後藤 秀孝
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JAPAN
自由―― I'm Free ――
2007-02-28 Wed 22:13
過去に掲載した記事(災害よりも、交通事故よりも)で、「心配」や「不安」が私たちの人生を食い潰す、という話をしました。自分の中でこれらの「殺戮者」が育ち、その影響力を増して行くと、時に本人の生命さえ奪うと。

それに対する処方箋について前回は共有した訳ですが、その主旨をグッとつかんだ素晴らしい曲がありましたので、歌詞を共有させて頂きます。

「…もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由なのです(ヨハネ8:36)。」
John 8:36 Therefore if the Son makes you free, you shall be free indeed.


自由 ―― I'm Free ――

So long I had searched for life's meaning,
長いこと、私は人生の意味を探してきた
Enslaved by the world and my greed;
この世と、自分の欲望の奴隷となって
Then the door of the prison was opened by love,
でもある日、主によって牢のとびらが開かれ
For the ransom was paid - I was free.
彼の愛によって私は贖い出され、自由になった

<chorus>
I'm free from the fear of tomorrow,
私はもう「明日の不安」から
I'm free from the guilt of the past;
そして「過去の後悔」から、解放された
For I've traded my shackles for a glorious song,
私は重たい鎖を、主の栄光と引き換えにした
I'm free! Praise the Lord! Free at last!
自由!主を讃えよう!私は自由だ

I'm free from the guilt that I carried,
私は自責の念や、延々と続く
From that dull empty life I'm set free;
空虚で、単調な日々から解放された
For when I met Jesus, He made me complete,
主イエスと出会ったとき、彼は私の愚かさを赦し
He forgot how foolish I used to be.
私の瑕(きず)を癒して、完全にしてくれた

<chorus>×2

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特別な人でないと
2007-02-27 Tue 18:19
元ダンスの選手で、全国大会出場など、輝かしい戦績を残された方が、こう言っていました。

「でも、届かない。足りない。もし私がダンスの星の下に生まれてきたのなら、容姿も、身長も、家庭環境も、パートナーも、全てがもっと恵まれていたはずだ」と。だから「プロ競技選手としては、引退を決意した。」

競技の世界は、厳しいです。誰かが1位になるために、それ以外の何百という選手が敗北を知り、羨望、嫉妬、自己憐憫に囚われる。崩せない壁を前に、挫折する。これまで積み重ねてきたものが、その価値を失ってしまう…。勝利が全て。勝てなければ、意味がない。


スポーツのみならず、受験・ビジネス・投資・趣味…。受からなきゃ/稼がなきゃ/利確しなきゃ/入賞しなきゃ、努力する意味がない。その為には、他の人がしていないことや、真似できないこと。何か特別な努力をして、特別な人にならなければダメだ…!


この世の観念では、そうです。でも、全てを包み込んでいる神さまの観念では、どうでしょうか。マザーテレサの言葉から、例を挙げましょう。

マザーテレサはノーベル平和賞受賞の際、インタビューで「世界平和のために、私たちはどんなことをしたらいいでしょうか」と問われて、こう答えました。「帰って家族を大切にしてあげて下さい。」
また、こうも言っています。「私たち誰もが、偉大な業績を残せるわけではありません。しかし、小さなことを、大きな愛をもって行なうことはできるのです。」

つまり、彼女にとっての偉業とは「特別な人が、特別なことをする」というのでなく。誰もが、日々の生活で、当たり前のことを通して、偉大な神さまの愛を表現すること。それが偉業であり、私たちの役割であると、彼女は話しているのです。

だから、あなたが今、一時的に人生の谷間で苦しんだり、目標を見失ったり、挫折してしまった時に、「人生棒に振った」などと思う必要、全くありません。それまでの努力が、汗が、集中力が。苦しみが、挫折が、葛藤が。必ず後の人生、実を結ぶ場面があるからです。特別でない、「当たり前」の人生の中で、あなたの愛が大きな喜びと光を、たくさんの人にもたらすからです。

だから、あなたの苦しみも、涙の理由も全てご存知の、主イエス・キリストに信頼していきましょう。

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この子どもたちのように
2007-02-27 Tue 18:12
聖書の中でこんな話があります。主イエスと弟子たちがヨルダンへ出向いて、説教をしていた時のこと。キリストにさわってもらおうとして、おばかな子どもたちがワーッと殺到しました。それを見て、イエスの弟子たちが「ガキども~ッ!あっち行け」と止めようとしていたところ、主が口を開きました。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。<中略>子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません(マルコ10:14~15)。」

