ物を与えてくれ、野良犬たちもあまり食に困窮せずに生活ができています。

特に田舎のハンバントタでは、日中の暑さを凌(しの)ぐ為に野良犬が道路わきなどで『グテっ』と寝ています。それがいかに『グテっ』なのかというと、
① 口が開いている
② 四肢を伸ばしきって、リラックス
③ トラックやバスなど、大音響車両が50cm先を疾走しようと、寝たまま
④ 家の「Welcomeマット(足拭きマット)」の上に陣取って、寝てる
⑤ ハエがたかったりして、一見「死んでいる」
といった感じです。

JOCV(青年海外協力隊)の隊員である山田さんは、こうした犬の寝っぷりを見て、

「私もハンバントタに着任した当初、新しい環境にストレスを感じていました。友だちもいないし、仕事の習慣も違うし、新しい職場でもがいて、苦しんでいた時期がありました。しかし、この『グテっ』と寝ている犬を見ると、『そんなに焦って、急ぐことないんだよ~』『心配したって、はじまらないよ~』『ほら~、もっとリラックス』というようなメッセージが聞こえてくるような気がして、癒されていました。」
と言っていました。全くその通りだと思います。

神さまに全てを任せて、リラックス。
信じていれば、どんな厳しい状況も、必ず通り抜けさせてくださいます。
これまでも、そしてこれからも。

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私たちの思考が
2007-03-29 Thu 12:35
ブリトニー・スピアーズといえば、そのルックスと歌声で一躍有名になり、全米のみならず日本でも人気をはくした歌姫です。他の人間から見れば、彼女の持っているギフト――美声、スタイル、外見、運、人脈、資産、名声――は望んでも中々手に入るものではありません。「もし成り代われるものなら、なってもいいわ」という方も、いるのではないでしょうか。

その彼女が、最近のニュースで報じられているところでは;
①第2子誕生の2ヵ月後、2006年11月に、ケビン・フェダーリンと離婚
②カリブの島国、アンティグアにて麻薬中毒療養施設に入所
③施設に我慢できず、一日で退所
④その後、入った美容室で「全刈り」と依頼するも受け入れられず、自分でバリカンを取り上げ全刈り
⑤再度、カリフォルニアの療養施設に入所
⑥一日で退所したが、また舞い戻った
⑦約1月のリハビリを終え、現在自宅療養中(らしい)

と、その幸運と成功に拘わらず、精神的に一杯いっぱい、と言う内容でした。


<何が狂ったのか>
この世の富と権威、名声を我が物としてなお、彼女の精神はバランスを崩してしまいました。夫と子どもたちに恵まれた、一見幸せな結婚生活にも拘わらず。

逆に彼女の知名度が仇になり、心許して本心を話せる相手など、自分の肉親以外に恐らくいないでしょう。

彼女が周囲の無理解の中で、高まる孤独感からドラッグに逃避してしまったのは、ショウビズの晴れやかな舞台で一人歩きする「ブリトニー・スピアーズ」と、「本当の自分」がかけ離れてしまったからでしょうか。


<「自分」感覚>
①自分が誰で、②どんな役割りがあり、③どれほど必要とされているのか。
これらの項目がはっきりと認識されていないと、私たちは内部分裂を起こします。するとどうなるでしょうか。

A.周囲のコメントや意向で自分の株が上がったり下がったりする。誉められれば浮かれ、励まされれば元気になり。反対にけなされれば凹み、否定されれば自分なんていない方がいいんじゃないか、と思う。

B.環境に流される。時間潰しをした後に「ああ、俺ってどうしようもない」と自分を責めたり、続けるべきでない関係に「でも別れたくない」とすがったり。

C.目標が見えない。これだ!と思って始めても、長続きしない。期待通りに行かないと挫折する。「やっぱ俺には向いてない」「こっちの方が良さげ」「トラぶった。辞めたい。」となりがち。


<ここで私が言えるのは>
あなたの存在は、世間や周囲の風向きで、ふわふわ・そよそよ変わるほど、そんなに軽いモンじゃありませんよ。
また、あなたの遍歴、長いさすらいや迷い道すらも、神さまに拠り頼めば。あなたの宝物に変えてくださいますよ。
ということです。

だって、神さまが「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ43:4)」、また「神を愛する人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださる(ローマ8:28)」と言っているんですから。

聖書のメッセージは、それを信じる者にとっては、救いであり、光です。荒ぶる波の下でも、ビクともしない岩です。そんな基礎の上に、あなたをしっかりと立たせてくれるのが、神さまなのです。


<ブリット、今がガンバリどころですよ>
ドラッグやアルコールは、手に入れようと望めば簡単に手が届いてしまう。元の中毒患者に戻るのは簡単です。
孤独感、罪悪感など忘れさせてしまう娯楽、不毛な肉体関係、時間の殺戮者たち…。そんな誘惑が、あなたの周りに溢れており、常にあなたを陥れようとしています。

だからこそ、元いた闇を愛さずに、光に立ち返りましょう。あなたの涙を拭いて、その手をとり、立たせて下さる方が、そこにいるからです。あなたは偉大なシンガーだった。でも本当のあなたの価値は、ピープルマガジンのトップやCDの印税やダイヤやプラダやハリウッドの豪邸やマルセーディスや、そんな物では到底計り切れないほど、素晴らしい物なのだから。


もう一度、一からやり直しましょう…。

でも忘れないで。今度は神さまが、あなたについていますよ…。
生まれ変わったあなたの明るい姿を、もう一度、私たちに見せてください。

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牧師の訪問
2007-03-28 Wed 16:00
土曜日、教会の牧師が、教会員のメンバーを家庭訪問していました。

ある家では、誰かいる気配はあるのですが、誰も応対してくれませんでした。牧師は何度もドアを叩いてから、教会のカードを取り出して、その裏に「黙示3:20」と書いて郵便受けに差し入れました。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする(黙示3:20)。」


その次の日(つまり日曜日)、教会で集会の後、献金袋が回収されました。その中に、牧師が残したカードが紛れており、「黙示3:20」に続けて、「創世3:10」と記載されていました。

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<あなたから出たものは>
2007-03-27 Tue 13:02
ここスリランカでは、子どもの物乞いや物売りが、少数ですが未だに存在します。年齢にして、7~10歳くらいでしょうか。もしくは栄養失調などにより、年齢より小さく、幼く見えるのか…。

物売りの少年たちは、袋に入れた貝殻や、お香、また仏教のありがたい章節(シンハラ語なので読めん)などを売り歩きます。と言うよりは、ものすごい悲しそうな目でお客を見上げ、(買うまでどこにも行きませんから、ええ、行きませんとも!!)と燃え滾(たぎ)る執念深さでもって、片言の「ハロー」を繰り返すのです。

私は、個人的に喜捨(お金を上げること)には反対です。一人にあげても、その次の子、またその次と、永劫に与え続けられるわけではない。また一時的な解決は、彼らに依存心を植え付け、自立への願望を刈り取ってしまう――そう信じるからです。だから、物売りの子どもに対しても、ひたすら冷たい「ガイジン」なのです。

そんな冷血なガイジンの存在もあって、正直、営業職としての彼らの職務内容は、きついです。学校も行かずに、子によっては一日中浜辺やバス、路上で立ち働く訳ですが、一日1,000人ぐらいには「No」と言われるのではないでしょうか。そのみすぼらしい外見から、誰からも見向きもされず、店頭では邪魔者扱いされ、あたかも透明人間であるかのように無視され、存在を否定されます。それでもなけなしの50~100Rsをつかんで、親の生活の足し――それが食料になるか、アルコールやドラッグになるかは別にして――にしているのです。

しかも、最近学んだことですが、そうした子どもの物売りの一人が、きれいな服を着た母親と姉(と思しき女性)と、3人で帰途についていたこと。それまで不憫に思って喜捨を上げていた妻は憤慨して、「信じらんない!!子どもに物乞いさせる親なんて!!」と言っていました。


<Just Luck>
ちょっとここで止まって、考えてみましょう。
前項で、妻が「信じらんない!!」と煙を上げていた時、私の中では少し違った想いがありました。

「こういう時、批判するのは簡単だね…。でももし私たちが、彼女と全く同じ生い立ちで、全く同じ境遇にいたとしたら…。私たちも同じことをするかもしれんね。そう考えると、何も言えないわな。」

そう伝えると、妻も無言で考え込んでいました。

そう。彼らの困窮の中での状況も。彼らに比べて非常に恵まれた、私たちの状況も。
ただ偶然に、全くランダムに、与えられた生。それがスリランカのスラムだったのか、東京の下町だったのか。

私たちは自分の生まれの何を、誇れると言うのでしょうか。「ラッキーでした。」「神さまありがと。」としか、言えないのではないでしょうか。


<あなたに還る?>
彼女たちの、物売りの少年に対する扱いは、長い弧を描いて、彼女たちに還るのでしょうか。仏教で言うところの「因果応報」…。キリスト教でも、「良いものを蒔けば、良いものを刈り取り(ガラテヤ6:7)」…。

確かに、彼がこのまま学校にも行かず、物乞いを続けて時を経たとして――彼が大きくなったら、彼女たち(母親&姉と思しき女性)の面倒を、どのように看るでしょうか。
彼が扱われたように、そのように、彼も彼女たちを扱わないでしょうか。支配と抑圧、蔑みをもって。

もし彼が家庭を持って、子どもができたとして――その子どもをすら、彼が扱われたように、そのように、扱わないでしょうか。

こう考えると、確かに負の連鎖が永劫続いていく(かもしれない)のです。


<鎖を断ち切る>
その負の連鎖を断ち切るために、教育があり、また信仰がある。私はそう思います。

上記の、子どもの無垢な感情を利用する、女性たちを責めるのでなく。外部からすべきことをする。
物売りの少年が、そして女性たちが、すがりたい時に、すがれるように。そしていつか再び、自分の足で立って「神さまありがとう、感謝します」「生きてて良かった」と言えるように。

彼ら/彼女らが、一番支えて欲しい時に、支えてあげられる体制を整えましょう。


皆さんに言いたいのですが、こうした草の根の自立支援は、単なる「喜捨」「人助け」「善行」ではありません。

目に見えないところで戦われている、世界規模の戦争――「無知、不平等、無関心との戦い」です。心が冷たくなっていくこの社会で、私たち人類の明日をかけた戦闘が、今も続いているのです。


強大なペリシテ人戦士、ゴリヤテに立ち向かったダビデ少年のことばを借ります。
「…この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される(Iサムエル17:47)。」

神さまとともに、私たちが団結して立ち向かえば。教会も、お寺も、企業も、政府も、そのボーダーを越えて、共に戦えば。必ず勝てる戦いだと信じます。
私たち一人一人が、神さまの働き手であり、神さま教会なのですから。

なすべきことを、今、しましょう。

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キリシタン隠れミッション 近況
2007-03-25 Sun 16:48
妻がPCを教えるパワーハウス(Community Concern Society、CCSのドラッグ中毒患者治療施設。コロンボ郊外)では、現在もジャンクキーボードを使ったブラインドタッチの練習を継続しています。

A、S、D、F、G、H、J、K、L、
Q、W、E、R、T、Y、U、I、O、P、…
などと、まずはキーの位置を指先で覚えながら、受講生たちは真剣な眼差しでキーボードをたたいてます。

ある程度基礎ができたところで、名作「特打」のように、講師がランダムにアルファベットを読み上げて、生徒がそれを打っていく、というトレーニングをします。最初はゆっくり、徐々にペースが上がっていき、反射神経の問われるゲームのよう。

妻が生徒たちに「じゃあ続けて打ってください」と、訓練を始めました。
「ジー」「オー」「ディー」「スペース」
「エル」「オー」「ヴィ」「イー」「エス」「スペース」
「ワイ」「オー」「ユー」「ピリオド。」

妻が「できました?」「今何て入力したか、分かる人?」と聞くと、皆いちように「?」首を振りました。
皆さん発音されるアルファベットと、対応するキーを打つのに懸命だったのです。


「God Loves You.(神さまが、あなたのこと、愛してますよ。)」妻が正解を告げると、生徒たちみな、答えが分かった安堵感とともに「神さまが愛してくれてるんだ…」と、あたかも新鮮な発見があったように微笑むそうです。

年齢、性別、生い立ち…。クリスチャン、仏教徒、ムスリム、無信仰など全く関係なく。

生徒たちが、「神さまの愛」に気づく瞬間です。


<一人一人の物語>
本当に、彼らがここまで来るのは、容易な道のりではなかったはずです。

残念ながらスリランカ、特に都市部では、麻薬の販売が横行しています。安いが低品質、身体に悪影響が出やすい代物、また中毒性の強いクスリなど。貧しい人々が「ほんの息抜きに」使ってしまった一服が、彼らの生活を跡形もなく崩壊させてきました。

しかもスリランカ文化は、ある種日本に通じるところがあります。基本「恥の文化」なのです。だから、人前でかいた恥などずっと忘れられない人がいますし、逆恨みの殺人や、恥を雪(そそ)ぐための自殺などもあります。そんな文化の中で、麻薬で人生を棒に振った肉親を、「家族の恥」と認識するような方もいるのです。

彼らは麻薬の為に、文字通り「家庭」「仕事」「生活」「自尊心」、そんな物全てをフイにし、底辺まで落ちました。そんな彼らが最後に辿りついたのがここ「パワーハウス」だったのです。


<長いさすらいの後で>
単に新しい技術の習得や、訓練の意味合いだけでなく。こうした「神さまのタッチ」を導入することで、これまで周囲から蔑(さげす)まれ、否定されてきた中毒患者たちが、主にあって心の平安を獲得し、まさに新しく「生まれ変わる」のです。

麻薬で苦しみ、遠回りをし、暗やみで将来が見えず、苦しみの底にいるときに。
もし彼らが神さまの愛に気付き、そこからの人生を好転させることができたのなら。


恐らく10年という時間の後には、彼らは自分たちの麻薬中毒経験について笑って、こう言うでしょう。

「あれは私の人生で、最悪で、しかし最良の時だった」と。

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死んだ者が生き返り

<一度死んだ息子が…よみがえったのだから>
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あなたらしく
2007-03-24 Sat 17:41
もしあなたが、あの丘の上の、オリーブの木になれないのなら
小川のほとりで枝を伸ばす、灌木になろう――その谷間で一番愛される灌木に。

もしあなたが、あの小川のほとりの灌木になれないのなら
野を彩る草になろう――道行く人がその青さに感動するように。


もしあなたが、あの湖の主になれないのなら
小さなマスになろう――湖で一番、明るく元気なマスに。

もしあなたが、あのウロコの美しいマスになれないのなら
ザリガニになろう――湖をきれいに保ち、皆の役に立つザリガニに。


私たちは全員、キャプテンになれるわけではない。
私たちの多くは、クルーにならなければならない。
船上には、一人一人に大切な役割りがある。

大きな仕事がある反面、小さな仕事もある。
世界を動かす大きな決断もあれば、たった一人の心を癒す働きもある。
そしてなすべきことは、実はあなたのすぐそばにある。


もしあなたがひまわりになれなければ、小さく花開くたんぽぽに
太陽になれなければ、天にまたたく星になろう。

成功も失敗も、規模によるものではないのだから
あなたが一体どんな人間であろうと。
自分らしい、最高の「あなた」になろう。


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信じること
2007-03-23 Fri 17:48
マリヤとマルタの兄弟である、ラザロが病気で急逝してから、すでに4日が経っていました。

村人から「イエスが村はずれに来ているようだ」と話を聞いたマルタは、呆然とする妹を残して、出迎えに行きました。

「主よ。もしあなたがいて下さったら、弟は死なずに済んだでしょうに…。」

目に涙光るマルタの姿を見て、イエスは「ラザロは生き返ります」と言いました。「わたしを信じますか。」

「はい、主よ。あなたが神の子キリストであることを、私は信じています。」


マルタはこう言ってから、一足先に帰り、マリヤを呼んで「先生が来られたわ。一緒に行きましょう」とそっと言いました。マリヤは無言で立ち上がって、村はずれで待っていたイエスのところにやってきました。慰めスタンバイ!のユダヤ人たちも引き連れて…。

「あなたがいてくれさえすれば、ラザロは死なずに済んだでしょうに。」こう言って泣き崩れるマリヤと、涙ぐむ群衆。しかし中には憤慨して、「彼が本当に盲人の目を開けたのなら、奇跡の力でラザロもきっと死ななかったはずだ」とこぼす人もいました。


そんなマリヤとユダヤ人たちに憤りを覚えながら(不信仰をお赦しください、)イエスは涙を流して、墓所まで歩いて行きます。当時の墓は、ほら穴に岩戸を立てかけた簡易なもの。その前に着いた時、主は「その石を取りのけなさい。」と周囲に言いました。

するとマルタが答えます。「主よ、もう4日も経っていますから、臭いがひどくなっているでしょう。」

そこでイエスは彼女に言われました。

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」


そこで、村人たちは石を取りのけました。

イエスは目を上げて、神に祈ります。
「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
今日集まった人々が、あなたの力あるわざを見るために…彼らが、あなたがわたしをお遣わしになった事を信じるようになるために…。」
それからイエスは、大声で叫びました。

「ラザロよ。出て来なさい。」



すると!死んでいたラザロが、手と足を長い布で巻かれたまま、ミイラのような状態で出てきました。

「まじで」と動揺走る群衆に向かって、イエスは「ほどいてやって、帰らせなさい」と淡々と告げています。

そこで、マリヤ・マルタ姉妹のみならず、イエスがなさった奇跡を見た多くのユダヤ人も、イエスを信じるようになりました(ヨハネ11:1~45意訳)。


「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見ます。」

主イエス・キリストが、死んでから4日も経った、半腐乱死体にいのちを戻すことができたのなら。

私たちの抱える問題など、いとも簡単に解決してくださるでしょう。


だって、考えてみてください…。どんなに苦しいときでも。どんなに風当たりが強くて、光が見えないときでも。


4日も死んでた彼よりゃまし。



そして、時代を超えて私たちを支えてくださる主イエス・キリストは。
ラザロに、そしてマリヤ・マルタにしてくれたように、きっとあなたの人生にも、奇跡をもたらしてくれますよ。