この「子どものように」とは、一体どういうことでしょうか。それを知るためにはまず、身近にいる子どものことを思い浮かべてみましょう。

彼/彼女は、おばかで、うるさいですか?わがままですか?駄々っ子ですか?よく笑いますか?泣きますか?
こうした表面的な「子どもらしさ」に加えて。その内面にある一番大切な要素を見てみましょう。

それは「親に対する絶大なる信頼」ということではないでしょうか。


子どもの信頼
幼子はよく、駆け寄ってきてそのままお母さんの胸に飛び込みます。布団の中のお父さんを起こそうと、全体重で乗っかってきます。無条件に「必ず受け止めて、愛してくれる」と信じているからです。

子どもが果たして「あなたには、いい子にしている私を、マクドナルドに連れて行く義務がある」「かわいい私を、一流の小学校に進学させなきゃ許さない」とか、「算数の成績が上位5位に入ったから、弟よりも愛してくれなきゃダメ」などと、求めるでしょうか。

彼らはただ、こころから「マック~」とか「お友だち~」とか「愛して~」と、慕い求めるだけです。どうしてか分からないけれど、それらが必ず与えられる、と信頼しきって。


神さまとのこうした絶対な信頼関係に、あなたが立ち返ってくれることを、天の父は望んでいます。

しかし、私たちの姿勢と言ったらどうでしょう?前述の「かわいくないガキ」と同じことを、気付かずにしている時って、ありませんか…?
「私こんなに素晴らしい働きしていますから。お返しに天国へ行かせてくれなきゃヤダ。」
「たくさんの貢ぎを納めていますから、なんとしても年収アップ!祝福してください。」
「伝道の仕事をして、多くの人に福音を伝えると誓います。だからこの世でも豊かにしてください。」
「クリスチャンとして25年、私にはあなたの声を聞き、奇跡を起こす権利があるはずだ。」

知識がつき、駆け引きを知り、交渉上手になると、神さまに対してもこんな「条件付アプローチ」を取りがちです。
しかし主が本当に望んでいるのは、前述の子どもたちのような、盲目な、絶対の、信頼関係なのです。


終わりに
彼らの純真さ、素直さに学んで、神さまにすがりましょう。見返りを求めたり、「わたしはOOしたから、その報酬として××…」というのでなく、「まず愛してくださった」神さまに感謝し、その手を取りましょう。

神さまはただ、親と子、神とあなたの間にある、愛と信頼関係の回復を求めているからです。

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主の慈しみと愛に生まれ変わる
2007-02-25 Sun 17:59
聖書の歴史書の一説に、ある英雄の話が出てきます。彼の名はエフタ。父親は地域の名士でしたが、母がセックスワーカーだったため、成長するにつれ肉親たちから疎まれて、しまいに追放されてしまいました。彼はとぼとぼと落ち延びて行き、着いた先トブで暮らし始めます。すると彼の元に、ごろつきたちが集まってきました。

それからしばらくすると、アモン人がイスラエルに宣戦布告。力ある指導者が不在だったイスラエルの民は、長老たちを立ててエフタをスカウトに向かいました。「軍を指揮してもらえませんか…?」

「何で今頃手のひらを返して、私に頼るのですか。」このセリフが物語っていますが、エフタ、内心かなりムカついていたはずです。彼を見捨て、追放した民が、自分たちが困った時、彼に危険な役目を負わせるため出向いてきた。普段は高慢で、彼には見向きもしなかったくせに、こういう時だけは下手(したで)に出る。

しかしエフタは彼らに告げます。「もし主がアモン人たちを私に渡して下さったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」と。そして彼は、主の前に祈って、同様の誓願を立てました。

そして、様々な苦難と、かけがえのない犠牲(これは、ぜひあなた自身で読んでいただきたい章節ですが)を払い、エフタは凱旋将軍としてイスラエルに迎えられます。かつてのごろつきの頭、不良の総長、やくざの若旦那が、状況の変化によって一国の主になったのです。


聖書はこう言っています。
「…不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者…<中略>
あなたがたの中のある人たちは、以前はそのような者でした。しかし、主イエスキリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです(Iコリント6:9~11)。」