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外見は取り繕えても
2007-03-23 Fri 17:41
旧約聖書に書かれているエピソードで、モーセが200万人のユダヤ人をエジプトから救い出し、「約束の地」カナンに導いていく道中で。神さまの指示を仰ぐため、40日間山篭りをしたモーセが、主から受け取った「十戒」の石版にはこう書かれていました。

「1.唯一の主であるわたし(神)を愛しなさい。」
「2.偶像を作ってわたし扱いし、崇拝してはいけない。石や木はわたしの被造物であり、それを加工するのも人の手に過ぎないから。」
「3.わたしの名を騙(かた)って、誓ったり、人を罪に定めたりするのは論外。罰せられるのはあなただ。」
「4.安息日(日曜)は仕事をせず休みなさい。わたしに帰り、心身の疲れを癒しなさい。」
「5.あなたの両親を敬いなさい。そうすればあなたも敬われる。」
「6.殺してはいけない。自分の生命を愛するのと同様に、他者の生命をも尊重しなさい。」
「7.姦淫してはならない。肉の快楽に魂を奪われるな。」
「8.盗んではならない。なぜ小さな利の為に身を滅ぼすのか。」
「9.あなたの隣人に対して、偽りの証言をしてはならない。正直であれ。」
そして、
「10.隣の家を羨んで、その妻、家屋、車両、家畜、召使など、欲しがってはいけない。」


皆さん、生活を振り返ってみて、どれくらい守れてますか?
「うん、人は殺したことないし、盗みもしたことない。(ああ良かった)」
「両親の面倒は、見てるほうだと思うけど。」
「以前二股期あったけど、今はしてないわ。」
「嘘つかないよう、努力してます。」

などなど、上記1~9までは、大抵の方が「俺/私って全然問題なし!!」と言えることなのではないでしょうか。


しかし最後の一節、「10.羨(うらや)んではいかん」という項目。

ここで私たちは、自分の中の感情、欲や羨望に、改めて向き合わされます。
外面を繕うことだけではどうにもならない、最強の敵「自分」と対面するのです。


「自分」の感情・欲望の害毒が私たちの人生に、どんな影響を及ぼすのか。そのことを、主イエスキリストも語っています。

「…人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、
姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです(マルコ7:21~23)。」
そして、
「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです(ルカ6:45)。」とある通りです。


「自分」が感謝と喜び、平安に溢れていれば、そのように。
「自分」が欺瞞と否定、不信に溢れていれば、そのように。


私たちの心のみならず、私たちの環境、家族、職場での人間関係、その他諸々に影響を与えうるのです。

私たちには、もっといい生き方が、きっとあるはずです。実り多い、友情と愛、恵みとまことに溢れた人生が、きっと待っているはずです。神さまがともに歩んでくださるのなら。
だからこそ、主イエスキリストに学んで、まず「自分」との戦いに勝利しましょう。

「怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる(箴言16:32)。」

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しあわせって何だっけ
2007-03-22 Thu 16:09
今日はカントリーゴスペルの名曲から。
「THANK YOU LORD FOR YOUR BLESSINGS ON ME」
(主よ、あなたの豊かな恵みに、感謝します)

1. The world looks around me as I struggle along
この世は、私が四苦八苦してなお、貧しい生活に耐えているとき
They say I have nothing, but they are so wrong.
「あなたには、何の希望もない」と無慈悲に切り捨てる
In my heart I'm rejoicing, how I wish they could see
しかしそれは間違いだ。私のこころは喜びで溢れているのだから
Thank You, Lord, for Your blessings on me.
主よ、あなたの豊かな恵みに、感謝します

<CHORUS:>

There's a roof up above me, I've a good place to sleep.
古いが、家もある。寝床は乾いていて、暖かい
There's food on my table, and shoes on my feet.
冷蔵庫に食べ物があるし、靴をはいて外出もできる
You gave me Your love, Lord, and a fine family.
主よ、あなたは私に、掛け値なしの愛を、そして家族をくれた
Thank you, Lord, for Your blessings on me.
主よ、あなたの豊かな恵みに、感謝します


2. I know I'm not wealthy and these clothes are not new,
私はリッチじゃない。この服ももう何年着たやら
I don't have much money, but Lord, I have You,
金がないのは分かってる。でも主よ、私にはあなたがいる
And to me You're all that matters tho' the world may not see.
理解されないかもしれないが、あなたの存在が、私には一番大切だ
Thank you, Lord, for Your blessings on me.
主よ、あなたの豊かな恵みに、感謝します

<CHORUS:>

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東方で見た星
2007-03-21 Wed 19:27
ある女性が16歳になる娘を連れて、産婦人科に来ました。医者は「ジョーンズさん、どうされました?」と尋ねます。

ジョーンズさん、「私の娘、デビーのことなんですが…。最近食べる量が増えて、ちょっと太めになってきたんです。そして午前中はずっと吐き気がするって。」とのこと。


医者はデビーの診察を終え、お母さんに振り返り、「ジョーンズさん、どう言っていいか…。デビーさんは4ヶ月のおめでたですよ。」

「おめでた?!」お母さんは驚いて言いました。「でもデビーはいつも家族と一緒で、男性と二人で出歩いたりしたことはないんですよ?そうでしょ、デビー?」「もちろんよ、お母さん!私、キスだってまだなんだから!!」


すると医者は、スッと立ち上がって、窓の外を注意深く眺めました。5分もそうしていたでしょうか。ジョーンズさんは痺れを切らして医者に尋ねました。「先生、外に何かあるんですか?」

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人類みな病人
2007-03-21 Wed 19:13
「いやそれはないでしょ~、ごとうさん」と声が聞こえてきそうなタイトルですが…。でも、私たちが例外なく、患っている病があります。その病魔は花粉症より悩ましく、胃潰瘍より強力で、水虫よりしぶとく、超慢性的です。更には、他の病気をあなたの人生に誘致する元になりえる、恐ろしい存在です。そして残念ながら、どんな有能な医師にも、この病を完治させることはできません。

それは一体何でしょうか。

「躁/鬱」「コレステロール」「ストレス」「高血圧」「ガン」「ノロウィルス」「と思わせといて、実はやっぱり水虫?」
など、色々なご意見があるかと思います。軽く「Booo」。


<「私」という病>
それはズバリ、「私」という病です。
患者さんから、どのような症状が報告されているでしょうか。両極端な例を、挙げてみましょう。

「自己中心」;何でも思った通りにならなきゃヤダ。世界の中心で「さすが俺」と叫ぶ。
「自己否定」;自分はダメな奴なんです。生きてても仕方ないし、何の賞賛にも値しないんです。

多かれ少なかれ、私たちは上記のような想いの奔流に、流されています。右肩上がりの有頂天時はその上昇気流に煽られる反面、一度スランプにおちいるとストップ安まで急降下です。

「すげえよ自分!!」「俺ってイイ奴だな~オイ」から「俺なんてどうせ…」「もう、世界の終焉」までの範囲を、外部因子によって私たちは激しく、行ったり来たりします。

<「私」病のもたらすもの>
その症状が悪化して、本当に自分のことしか、考えられなくなると。
私たちは「満たされず、不安で、空虚で、目先の利に囚われ、迷った状態」になります。
腫瘍が大きくなって、このまま行けば全身転移→余命3週間、という感じです。

「私」の欲求が、尽きないのと同じように。
何をしても。何を手に入れても。何を達成しても。

私たちの心に残るのは、空しさだけなのです。

「私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない(伝道者2:10~11)。」

やりたいことは全部やってみた。そこで発生する苦労も乗り越えて、がんばってきた。
でも、上記ソロモン王がその知恵と労力を費やして、探し求め、手に入れたと思ったものも。
自分のためだけに求めて、骨折ってきたものは結局「すべてがむなしいこと」になってしまったのです。

<「私」病=「罪」>
自分を上げることも。自分を下げることも。
自分の欲望に従うことも。自分の理想を社会に期待することも。

ありのままの自分・世界を受け止めようとせず。あたかも「神」であるかのように、自分と、そして周囲を操作しようとする。
その「傲慢不遜(ごうまんふそん)」を、私たちは「罪」と呼んでいます(クリスチャンであろうと誰であろうと、私たちはみなその罪に縛られている「罪人」=「病人」だ、ということです。)

<「私」病の処方箋>
ただし、その病に気付き、症状を軽減したり、予防したりすることは、できます。
その為に、主イエスの「Non私」的姿勢から、学ぶことです。彼がしたように、そして今もしているように、他人の幸福のために忙しく立ち働いて、自分を見失ってしまうことです。そこで「感謝してね」「見返りはスシでいいから」などと報酬を期待せずに、与えることです。