神さまは、あなたが誰であっても、どんな人間であっても。どんな過去を持っていようと、どんなに弱い存在であろうと。数え切れない候補の中から選んで、神さまの使命を果たす立派な器として、用いてくださいます。

精神科医はあなたをつかまえて、「あなたの人生はヤバいね。もう普通には戻れないよ。さあ、薬を飲みなさい」と言うかもしれません。
弁護士はあなたをつかまえて、「取り返しのつかないことをしましたね。アンタの一生は終わりだ」と言うかもしれません。
周囲はあなたを白い目で見て、「あなたみたいな人が居るから、日本の将来不安なのよ」と言うかもしれません。

しかし、たとえあなたが、ニートやヒモやうつ病やOO恐怖症やひっきーであっても。
たとえあなたがギャンブラーや犯罪者やセックスワーカーや詐欺師であっても。
あなたが神さまに従うことを決意しさえすれば、神さまはあなたを選んで、用いてくださいます。主は壊れて、欠けてしまった器でも「完全にして(made whole)」くださるのです。

「主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、
高貴な者とともにすわらせ、彼らに栄光の位を継がせます(Iサムエル2:6~8)。」とある通りです。

考えてみてください。神さまは忍耐強く、あなたに恵みをふり注いでくれています。あなたが「神さまがどれほど、あなたを愛しているか、大切に思っているか」に気付くまで、辛抱強く待っていてくれるのです。

だから、あなたの悩みや、過去の後悔や、将来への不安を、一度神さまの前に捧げてみましょう。
あなた自身を、神さまの手にゆだねてみましょう。

そうすれば、あなたの元に、
嵐の中にも喜びが。
貧しさの中にも豊かさが。
試練の中にも平安が。
死の沈黙の中にもいのちが。

神さまの御名によって、与えられるからです。

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災害よりも、交通事故よりも
2007-02-24 Sat 20:15
たくさんの人を殺し続けている病魔があります。それは「不安」「心配」です。私たちが拭いきれない、漠然とした将来への「不安」。起こりもしない事態への「心配」。これらは例年、自殺者数・ストレスから来る症状で亡くなる人の数として表われます。ちょっと現実の数字を対比してみましょうか。

2005年「人口動態統計」(財団法人厚生統計協会)より

不慮の事故 36,935(災害、交通事故など)に対して、

自殺者27,620(75%)
脳血管疾患 122,051(330%)
心疾患 159,850(433%)
(また、糖尿病 12,508(34%)、ガン299,294 (810%)なども、ある%はストレスからと言えます)

これらの数字が示しているように、私たちが職場で、家庭で、神経を尖らせ、起きるかどうかも分からないトラブルに苛(さいな)まれることで、どれだけ多くの人が健康を害し、亡くなったでしょう。

そして、学校教育や塾、会社の新人研修、雑誌や情報誌、医師の説明の中に、この「殺戮者」への効果的な対処法を記したものは、残念ながらあまりありません。高度な数学の知識や、効率的な暗記法、顧客への電話対応、体脂肪を落とすエクササイズ、血圧や臓器のケアなど、大抵は「一時的」「表面的」な対症療法であって、その根底に根付く「悪魔」を滅ぼす知恵まで達していないのです。

今日は、私の師匠Dale Carnegie氏のミリオンセラーである、「How to stop worrying and start living(心配を止め、人生を始めよう)」から、今すぐにこの「宿敵」との戦いに勝利する方法を、何点か共有したいと思います。


1.「私たちの日ごとの糧を今日も与えてください」
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、これは聖書からの引用です。ここで主イエスが求めていたものは、今日一日を生きるためのリソースであり、力であり、知恵と言い換えることもできるでしょう。その焦点は「現在」にのみ当てられており、「昨日」「明日」の糧を求めている訳ではないのです。

でも私たちの内の多くは、1年後、3年後、卒業後、就職後、結婚後、引退後、老後…など、先のことへの希望と不安を抱えています。しかし現実的に、「まだたどり着いてもいない石橋を、叩くリハーサルをする」必要もないはずです。また、失敗や、既に起こってしまったことへの後悔も、過去がリセット・変えられるわけでもないので、時間の無駄です。倒壊した建物について、あなたが心配したからと言って、元通りになるわけでもないので。
それは、砂時計が一気に大量の砂を処理できる訳でなく。砂が重力に逆らって上に上る訳でもないのと似ています。

計画的な人生を送る必要がない、と言うわけではないのです。しかし、過去の失態を改善し、将来の不安を取り除くために、今日できることが必ずあるはず。今日一日を、目標に向かって全力でやりきること――できないかも/失敗するかもしれない、などという「不安」を横に置いて、今日を生き抜くことです。

「…あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります(マタイ6:34)。」


2.そう決心したら、次に具体的な「戦いのプラン」を立てましょう。
と言っても、何か「かつてない革新的なアイディアで、あなたの人生バラ色!!」というわけではありません。
逆に、全ては常識的なことなので、誰にでも、今すぐに実践できるはずです。

必要なもの;ノートとペン
時間;10~20分

A)「不安」「心配」の原因は何かを突き止める
仕事であれ進路であれ、自分が今対面している敵を知ることは、その後の行動計画に大きく貢献します。以下の質問を自分自身にたずねてみましょう。
「一体なにが問題なの?」
「この問題の原因は何だろう?」

B)最悪の結果は何か
「問題によって引き起こされる、最悪の結果は何だろう?」
自分にこの、難しい質問をたずねましょう。それは「親の反対」「失業」「婚約の破棄」や、人によっては「自分自身の死」かもしれません。あなたの心に食い込んだ「悪魔」ができる、最悪のダメージは一体なんでしょうか。書き出してみてください。

C)その最悪の結果を「容認する」
「すでに結論が出てしまったのなら、仕方がないね…。」
「もう未練がましく、しがみ付く必要はないんだ。」
自分の中の「宿敵」が引き起こせる最悪の事態が、はっきりとしました。次のステップは、それを心の中で「そうなっちまうなら仕方がない」と容認することです。それで勘当されるなら、家を出る。それで離婚になるなら、それも仕方ない。医者が言うように、あと3ヶ月で死ぬのなら、死ぬだけだ。

D)最悪の結果を改善するアイディアを検討する
「では今、この状況を回避・改善するためにどんな方法があるか」
「私はその内、どの方法がベストだと思うのか」
「いつから始めるか」
…だったら、今、何をしようか!

「役者を目指して勘当されるなら、仕方ない。でもその前に、ちゃんと自分の夢と目標、計画を理解してもらおう。自分にとってどれほど大切なことなのかを、両親に知ってもらおう。」

「別れるんならしかたない。だったらその前に、言いたかったこと言ってやる。嫌われるのが怖くて、話し合えなかったことを話そう。そして、私一人で解決できなかったこと、二人でトライしてみよう。」

「どうせ死ぬんなら、最後の一秒まで楽しんで、死のう。人生を儚(はかな)んだり、一人泣いて暮らすのはもう止めだ。したかったことを、今、してみよう!」


3.実際の例
ここで一つ、重度の胃潰瘍で医師たちから「アンタもうだめだ」と死の宣告をされた、アールさんの話をしましょうか。

「5年ほど前のこと、私はビジネスのストレスから胃潰瘍を患い、ある晩急な激痛と、吐血を経験して病院に担ぎ込まれました。入院生活で私の体重は80kgから45kgまで落ちました。私の食事は、胃酸を中和するアルカリと、ごく少量のミルクのみ。容態があまりにひどいため、医師から腕を上げることも禁止されていました。

その後、3名の著名な医師が診察して『不治』『こりゃもう手遅れ』という結論を出しました。

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あなたと、神さまと、仕事
2007-02-23 Fri 20:00
あなたにとって、「仕事」って一体何でしょう。なぜ「仕事」をするのか、と言う問いに、多くの人はこう答えるかもしれません。

「家族を養うため」「生活していくため」「才能を伸ばすため」etc…
確かに喰ってかなきゃならんもんね…。その為には下げたくない頭を下げる事もあるし、飲みたくない酒に付き合うこともある。お互い苦労が絶えませんなぁ、アッハッハ…。
また、現代社会では「仕事=生計」という構図が出来上がっているため、安月給であれば給料分しか仕事しませ~ん。5時に早引きしま~す。ソリティアしてま~す。などと言うケースもあるのではないでしょうか。