「そんな損な役回りは、アホのすることだ」「理想論で生活はできない」と思った方。確かに、それがメディアや社会から、私たちの教わってきた事実です。

しかし、私たちの人道支援活動の中でも、ボランティアの方たちがお手伝いをした後「何か、私たち、手伝いに来たのに、被災者の方たちから、逆に元気をもらってしまいました」「彼らの心を慰めるべき私たちが、逆に癒されてしまいました」というのは良くあることなのです。
そうした活動の中から、単なる「自己実現」「私の人生」よりも更に大きな目標、地域社会や、多くの人々を巻き込んだ、もっと幸福で、実り豊かな人生が、きっと見つかるからです。


ですから、人生の空しさを克服する為にも。「私」病という重荷を、主イエスキリストに学んで、軽くしましょう。聖人じゃないので100%なんて無理ですが、「ああ、私病キター」というとき、意識してその束縛から、解放されるように働きかけましょう。

そうすれば、あなたの人生に微笑と、出会い、喜び、そして恵みが溢れるからです。

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今日は直球メッセージ
2007-03-20 Tue 16:21
「私には、あなたを一生支え続けることなんて、できません。
この世の誰にも、無理なことです。」

「誰かに期待しても、いつか裏切られて、辛いだけです。
完璧な人はいないし、人には時間・労力・心配りに限度があるからです。」

「私には、あなたを変えることなんて、できはしません。
学校にも、会社にも、教会にも、両親にだって、できません。」

でも、あなたに伝えたい。

予期せぬ災害や、人生の挫折、愛する人の死すら
「あなたが再び微笑んで、より幸せな人生を送ることができるように」
いつか必ず、益に変えてくださる方が、いることを。

あなたに様々な個性・才能を与え、それを活かして他人を幸せにできるように。
あなたの良い働きをもデザインして、素晴らしい未来を
用意してくれている方が、いらっしゃることを。

あなたの失敗も、欠点も、暗やみも、流した涙も。全て理解してなお、
「あなたとずっと、一緒にいるよ」と言ってくれる方が、確かにいることを。

「わたしはあなたを愛している。あなたの為に、いのちも捨てよう」と言って
そのことばを違えず、本当にいのちを投げ出してくださった方が、いらっしゃることを。


イエスキリスト。それが、その方の名前です。

彼は、神さまでありながら、人としてこの世に来て
私とあなたと同じように、子ども~大人へと成長し
幾多の奇跡と癒しをもって、数え切れない人々を立ち上がらせ
神さまの愛と恵みを説いて、多くの人を光に立ち返らせました

そして裏切られ。嘲られ、傷つき、渇き、十字架に打ち付けられ。
苦しみの中でなお「何も知らない彼らの罪を、お赦しください」と祈った方。

それが、主イエスキリストです。

人として悩んだ分、主イエスにはあなたのフラストレーションが、手に取るように分かります。
人として苦しんだ分、主イエスはあなたの痛みが、わが身のように感じられます。

そんな神さまが、あなたと共にいるのですから。
あなたは決して、一人ではありません。


あなたが望みさえすれば、神さま
いつでもあなたと一緒にいてくれる
心強いパートナーに、なってくれますよ。

神さま、私疲れました…。」
「何をしていいか、分からないんです…。」
「失敗も、挫折も、失恋も、怖くてたまりません…。」

希望が持てなくて。こころが折れてしまいそうなとき。
神さま、助けてください…。」と、助けを求めてみませんか。

その一言で、十分なんです。
あなたはもう、一人ではありません。

イエスを招き入れて、あなたの心の中で延々と叫び続けてきた、
「そんなことできっこない」「お前はOOだから、不幸でもしかたない」「やめちまえ」「完璧じゃなきゃダメだ」「お前には向いてない」「失敗したらどうする」「そんな大それたこと、忘れた方がいい」「できの悪い子だ」
そんな声たち、醜い、暗やみの住民たちの声から、解放されましょう。


あなたも、あなたの良い行ないも。
全ては神から。全ては神へ。
(All from God, All for God)

だから、神さまとの元の関係、愛し愛される関係に戻って。
もっと幸せで、もっと充実した人生を、今日、始めましょう。
真新しいあなたの、愛と慈しみの光を、この世界で輝かせましょう。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ
愛と平安を見いだすことができますように。
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北風がバイキングをつくった
2007-03-15 Thu 14:16
あるおばあちゃんの話です。彼女がまだ、自分の4人の小さな子どもを育てている時のこと。当時は不況の真っ只中で、身体の弱かったお父さんは失業。彼が家族を支える為に始めた、日雇い労働も、週の半分勤務できればいい方でした。給料も高が知れていて、月給平均8万では家族6人を食べさせることもできません。それ以外にも医療費、子どもたちの学費、食費、…。彼女は不安で一杯でした。

そんなある日、食材をツケで売ってくれていた売店の店主が、中学生になる長男をつかまえて「お前は店のものを盗んだろう!!」と詰め寄ったそうです。泣きながら帰ってきた息子の話によると、店主は多くのお客の前で彼のことを罵り、辱めたというのでした。

彼女の長男は正直で、感受性の高い子どもです。物を盗むなんてありえません。それが他人から疑われ、しかも公然で不当に訴えられたのです。彼女には息子の頭を抱いて、一緒に泣くことしかできませんでした。

「その時、私の中で何かが切れました。」当時のことを振り返って、おばあちゃんは続けます。「希望の持てないこの世界で、生きている意味などないと思ったのです。」

夫が外出し、他の子どもたちも学校へ行った後。一番小さい娘と二人、彼女はある決心をします。


家中の窓を閉め、カーテンを引いて、娘を呼びました。ベッドに彼女を寝かせて、彼女は居間の暖房機のガス栓をあけ――火はつけずに、そのままベッドに戻り、娘と二人で横たわりました。

「お母さん、まだ起きたばかりなのに、また寝るの?」無邪気に聞く娘を抱いて、「ちょっとお昼寝しようね…。夢を見ながら」と答える彼女…。彼女の耳には静かに、しかし着実に寝室に流れ込んでくる、ガスの「シュー」という音が聞こえていました。

まどろみの中で、その死の音と合わせて、ラジオの音が聞こえてきました。
キッチンでつけっ放しにしていたようです。彼女は「まあ、いいか…。どうせもう、おしまいだから…」と思い、そのままにしておきました。何か、昔聞いた懐かしい曲がかかっているようです。それとなしに、彼女はその曲に耳を傾けました。

「What a friend we have in Jesus,
私たちの罪と悲しみを
All our sins and griefs to bear!
すべて背負ってくれた、主イエス
What a privilege to carry
祈りによって、あなたに全てを預けられることは
Everything to Lord in prayer!
私たちの救いです
Oh, what peace we often forfeit,
どれほどの喜びを、私たちは見落としているの
Oh, what needless pain we bear
不要な痛みや、苦しみを抱えて
All because we do not carry
それは、祈りによって、私たちが主に
Everything to Lord in prayer…」
全てを委ねないから…

「思い出した。子どもの頃、教会で聞いた、この曲…。」

次の瞬間。彼女はガバっとベッドから起き上がると、急いで窓を開け、ガス栓を締めました。そして、ベッドの中で泣きながら、祈ったそうです。

その時彼女が祈ったのは、彼女の困難や苦しみについてではありませんでした。
あと少し、というところで、救われたいのちへの感謝。貧しいけれど、健康で優しい子どもたちに恵まれ、愛のある家庭を育んでこれた恵み。胸の奥からこみ上げる喜びで、泣いて、泣いて、泣いて、祈りました。


その後家族は、更に田舎の、家賃月1万5千ほど、元学校という古い家屋に移り住みます。しかしそんな環境にあっても、彼女は神さまに感謝しました。雨露が防げて、暖かく、家族を守ってくれる家に。


そして、不況が終わり、境遇が上向いてくると、夫も職を取り戻し、彼女もゴルフクラブで受付の仕事を始めることができました。子供たちも、自分の進学のために朝晩バイトをしながら、日々明るい笑顔を見せています。


少しずつ、着実に、世界は好転していったのです。


「そして現在、私の4人の子どもたちはみな結婚して、孫たちを連れて遊びに来ます。こんな恵まれた人生が待っていたなんて、当時は全然思えなかったんです。もしあの時、私の自殺未遂が成功していたとしたら、どれだけたくさんの喜びと、素晴らしい人生を失ったことか…。」

「だから、」彼女は続けます。

「もし、今人生に悩んで、死のうと考えている方がいたとしたら…。私は力の限り言いますが、あなたの人生を終わらせないで下さい。死なないでください。

暗やみの中の暗やみは、ほんの短い間だけです。いつか必ず明るい朝とともに、希望と平安がやってきますから。それを信じて、生きる勇気を持ってください。」


私たちも、来るべき明日に期待して、がんばって生きましょう。絶対に自分から投げ出さないで…。約束です。

なぜなら、あなたの嵐が、あなたの「人生最良のとき」に、きっと変わるからです。

「あの困難があったから、今の、幸福な自分がある」そう言えるときが、必ず来るからです。

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他人を喜ばせること
2007-03-14 Wed 20:46
「5年前の12月のことでした。その頃私はひどい孤独感と、空しさに囚われていました。それは予期せぬ夫の死で、私たちの幸せな結婚生活が突然、終わりを告げたからです。」ニューヨークで秘書専門学校を運営するウィリアム・ムーンさんは、当時について懐かしい眼差しで話し始めました。