こうした慣習から一度離れて、根本を見直すために、基本に帰るのは良い方法だと思います。聖書をひも解いてみますと、創世記の中では「最初の人類と仕事」について、こう記されていますね。
「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた(創世記2:15)。」
天地創造の後、神さまは人を地球の管理人、メンテナンスクルーとして配置しました。神さまのパートナーとして、自律で全生物の管理をし、地球の運営を維持していくためです。神さまの意思、主が望む仕事を、現場で執り行うフィールドスタッフとして、私たち創造されたわけです。

また、こうも言っています。「奴隷(=仕事人)たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい(3:22~23)。」

つまり、主イエスがあなたのボスだったら、どうよ…。と言う考え方です。CEOイエスキリストの前に、給与の多寡や、昇給の有無や、昇進…そうしたものは、意味を持つでしょうか。それはあなたの仕事の質、あなたの就業態度、あなたの熱心さ、あなたの学習意欲、そうしたものにどう影響を与えるでしょうか。

自分の時間を切り売りするような考え方から「一意専心して働き、社会のため、顧客のため、そして自分の成長のために努力」「じきに来る船出のために、毎日全力で準備」というように、仕事に対する意識、姿勢を刷新されるのではないでしょうか。自分のできるベストの仕事、100%のリサーチと考察を組み込んだレポート、上司の視点から見た「理想の部下」になる努力…。自然と、仕事に対する情熱や、姿勢が改善していくのではないでしょうか。

仕事をすることは、神さまの意思に適うことです。それは聖書に「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリストイエスにあって造られたのです。 神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです(エペソ2:8~10)。」とある通り、私たちの良い行ない(役割、仕事)は、私たちが生まれる遥か以前から、神さまによってデザインされ、用意されていたものだからです。

だとすれば、神さまにあって、あなたはその仕事に最適な――この地上に、現在も、過去も、未来を探しても、他に適任者がいないほどの――人物なのです。その役割を果たすべく、あなた自身が創造された、と言い換えることもできるでしょう。

そして、もし神さまがあなたを選んで、責任を託してくださったのなら、その役割を完遂するために必要な能力や、知恵も、必ず与えられます。思わぬきっかけや、全くの偶然(=神さまの根回し)によって出会った人や、手に入れた情報が、大切な人脈・革新的なアイディアに昇華したりと、あなたの必要は必ず満たされます。

なぜなら、「あなたが自分の役割を果たすなら、神さまもまたご自分の役割を果たしてくださる」からです。

神さまのデザインに背を向けると
反面、もしあなたが「看護士」になり、人々を癒す仕事をすべきところを「コンビニ勤務」している場合。また、教師になるべきところを、就職難から悪徳リフォーム/サラ金回収業者などに勤めている場合。自分の心の中からも「合わない」「辛い」「辞めたい」「変わらなきゃ」――そんなシグナルが出てきているはずです。

変化への警鐘が単に「仕事がつまんない」とか「人間関係が気に喰わない」とか、そうした理由なら考え物ですが、上記のような切実な事態であれば、一度時間をとって、神さまと相談してみてください。ノートとペン。近所のコーヒーショップで、2時間。それで十分ですから。

そこで、やはり変わろう、自分にはもっと向いている職場、向いている職業があるはずだ――という結論にたどり着いたのなら。立つ鳥後を濁さないように、でもきっぱりと、転職しましょう。神さまがあなたのためだけにデザインしてくださった、心に平安が訪れる仕事が、必ずありますよ。

最後になりましたが。
「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。
なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ(伝道者2:25~26)。」
という言葉もあるとおり。

神さまの意図に従って歩む人々には、そうです、「知恵と知識と喜び」を与え、反面、神さまの意図に反して生きている人々には、「集め、たくわえる仕事」を与えられるのです。後者はすなわち、どれだけ手に入れても満足できず、家族との時間も取れず、夜も満足に眠れず、胃に穴が開き、体調を崩し、他人から恨まれ、周囲を下心一杯の人間に囲まれる――そんな人生です。そうして人生を燃焼させて集めたものが、最終的にどこへ行くかというと、前者である「神のみこころにかなう者」に渡される、と言うのです。

ですから、もしあなたが今、仕事についての悩みを抱えているとしたら。
まずは神さまに、コンサルを依頼してみてはいかがでしょうか。

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新人の牧師
2007-02-23 Fri 12:00
女性聖職者に根強い反感を持つ老人男性の反対を押しのけて、今回新しく女性の牧師が任命されました。