「その年のクリスマスが近づくにつれ、私の寂しさは増すばかりでした。街往く人々の幸せそうな顔。腕を組んでウィンドウのプレゼントを眺めるカップル。そんな物に過去の自分と夫との姿がダブって、まともに外出もできませんでした。親しい友人からの誘いも、例え行っても泣いてしまうだろうから、全部断りました。」

「クリスマスの前日、そんな自己憐憫と不幸さのピークで、私は3時に会社を早退。寒さ厳しい曇天の下、侘しさがこみ上げてきて、私はただ当てもなく歩きました。今の状態のまま、一人のアパートに帰ることは、どうにも耐えられないように思えたのです。そうして、悲しみがまぎれることを祈りながら、大通りのバス停まで差し掛かりました。」

「その時、昔夫と二人でよくやった遊びを思い出しました。それは行く先を知らないバスに乗車して、気が向いたところで降りる、というもの。丁度バス停に着いて、お客が乗降している車内に、私も乗り込んだのです。」

「車内はまだ閑散として、食材の入った袋を抱えたおばさんや、学生たち、杖をついた老人などが乗っているばかり。ハドソン川を越えた辺りから、徐々に降りる人の方が多くなり、いつしか私と数人を残すばかりになってしまいました。」


「そして遂に『お客さん、終点だよ。』バスのドライバーが声をかけてきます。私は黙って頷いて、バスを降り、帰りのバスが来るまで、再び当て所もなく歩き始めました。」

「小さな郊外の街。二車線やっとの細い道を、5分も歩いたでしょうか。傍らに教会があるのが見えました。中からは美しいパイプオルガンの演奏が聞こえてきます。行く場所もない私は、人が集まっている所にどうしても居たくて、ドアを開いて中に入りました。」

「と言っても、教会の中にはオルガン奏者がいるのみで、高い天井と空いている席が、余計ガランとした佇(たたず)まいを見せています。私は木製のベンチに腰掛けて、オルガンの演奏に聞き入っていました。その内、これまでの心労と不眠の疲れがでて、私は知らず眠りに落ちてしまいました。」

「どれほどの時間が経過したでしょう…。私は子どもが小さくささやく声で、目を覚ましました。最初、どこに居るのかも分からず動揺していた私でしたが、慌てて身を正し、あらためて目の前の二人の子どもたちを見つめました。」

「7歳くらいでしょうか、お姉ちゃんが、私を指差して弟に言っていました。『サンタさんがお母さんを届けてくれたのかしら。』私が目を覚ますと、この二人の姉弟はびっくりした様子で後退りました。その様子があまりに可愛らしかったので、私はつい微笑んで『驚かせてごめんね。』と言い、『あなたたちのお母さん、お父さんはどこなの?』と聞きました。」

「『お母さんも、お父さんも、いません。』そう言う二人を見て、私ははっと気付かされました。

私は少なくとも、子どもの頃温かい家庭で年末年始を過ごせてきたし、両親の愛を受けて育ってきた。彼らに比べたら、なんて幸せだったんだろう。」

「私はその二人の子どもと、一緒にクリスマス・ツリーを眺め、その後近所のショッピングモールで飲み物とクッキーを頂きました。私は二人に、小さな贈り物ですが、キャンディとプレゼントを贈り、一緒に『聖しこの夜』を歌いながら教会まで帰ってきたのです。」

「とても短い邂逅でしたが、この二人の孤児たちとの出会いは、私の自己憐憫と不幸を吹き飛ばすのに十分でした。私が彼らにできたことはほんとに僅かでしたが、彼らが(恐らく気付かずに)私にしてくれたことは、私の人生を変えるほどの、大きな贈り物だったのです。


その冬以降、私は2度と絶望感や寂しさに囚われることが、なくなったのですから。(How to stop worrying and start livingより)」


三つ、言えることがあります。
一つ目は、あなたより多分厳しい状況でいる人が、あなたの周りにもいること。
二つ目は、彼らを喜ばせる努力をすることで、あなた自身の悩みや苦しみも、同時に癒されるということ。

そして三つ目、こうした奇跡の出会いを演出してくださっている「誰か」が、私たちについていてくれること。

彼女がその日、会社を早退したことも。逝去した夫が、目的地のない「ぶらり旅」を愛したことも。全くのランダムセレクションの中から、特定の場所へ向かうバスが用意されていたことも。終点で降ろされたこと、教会のオルガン、居眠り、クリスマス・ツリー、…。

それら全てが、結果として、彼女の魂を安らかにし、彼女の自己憐憫をきれいに抹消し、彼女のこころを「自分」から逸らして、全く見ず知らずの「他人」、孤児たちへの愛に昇華させたのです。


単なる「運」や「偶然」かもしれません。

でもここまで用意周到に準備されていると、やはり舞台裏の「誰か、」つまり神さまの「必然」と考えざるを得ないのです。

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超多忙の中で、ひとリゾート
2007-03-13 Tue 19:35
先週末は休み取れませんでした。というのも私が悪いんです。

外務省資金で現在実施している、津波被災者の支援事業ですが、中間報告の季節がやってまいりました。それまで新人のOJT(トレーニング)や国際スタッフのビザ延長申請などで時間を取られていた私としては「まだ大丈夫だろ」と悠長に構えていたのです。しかし、東京本部での確認作業の時間をあまり考慮に入れていませんでした…。しまった!通常航空輸送に4日、最終承認まで10日ほどかかるところだったので、納期に間に合わせる為、あわてて週末作業を行なったのです。

金曜は午後8時くらいまで下準備、土曜は8時半から5時半までフル勤務、7時からゴールフェイスホテルで開催された日ス親善イベント「Japan Nite」でひたすら撮影と飲み。日曜日は8時半からPeople’s Churchにて礼拝後、職場に戻り作業継続。以前から楽しみにしていた「スリランカ子どもの祭典(スランガニ基金殿開催)」をドタキャン(ごめんなさい)して、午後も6時半まで作業。事務所長に確認を任せて、フラフラしながら帰宅しました。

その晩は11時に寝て、ちょっと多めの睡眠を取りました。しかし、朝になっても疲れが取れておらず、「まだ寝てたい~」感じ。自らに喝を入れ、バスには乗らず、歩いて職場に向かいました。


その道中、神さまに「神さま。私はリゾートしたい。」「一日海岸で、ハンモックベンチに横たわって、ビール飲みながら海を見たいです」と切実にぼやいていました。すると、「周りを見渡してごらん」とメッセージが。


渋滞と排ガスの多い大通りは避けて通勤している訳ですが、ウン、コロンボは都市と自然が融合した素晴らしい街です。年中花と果物に溢れ、遠目に見る密度の濃い緑には、確かに癒される感じがします。

また、ふと目を上げると、2階部分で放し飼いになっているアヒルが、好奇心から私を見おろしています。そしてそのすぐ横にはカラスが。あたかも友人のように、お互いに警戒することもなく、2羽並んで道行く人間たちを見つめていました。

そして大通りに出れば、年老いた大樹がその枝を広げて、カラスたちに日陰と巣作りのスペースを提供しています。そしてその天辺、20mt四方ほどのスペースには、一面に黄色い花が咲き乱れているのです。

恥ずかしながら、今日ほどはっきりと、この世界の息吹に気付いた日はありませんでした。確かに、東京のコンクリ密林や、アフガンの裸山、レバノンの瓦礫街に比べれば、ここはリゾートみたいなもんです。でも忙しさに目を奪われてしまうと、実際に取り囲まれている自然美にすら、気付けなくなる。実際に手にしている贈り物にすら、感謝できなくなる。

小さなことですが、ふと一息抜けた瞬間でした。
ビールはなかったけど、確かに「きもちリゾート」できました。

神さまありがと。

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平静を装いながら、汗るとき
2007-03-13 Tue 19:27
失敗しました。外務省へ3月21日提出予定の中間報告書ですが、日々の忙しさにかまけて放置プレーだったのです。特に私の職掌である経理部分では、凄まじい作業が待っていました。

経理書類だけでも、その段取りを挙げると、①経理関係の書類を全てチェックし②各領収書に外務省指定のフォーム(おのおの為替計算あり)を付けて③事務所長の確認を貰う。④Okもらった原本を一部コピーし⑤東京本部へ送付⑥東京本部でのチェックを経て⑦最終修正を加え⑧代表理事からの承認をもらい⑨在スリランカ日本大使館に提出。という何とも遠大な手続きが必要になるのです。

その中で特に、⑤東京へ送付~⑧理事承認までの時間を、あまり考慮していませんでした。「だって他人事…」ごめんなさい。それゆえ突貫作業で①~④までを作業開始です。

会計とか経理の仕事って、全て段取り勝負の作業です。地味で、集中力、正確さと繊細さが求められます。小数点第二位の小さな違いでアウトなわけですから、表中の合計金額が、実際の支出額と100%適合するまで悩み苦しむ厳しい業務なのです。

この「100%適合」をクリアする前に、事務所長がやって来て「準備は進んでる?」と何ともカジュアルに聞いてきます。「こっちはそれどころじゃね~!!」と思いつつも、「まああと少しですよ」「ご心配なく、ご招待されたイベントもぜひ参加してきてください(そして一刻も早く事務所から出て行ってください!!)」と平静を装って微笑んでも、額には汗がドォ~っと出るのです。

これは「もし数値が少しでも違ったら、作業全部やり直し♪」「どの数字が間違ってるか分からんから、一個一個全部見直しが必要かも♪」「そうしたら今日徹夜でもきっと間に合わないのさ♪」という不安から。そして、納期を守れずに、同僚に迷惑をかけ、批判されるかも知れないという恐怖から。

こうした恐怖に晒されたとき。また思わず「しまった~!!」と言うとき。人間は意識せずとも大汗かけます。そのときの心理状態が、実際の生理現象に反映されるのです。「身体は正直よのう、フォフォフォ…」という感じ。


そんな時、どうしたらいいでしょう?

事務所長が招待されていた「スリランカ子どもの祭典」に出かけてから、私はちょっと、主を見上げました。「こんなイベントでも、神さま、益にしてくれるんですよね…」「最後には絶対ハッピーエンディングなんですよね…」「イエスさまありがとうございます!!」「解決するのを手伝ってくれて、感謝します神さま!!」


なんとも感謝の押し売りです。問答無用でまず感謝です。しかしなぜか知らないけれど、こんなわがままな祈りでも、神さまは聞いてくださっています。


「とりあえず間違いを絞り込もう。」私がそう思い立って後、それほど時間の経たないうちに、見落とされていた入力ミスと、引かれるべき差額の存在が明らかになりました。パニくって大汗かいていたら、多分未だに見つからないであろう、小さな差異。「状況はもうじき改善する」「絶対丸く収まる」と信じながら進めることで、少なくとも「汗っ」「心配」「怖れ」「フラストレーション」という状態から、脱することができたのです。

祈りの効用は、なかなか言葉で表現して、納得頂けるものではないかもしれません。

しかし、あなたのすぐ傍に、あなたを支えてくれる方がいらっしゃることを知るだけでも。そしてその方が、気付きを与え、道を照らし、障害を粉砕しながら、あなたのために働いて下さっていることを知るだけでも。

その「汗」の理由がいつバレるかと怖れ、焦って空回りしたり、隠蔽するために一人もがくより、きっと建設的な時間を過ごすことができるはずです。そして、すでに「できた」「解決した」と思い込んでから、作業に向かうことは、「無理」「めんどくせ」「絶対失敗できない」という後ろ向きのモーメンタムから抜け出すのに有効だと思うのです。

「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから――。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、<中略>すべての仕事を完成させてくださる(I歴代28:20)。」と、聖書にもある通りです。

困難にぶつかった時。ぜひあなたも、「OOを解決してくれて、ありがと神さま!!」と、感謝の押し売りをしてみてください。それから、落ち着いて考えて、「成すべきことを」「可能な限り」しましょう。

そうすれば大抵の問題は、祈りの通り解決されることを、あなたも経験の中で知るようになるはずです。

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祝!! 10000ヒット感謝です
2007-03-11 Sun 21:14
読者の皆さま、

いつも温かく見守ってくださり、ありがとうございます。

拙ブログも皆さんに押し上げて頂き、いつの間にかランキング上位にも顔を出し、10000ヒットも達成することができました。感謝です。

息切れしている暇はありませんね。これからも分かりやすく、明るく元気にGood Newsを共有していきたいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

With Prayer from Sri Lanka,
ごとう ひでたか

P.S.また、「最近こいつの言ってること、訳わかんね~!!」「独りよがりのマスターベーション記事ですか、フン」というようなご意見がありましたら、お手数ですがコメント欄なりを使って、ご一報頂けますでしょうか…。

「日々改善」をモットーに、もっと多くの人に読んで頂けるよう尽力してまいります。そのために、あなたのご意見は不可欠ですから。忌憚(きたん)なく「無礼講」でよろしくお願いしますね。

いつも応援感謝しています。
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愛と平安を見いだすことができますように。
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モールス信号のオペレーター
2007-03-10 Sat 14:09
昔々、と言っても特に船舶業界では、1999年まで利用されていた技術に、モールス信号があります。地上波でも多く利用され、1840年に特許取得がなされてから、100年以上もさまざまな現場で利用され、活躍してきました。その頃では地球上で最も早い通信手段として、重宝されたのです。

超モダ~ン!なこの技術が商業化された当時、電信オペレーターは高給・高待遇、みんなの憧れの職でした。


ある日のことです。電信会社の求人募集を見て、ジョセフと言う若者が事務所の扉をたたきました。中に入ってみると、すでに7名ほどの若者たちが待合室で座っていました。「俺さまと張り合おうとはいい度胸だな!!」「残念だが、お前の番が来る前に、俺がすでに採用されている(はずさ!)」というような、ライバル意識溢れる目線を感じながら、ジョセフは堅い木のベンチに腰掛けました。6mt四方ほどの待合室は、外の雑踏と、送信室から絶え間なく聞こえてくる、モールス特有の「ター、タタター、ター、ター、タター、ター、…」という信号音で溢れていました。

5分もした頃でしょうか。まだ誰も奥のマネージャー室に呼ばれません。するとジョセフ青年がすっと立ち上がって、信号室に入ってしまいました。

「あらら」「あのバカ何を先走ってやがる!!」「俺さまを差し置いて、先に行くとは…!!」
困惑の表情を隠せない待合室の面々。しかし1分もしないうちに、社長とジョセフが連れ立って出てきました。

そして、社長のこの言葉に、みな愕然とすることになります。

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神の愛にただ、立ちすくむ
2007-03-10 Sat 01:00
いいゴスペルありました。共有させていただきま~す。

I stand amazed
神の愛にただ、立ちすくむ

I stand amazed in the presence
私はナザレ人、イエス
Of Jesus the Nazarene,
彼の愛にただ、立ちすくむ
And wonder how He could love me,
私のように汚れて、貶(おとし)められた
A sinner, condemned, unclean.
罪人をなぜ、愛することができるのかと

<Refrain>
O how marvelous! How wonderful!
私は喜び謳おう、素晴らしい、彼の愛を
And my song shall ever be:

O how marvelous! O how wonderful!
喜び謳おう、素晴らしい、私の救い主の愛を
Is my Savior’s love for me!

For me it was in the garden
ゲッセマネの園で、イエスは祈った
He prayed: “Not My will, but Thine.”
「わたしの願いでなく、あなたのみこころを…」
He had no tears for His own griefs,
彼には、自分のために流す涙はなく
But sweat drops of blood for mine.
逆に私の涙のために、流した血のしずくのみだった

<Refrain>

In pity angels beheld Him,
天使たちが光とともに、天界から降臨し
And came from the world of light
イエスの回りを取り囲んだ
To comfort Him in the sorrows
あの晩、私が受けるべきだった苦しみを
He bore for my soul that night.
背負ってくれた彼の、こころを慰めるために

<Refrain>

He took my sins and my sorrows,
彼は本当に、私の罪と挫折、後悔を取り上げて
He made them His very own;
それを自分の物のように、受け止めてくれた
He bore the burden to Calvary,
傷ついたからだで、それをカルバリーの丘まで運び上げ
And suffered and died alone.
渇き、苦しんだ後、一人で死んでいった

<Refrain>

When with the ransomed in glory
しかし、彼のその贖いのおかげで
His face I at last shall see,
私は救われた
’Twill be my joy through the ages
いつか彼と会い、喜びを分かち合うその日まで
To sing of His love for me.
私はこの感謝の歌を、歌い続けよう

<Refrain>

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地上最強の生物
2007-03-08 Thu 22:13
「範馬勇次郎ですか」と聞かれそうなタイトルですが(バキなんです)、いえいえ、今日はゾウの話です。

アフリカのサバンナで一番危険な動物、というとライオンとかチーターとかコブラとか、たくさん出てきそうですが、アフリカゾウが群れを守るために戦闘モードに入ると、どんな生き物の手にも負えません。


体重7トンの巨体、それだけで凶器です。それが地鳴りとともに時速40kmで草原を駆け抜け、体当たりし、牙で突き刺し、踏みつける。そのコンボを全部受ける前に、たぶんあなたは天国の門の前にいます。

そんな強力なゾウですが、サーカスやゾウポロなどでは、調教師の手にかかって何とも大人しくしていますね。逃げ出そうと思えば、いつでも逃げ出せるはずの突破力、破壊力を秘めているにも拘わらず。

そこには、ゾウのトラウマ(心理的外傷)を利用したトリックが隠されていました。


ゾウが子どもの頃、調教師は彼を鎖で拘束し、地に深く打ち込まれた杭につないで、勝手に暴れさせます。

それは、彼がどう頑張っても鎖は切れず、杭も引き抜けないことを、ゾウに身をもって分からせるためです。


幼児時代の彼のこの挫折経験は、なまじ知性が発達しているために、大人になっても拭えません。「Elephants never forget(ゾウは忘れない)」ゆえに、鎖をぶっちぎり、杭を引き倒す力がありながら、ゾウは「こりゃだめだ…」「私には、無理です…」と最初から諦めてしまうのです。

こうしたマイナスの「思い込み」。あなたの身の回りでも、どなたか思い当たりませんか…?