彼女が勤め始めて数週間が過ぎ、教会のメンバーたちが彼女を湖にフィッシングに連れ出そう、と言うことで合意しました。反対だった老人男性も、みんなから説得されて、彼のボートを貸すことになりました。

新人牧師と、釣り友が湖に漕ぎ出して、じゃあ釣ろう、となった時、誰かが言いました。「釣具を忘れてきた。」「仕方ないな。桟橋まで引き返そう。」

女性の牧師は「みんなで戻る必要はないわ」と言い、一人ボートから立ち上がって、桟橋に向かい水面を歩き始めました。

あっけに取られる周囲をよそに、ボートの艫で老人男性は苦々しく呟きました。

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「日常の中の非日常」に向き合う
2007-02-22 Thu 23:25
日本国内でも、性的暴行・子どもの虐待・痴漢/強姦・パートナーによる家庭内暴力(DV)などの被害は増加傾向にあります。しかも、こうした認知件数として明るみに出てくる統計は、巨大な氷山のほんの一角でしかないのが現状です。

誰にも言えない痛みや、苦しみ…。いつまでも繰り返される悪夢や、食欲不振、対人恐怖症、フラッシュバック、トラウマ…。自分を責める罪悪感や、無力感、そうしたものを無理やり封じ込んで、「時が解決する」「いつか慣れる」ことを期待して、心の傷を隠し、放置してしまうケースは、実は私たちの周りでも多いのではないでしょうか。

暴行や虐待、痛ましい喪失などによって心についた傷は、二度と元通りにはなりません。どんなに程度が軽減して、普通の生活に戻れたとしても、記憶の中でいつまでも、時に痛み、時に出血する傷痕として残ってしまいます。クシャクシャに丸めた紙が、どんなに伸ばしても完全に元に戻らないように。被災の事実が消えないのと同様、こころの傷も消えないのです。

もし、何らかの啓示やサインから、周囲に傷ついた人がいる事に気付いた場合。若しくは、自分自身が被害を受けた場合。あなたは、そして教会という組織は、以下のような状況に対して、一体何ができるのでしょうか。

①レイプ・暴行
②家庭内暴力(DV)
③児童虐待
④事故・殺人事件などで突然肉親を喪う
⑤上記に苦しむ方を援助している

これらの犯罪被害者・周囲の方たちに対して、教会の祈りとともに、再び生きる力を与えるために、できる支援があります。その「How to」を、教会の管理者・責任者が知識として持っているだけでも、有事の際余計な混乱を避けることができますし、日々教会員の方たちにワークショップのような形で啓蒙していくことができます。

教会は、困っている人、苦しんでいる人が、頼ってこられる場所であるべきではないでしょうか。
教会は、彼らの問題への効果的な解決法、苦悩を和らげられる手段・知恵を持つべきではないでしょうか。
教会は、地域の変革、より良い社会への改善を促す、積極的な働き手であるべきではないでしょうか。

その為にも、このUrlをお知り合いの皆さまに転送し、伝えてください。

全ての教会、教育機関(児童館、塾なども含める)や福祉・慈善団体が、持っているべき情報だと確信しています。

(以下、小西聖子(こにし たかこ)教授の「トラウマの心理学 心の傷と向きあう方法」より部分抜粋、また相談機関などの情報を付与させて頂きました。)
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人間、この懲りない生き物
2007-02-22 Thu 17:04
イギリスの大手車両保険会社が出していた記事で、「そんな無茶な」という保険金請求の事由が記載されていました。(災難にあった方には失礼ですが、)笑えたので共有します。

「信号に向かう途中、前の車両が突然壊れました。」
「この事故に関しては、誰に責任がある、と言う訳でもありません。しかし、対向車のドライバーがもう少し注意していたら、きっと起きなかったはずです。」
「歩行者は左右どちらに逃げたらいいのか分からない様子でした。だから轢(ひ)いてしまったんです。」
「歩行者が私の車にぶつかってきて、車の下に入ってしまったんです。」
「私は普段通り、7時に家を出ました。そして、バスに衝突したんです。
バスはその日、なぜか5分早く到着してました。」
「看板に『子犬を無料で販売中』と書かれていたのに、『ン???』と思い、混乱しているうちに、気付くと道路脇の溝にはまっていました。」
「ガラス洗浄液を噴射した時に、私の車は道を外れ消火栓に激突しました。洗浄液のせいで前が見えなかったんです。でも、フロントガラスはきれいになりました。」

対象がヒトであろうとモノであろうと「自分以外に問題あり」で、「当の本人は悪くありませ~ん」というロジックです。まあそうしないと保険金がもらえない、という事情は理解できるのですが、それでも下心が見え見えで、ある種かわゆくすらあるクレームです。


神さまの目には
私たちが罪を犯して(「アタシゃ罪なんて縁遠いからね~」と言う方は、まあこちらも参考までに)、それでも自分の失態を認めずに、隠し通そうとするとき。エゴを振りかざして突っ走ろうとするとき。全てを見透かし、全てをご存知の神さまの目には、多分私たちの隠蔽工作など稚拙(ちせつ)すぎて「かわゆくすらある」のではないでしょうか。

自分の中に過失や、後ろめたい気持ち、人に知られたくない呵責(かしゃく)があると、一体どうなるでしょう。
常に「見つかるのではないか」「誰かに見破られるのでは」との不安から、若干挙動不審になるかもしれません。また、自分の子どもや、年若い部下に対しても、強く正論で話はできなくなります。例えば、説教しても、彼らから何か返されたときに、自分も痛いところがあるので「うっ」と詰まってしまう、とか。

聖書の中にも、「俺、やっちまいました~!!」という例がたくさん出てきます。モーセの殺人、ヨナの逃避行、ダビデ王の不倫と計画殺人、ペテロの否定など…。弱い人間ですから、バレて気が重い罪を、犯してしまうこともあります。そんなとき、素直に自分の罪を認めて、「神さま、悪いことしました。ごめんして」と謝ることができる人は幸いです。なぜなら、その人は神さまからの赦しを得、また心に平安を取り戻すからです。

それは、聖書にも「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。(II歴代7:14)」とある通りです。

みずからの失態を認めるのは、とても勇気のいることです。だからこそ、素直に謝れる人は、周囲からも愛され、上司からも信頼されるのでしょう。普段から神さまとの関係の中で、自分の過失を認め、謝ることを学ぶのは、社会生活を送るうえでも重要な訓練だと思います。また謝罪・関係回復の後、その失敗について他人が何を言おうと「神さまが理解し、赦してくださる」「そんな私でも、主は愛してくださる」という強い信念に支えられるので、他者の陰口を恐れる必要はなくなるのです。

だから「やちまた」という時は、まず謝りましょう。素直に、神さまと、迷惑かけた人に。
そこから再び、積み上げていきましょう。そうするあなたを、周囲の人と、神さまはきっと温かく見守ってくれるはずです。
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目に宿る願望の力
2007-02-21 Wed 18:14
コロンボの南部10kmほどにある、デヒワラのスラム街。妻が熱心に訪ね、教室に参加することを勧めている「男の子たち」と先日会って来ました。妻が「男の子たち」なんて言うから、私は「まだ子どもか」と思っていたら、大きな過ちでした。

10台の後半から20台半ばまで、体格のいいごろつきたちではありませんか!それが近くの空き地で、円陣で地べたに座って、ココナッツを食べています。

スラム出身の彼らには、満足な教育・雇用機会など、望むべくもありません。このため8割は無職、残りの2割も野菜をカートに載せて売り歩いたり、漁民の繁忙期の手伝いをしたり、時には不法な稼業に従事する場合もあるそうです。子どもは物乞いとして町を徘徊し、小銭を稼ぐ反面、親(特に父親)はアル中やヤク中だったり、というケースも多いのです。若者たちが、こうした環境の中で希望が見えないのも、夢など持てないのも、何となく分かります。

そこへ、うちの妻は臆面もなく踏み込んでいって「さぁあんたたち、教室に来なさい!」「コンピューターと英語ができれば、エアコン効いたオフィスで働けるわよ!」などと話しかける訳です。すると彼らは「へ~い」などと答え、半分「この人一体何言ってんの?」という感じで受け取っている――そんな、ある種滑稽な風景でした。

しかし、回を重ねるにつれ、そうした少年の中でも1人、2人と、態度に変化が見られる若者が現れました。「ディーゼル」と言うあだ名のスラッシュ(13)と、少し英語ができるガイド役のアサンカ(18)です。
そんな彼らと、妻はPCも、キーボードもまだ現物が揃っていない時分、キーボードをコピーした紙で、タイピングの講習をしていました。昔の人が紙に書いた鍵盤で、ピアノ演奏の練習をしたように。