<自分の限界>
知らず知らずのうちに、私たちは自分の境界線を引いて/引かされてしまっています。

「お前は数学ダメだから、文系な。」
「音痴な君には、ピアノは無理だ。」
というような、外部からの拘束。

「俺はこういう人間だから仕方ない。」
「私は家庭向きじゃあないから、結婚できない。」
というような、内部からの拘束。

そうした思い込み、重い枷(かせ)から解き放たれるのは、実は簡単なんですよ。それは、ゾウが火事など緊急事態に巻き込まれると、その檻をブチ破り、鎖など引きちぎって、やすやす逃げ出していくのに似ています。

人間の場合はその「緊急事態」が、健康を害することだったり、愛する人を失うことだったり。挫折し苦悶して、自分の人生について、深く考える時間だったりするわけです。でも、少し力を抜いて、回りを見渡してみれば、私たちは自分の健康を害さなくても、友を失わなくても、倒産しなくても。がんじがらめの鎖から、抜け出すことができます。


どうやって。


私たちの主、イエスキリストは、私たちの縛られている鎖について、こう言っていますね。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです(マタイ11:28~30)。」

たましいに安らぎが来る、くびきです。でも、私たちの「重たい鎖」を、主イエスの「安らぎの荷」に取り替えるためには、どうしたらよいのでしょうか…?その為には、

「全世界を創造した神さまが、あなたを愛し、尊んでくれています。
あなたの個性と才能、かけがえのない価値を喜んで下さっています。
その神さまを知り、こころから愛しましょう。」

そして、

「あなたを愛するように、神さまは他の人たちも愛しています。
太陽をのぼらせ、雨を降らせて、地上の誰もが、食べ物と喜びで満ち溢れるよう計ってくれています。
だから私たちも、神さまが愛するように、他の人たちを愛しましょう。」

という主のメッセージを受け入れて、毎日生きることです。

自分よりも、「神さま」と「他人」を愛する選択。矛盾しているようですが、それはあなたを「思い込み」の檻から解き放ち、より良い人生へ導くための「選択」なのです。


神さまと主イエスキリストの包容力、そして愛によって、あなたの荷が少しでも軽くなりますように。

お祈りしています。


「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛して下さったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです(Iヨハネ4:9~11)。」


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あなたの記事が、いのちを救う
2007-03-07 Wed 17:41
愛と癒しのライターの皆さん、
お疲れ様です。今日は個人的に、皆さんへの感謝の気持ちを込めて、この手紙を書いています。

というのも、あなたが共有した何気ない一節、あなたが人生の中で得てきた教訓や糧、そしてあなたの涙の告白が、この地上の誰かのこころに触れて、その人の傷口をきっと、癒しているからです。

私たちのメッセージを通じて、誰にも開かない心、触れられない傷すら、神さまが癒してくれます。あなたにその記事を書くようにしむけ、傷ついた方にそのサイトを見るようしむけるのも、また神さまだからです。


こうして、失われかけている命を、仮に一つでも救うことができるとしたら。
私たちが毎日、記事を書き続ける価値は、あるのではないでしょうか。


それは、表に出ない成功。表彰されない栄誉。誰にも気付かれない貢献、かも知れないけれど。

神さまはあなたの心を知り、あなたの行ないを知っています。だから、あなたの努力が無駄に終わるようには、決してされません。

「雨や雪が天から降ってきて元に戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、
芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる(イザヤ55:10~11)。」
こう聖書にもある通りです。


一人一人ができることって、限られていますね…。だからみんなで、継続しましょう。書くことはすごい、エネルギーの要ることだけれど、続けましょう。


今日はあなたの書いた記事に癒され、救われている方たちを代表して「ありがとう。」
これからもがんばって、温かいメッセージを書き続けてください。

With Prayer from Sri Lanka,
ごとう&リンダ

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聖餐
2007-03-06 Tue 21:17
教会に行くと、月に一度くらいの頻度で聖餐(Holy Communion)という行事に行き当たります。
これは主イエスが弟子たちと過越(すぎこし)の食事の席に着いた時(=最後の晩餐)、行なった愛と感謝の儀式を引き継ぐ形で、今日も執り行われているもの。

「…さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。
イエスは言われた。『わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。<中略>』
それから、パンを取り、感謝をささげてから、咲いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。』
食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です(ルカ22:15~20)。』」

これをウエハースやパンやクラッカーと、グレープジュースなどで代用して行なう訳ですが、私の中にはいつも疑問がありました。

「牧師は『自分が相応しいかどうか吟味して、このパンを食べ、杯を飲みなさい。もし相応しくないままで受け取れば、罪を犯すことになりますよ。』また『主イエスを救い主と認めるなら、聖なる食卓に着くことができるはずだ』と言う。考えてみると厳しい条件だけど、何だか知らないが、誰もが例外なく受けている。」

「聖餐を受けることが、ある意味『信徒の証し』みたいなところがある。逆に言うと、これができなければ、『あなたは私たちの仲間じゃない。』自分で汚れてます、受けるに値しないんです、と公言するようなものだから、そりゃ“きよい”周囲から見れば、黒い羊だわな。非常にバツが悪い」

「私には、正直分からない。自分が主の愛に相応しいかどうか。それは彼が決める事だし、実際に面と向かって会ってみなけりゃ分からん。」

「そんな疑問を感じながら、回りの雰囲気に流されて受けるのも、何か違う…。」


だから、聖餐は受けませんでした。ずっと無言で座っていました。妻が立って、隣で促しても、無視。

私には、神さまの前に正直でいる事の方が、人間の儀式に参加する事よりも大切に思われたんです。


でも最近になってようやく、聖餐の意味が理解できてきました。それは「私のために流された主イエスの血と、いのちの犠牲を忘れずに、感謝して毎日生きること」また「これが仮に私の最後の食事だとしたら、どれだけ美味しく、どれほど感謝をもって食べるだろうか」と、人生を日々、心新たに生切ること。

考えてみると、その精神は、武士道について書かれた「葉隠」の中にも見られるんですよ。「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」のアレです。このコピーを書くといつも通り誤解されそうですが、それはつまり「もし今日が最後の一日だとしたら、どう生切るか」という思考に、直結していると言えないでしょうか。実は日本人の誰もが、DNAの中に持っている共通観念――それをイエス・キリストが約2000年前に語っているんです。


だから、この聖餐の儀式って、月一とかでなくて全然いい。毎食やればいいんです。「またあなたの食卓に着くことができました。俺ってラッキー。生きてることに感謝で~す」「神さまありがと~」って、自分の気持ちを伝えればいいんです。それを「毎月恒例の~」みたいにしてしまうから、儀式めいて、形式ばかりが独り歩きてしまう。でも、本当に大切なのはその根底にある「こころ」のはず。

私たちの「こころ」が澄んで、晴れ渡っていれば、人間の執り行う儀式の意義や、無神経に振りかざされる「クリスチャン/ノンクリスチャン」の線引き、差別などに悩まされる必要もありません。だって主イエスが「みんなおいで!!」って言ってるんだから。

そう考えるに至って、スッキリしました。だから私は毎日、聖餐の祈りを捧げます。「今日生きてて良かった!クレイモア地雷とか、バス炎上爆発、LTTEとスリランカ軍のドンパチで死ななくて良かった!! ありがと神さま!!」


『あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです(IIコリント6:12)。』確かにそうでした、ポールさん。今は笑えます。

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本当のあなたは
2007-03-06 Tue 21:12
1974年、11月生まれ。イタリア系アメリカ人男性。米ピープル誌「世界で最も美しい人50」に選ばれ、歴年のアカデミー賞候補、人気のピーク時には「Actor of the Year」の栄誉を受ける。人気俳優として米国はもとより、日本~タイ含むアジア圏で人気を独占し、タリバン政権下のアフガニスタンでは、彼の髪型を真似たがる若者に「禁止令」が出たほど。多くのモデルや美人俳優との浮いた噂、連日タブロイド紙のトップ記事。

そうです。デカです。プリオです。タイタニック、ロミオとジュリエットで私たちのハートを鷲づかみにした、レオ様です(そんな風にも呼ばれてたっけ。)


しかし私が映画「Blood Diamond」の中で見た彼には、こうした輝かしい功績と裏腹に、「苦悩」「不安」「憤り」の傷痕が深く刻まれていました。

それは、眉間にくっきりと浮かぶ、一筋の深い皺。単なる役作りではできません。日々の生活の中で蓄積され、深くなった皺など。


彼の生活は、あたかも順風満帆で、成功に満ちたもののように映ります。しかし、5年連れ添ったブラジル人のモデルと別れ、イスラエルのスーパーモデルに鞍替えし、その彼女とも最近になって破局…。自分で設立した映画スタジオ「アッピアン・ウェイ」の経営の難しさ。「タイタニック」という不朽の名作を打ち立ててしまったゆえに、逆に周囲から過大に期待され、批判ばかりが目立った後発の主演作品群。

彼の個人的なコメントを見ても、心の奥底に存在する「闇」が垣間見えます。
「どこへ行っても、いつも誰かに見られて、監視されている気がする(まあそりゃそうか。)」
「俳優業のいいところは、他人を演じることで自分自身を見失えること。そしてそれで給料が貰えることだ。本当に俺向きの職業だよ。
自分のこと?…自分が何者なのかは、未だに分からない。」
「人々は自分に、『手に負えない、クレイジーな若者』を期待している。誰もヒーローなんて欲しちゃいない、みんなデカプリオがコケて、失敗し、悲惨な人生を送るのを望んでいるんだ。スランプに囚われて、苦しむことを。」

そのフラストレーションは雑誌の記事に「映画“アビエーター(アッピラウェイ第一作目)”撮影中には、強迫性障害(他人に対する、極度の不安や不快感)を示すこともあった」とあるように、甚大なストレスが彼の額にその爪あとを刻んだのでしょう。

前述の映画では、皮肉にも彼の「血の滲むような苦悩の爪あと」が、役柄に非常に適していました。しかし「キャストの中の他人」を演じる時間は、本当の自分と向き合う時間に比べると、はるかに短いのです。


だからこそ、聖書の中の章句が、彼を含め、日々忙しく、労苦され、不安や後悔に苛(さいな)まれ、重いくびきを背負っている人たちに、届いて欲しいと願うのです。

『神は悩んでいる者をその悩みの中で助け出し、そのしいたげの中で彼らの耳を開かれる(ヨブ36:15)。』だから、忙しい中にも、耳を澄まして聞いてください。

『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです(Iペテロ5:7)。』人間の痛みも、渇きも、涙も苦悩もご存知の主が、あなたのことを心配してくれています。

反対に、神さま不在の人生を選べば、胸にぽっかり開いた空虚が埋まることはないのです。
『私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。
しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない(伝道者2:10~11)。』

ですからあなたも、神さまに返ってみませんか。あなたが愛と平安、赦しと感謝に溢れた人生を送るために、必要な鍵を神さまは与えてくれますよ。

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悪童の村
2007-03-04 Sun 17:45
スリランカ南部、ハンバントタ県出張で、各村に常駐し、職業訓練やカウンセリングを行っているスタッフたちと話す機会がありました。中でも印象深かったのが、「悪童の村」ヤエヤワッタです。

オープニングブローは、魚網作成のインストラクターから。「私が初日村に顔を出して、では帰ろうと車に乗り込むと、何人かの青年が『町まで乗っけてけ』と持ちかけてきました。ただ彼らの態度があまりよろしくなかったのと、他の村人に提供していないサービスを彼らに与えるのもどうかと思い、断りました。すると、『てめー、二度と来んな!!』と罵倒されました。」

次は、カウンセリングを行っているソーシャルワーカーです。「彼らは人の話を全く聞きませんでした。いつもふざけていて、集中力もありません。年長者に対する礼儀もなく、言葉遣いも悪いんです。ほっとくと部屋から出て行って、外で勝手に遊んだり、いなくなったりします。学級崩壊です。」

そして、スポーツのコーチが止めを刺します。「子どもの一人は、津波で家族を失った怒りから、斧を取り出して近隣の大木を切り倒してしまったんです。」

心理学者がその理由を説明しました。「ヤエヤワッタの大半の家庭では、父親がいつも漁で外出しています。通常10日ほど続けて漁をし、2日ほど家に戻って、また漁に出る、というサイクルです。ですから、大半の子どもたちは幼い頃から、父親の厳しいしつけを知らずに育ちました。また父親が家にいる間は、アル中から意味もなく暴力を振るったりするので、子どもたちも情緒不安定で、他人も信頼できなくなっているのでしょう」と。


ウンウン、確かに彼らには、グレるだけの立派な理由があるようです。しかし、親を恨んで、津波を恨んで、家庭環境を恨んで、子どもたちの人生にプラスがあるでしょうか?…恐らくないでしょう。

そこで、スタッフたちが心掛けているのは、彼らの中に入って行って、話を聞くこと。その時に彼らの態度や言葉遣いは極力気にせずに、大人の対応で向かうこと。団体の「悪ガキども」でなく、一人一人の人間としてその個性を尊重すること。そんな基本的なことでした。


そして、現在約1ヶ月が既に経過し、「悪童の村」に何が起こったでしょうか…?

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あなた眼外(ガン―ガイ)
2007-03-04 Sun 17:38
ハンバントタ出張前夜に、妻とタイレストランでディナーと洒落こみました。カップルらしき二人連れと隣になったのですが、その時のことです。

既に予約時に注文が入れてあったのか、彼らが着席するとすぐ、料理が運ばれ始めました。通常は短くても15分はかかる店なのに。なぜだ!と疑問視する私の想いを裏付けるように、女性がいそいそとラップトップを出してきて、隣に着席している男性に見えるように開きました。営業です。接待です。

そして目の前の料理を全く無視して、彼女がPPTの画面をすばやく切り替えながら話し続けます。すごい熱心さで、注がれたお酒でまだ乾杯すらしていません。男性も困惑気味で、食べたいんだけど…?と思いつつも彼女の話に耳を傾けている感じ。どうやら「顧客を夕食に誘った敏腕女性営業なのよ私はエッヘン!!これから今月のノルマを果たす為になんとしてでもこの商談成功させるわ!!」というシナリオらしく。

話が延々15分も続いた頃、せっかくの料理も冷めてしまい、いい加減キレかけた男性が「まあそんなにガツガツ商談せんでもええやん。」と言ったにもかかわらず、彼女はしつこく交渉していました。逆に、そんな顧客のネガティブ反応がショックだったのか、突然PCをひざに乗せてなにやらタイピングを始めました。「スペシャル値引き」の見積もりでも打っていたのでしょうか?

とりあえず沈黙したパートナーを尻目に、男性はただ一人黙々とタイ料理を平らげ、彼女はPCの画面に食い入るようにして作業…。まあいい雰囲気ではないですな。私がお客だったら、たぶんすでに席を立っているような居心地の悪さです。


営業が商談をして、最新のラップトップでイカスプレゼンを打つ。その結果、お客がものを買ったり、買わなかったりする。このケースでは、明らかに何かが空回りしています。
それは、おそらく彼女が自分のこと(ノルマ、プレゼンの出来栄え、次のアポ、営業成績、給与…)ばかり考えていて、お客さんのことや、お客さんの問題には何一つ関心を示していなかったことでしょう。


その商品が一体いくつ売れていて、他社と比べてどんなにお得で、どんな付加機能があっても。
どれだけ素晴らしい統計や専門家の意見、使用者の声が並んでいても、はっきし言ってお客さんには関係ないのです。ですから、一人一人に異なった個性と課題があるように、私たちの営業トークもお客さんにとって「あなただけの」セールストークでなければいけない、と言えます。

何気ない会話から、職場のこと、仕事で難しいこと、時間がかかること、無駄だと思われること…。そうしたお客のトラブルの聞き込みをする。そして、その問題を解決するために、彼女の商品がどう貢献できるのかを話す。それが営業の仕事だと思います。売っているのはモノではなく、その商品が提供する「問題の解決」なのですから。

そういう出発点から考えれば、トークの組み立てにもまず①相手の話をしっかり聞く、それから②論理的にメリットを話し(ここで統計や他のお客さんのコメントが活きる)、③具体的にどんな改善ができるのか、頭に描かせる。④もちろん、この商品のネガティブな点も共有して信頼を積み重ねていく。それはチェスにも似て「相手の一手に対して」どうするかが大事なのであって、どんなに「強いオープニング」「過去の伝説的プレーヤーの真似」を指したとしても、相手の動きに対応していなければ手の無駄、敗因にすらなるです。


私たちの方が先に食事を終え(そりゃ彼らあまり食べる時間ありませんでしたから)、席を立って出口に向かう時、彼らのテーブルに目を走らせました。おそらくですが、お客さんのあのあきれた表情から察するに、商談は失敗だったでしょう。どんなに入念に用意されたプレゼンも「あなた眼外(=眼中になし)」では何の説得力も、契約締結への影響もないのです。


こうした教訓から、宣教師、神父や牧師などの聖職者としても、また一クリスチャンとしても、学べることがありますね。それは聴衆がついて来られるように、時に質問したり、理解度の確認の為に挙手を求めたりしながら話し、一方通行なマスターベーショントークにならないようにすること。キリストの福音が、営業担当者の独りよがりの説法や、美化美化の信仰告白に陥らないよう気をつける、と言ったことでしょうか。


「まやかしの証人は滅びる。
しかし、よく聞く者はいつまでも語る(箴言21:28)。」

「…彼ら(異邦人)はことば数が多ければ聞かれると思っているのです。<中略>
だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです(マタイ6:7~8)。」

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