それからしばらくして後。売り子としての仕事が忙しい中も、継続してタイピングクラスに参加するスラッシュに、妻が家庭訪問しました。アサンカの片言の通訳で聞いてはいたのですが、彼の実際の生活環境については知らなかったからです。

両肘を広げると塞がってしまうような細い路地。トタンやレンガで立て上げた、貧しい家屋の長屋。そこをスラッシュの道案内で進んでいくと、到着です。外国人の来客など、生まれて初めてだったでしょう。隣人も不思議そうに顔を出しては眺めています。

入ってみると、ほの暗い4.5×2 mtほどの一室でした。聞くと、そこに父・母・兄・姉と妹が住んでいるそうです。奥に小さなキッチンがあり、シャワーやトイレは隣人たちと共同のものを利用しています。あまりに人口過密なので、当のスラッシュは雇用主の倉庫のようなところで寝泊りすることも多いとか。父は無職・アル中で、家にはいつもケンカが絶えず、スラッシュもどちらかと言うと働いているか、町の悪友たちとつるんでいる方が楽しいし、気が紛れる――そう言うのでした。

そのスラッシュは、妻が最初に会った時、「勉強嫌い。学校行きたくない。俺不良だから。」と言ったのです。しかし、そのわりに、英語のアルファベット学習帳(薄い例字に沿って上書きしていくもの)を渡された時、鉛筆を手にとって、実際に書き始めようとしたほどの熱心さを示しました。

また、彼のやる気を認めた妻は、最初乗り気でなかったスラッシュをCCS(Community Concern Society)のコンピュータ・ラボに招待します。始めて見、触る実物のPCに、スラッシュの目は輝いていました。

そして昨日19日、お昼がまだだったと言うことで、コロンボのデパ地下で食事(と言っても高価なものではありませんが)をしようと誘ったとき。スラッシュ・アサンカ共に、清潔な建物・数多くの店舗・たくさんの客の出入りを見て、「エアコン最高!(なぜか、エアコンが成功のステータスのようで…)」「床もきれいだよ」「すげ~よ、すげ~よ…(アサンカ連発)」などと、初めて見、触れる環境に感動していたそうです。

その昼食の折、最後に妻が「あなたたちには夢はあるの」と尋ねたとき。スラッシュははにかんで、「経営者になりたい」と言いました。またアサンカは「コンピュータ習って、プログラマーかな。」と言い、「とにかく絶対エアコンの効いた部屋で仕事する!」と力強く語りました。

教育を受けることで、人生にどんな変化が起こせるか。人生に目標を、夢を、願望を持つことで、どれだけの若者の人生が好転したか。少ない経験の中ですが、私たちは知っています。

単に英語やコンピュータの知識を教えるだけでなく、人生への前向きな気持ちを与えられること。「やる気」は仮に私たちがいなくなったとしても、以後生徒たちが自分たちの努力で継続していく為に、絶対必要なことです。彼らのこころの中に、成功への願望、自分の理想像が植えつけられていれば、外部からの働きかけがなくとも、彼らは自律継続できるからです。


この後、彼らは妻の呼び出しがなくとも、CCSのコンピュータ教室に参加するようになりました。初め、物珍しさだけだった彼らのこころに、小さな、しかし明るい希望が灯った証拠です。

そう遠くない未来に、彼らの人生が好転し、道が開け、光が射しますように。私たちのできることは僅かですが、どうか神さま、彼らが自分たちの価値を正しく認識して、人生の意義を見出し、愛情を注いでくださっているあなたへの信仰に目覚めるために、スラッシュとアサンカを見守り、助けてあげてください。

いつも応援感謝しています。
あなたのひとポチで、より多くの方が導かれ、
神さまの愛に気付くことができますように。
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アダムとイブは完璧なカップルでした
2007-02-21 Wed 12:00
アダムは、イブから「アンタ以外にもね、マークともジョンともポールともルークとも、結婚しようと思えばできたわ!!」と小言を言われることなく(だって男性は一人だけ)。

イブは、アダムから「お袋の味噌汁、煮込み、ハンバーグは旨かったな~」などと嫌味を言われることもなかったからです(だってお袋いないから)。

あなたは「Love and Marriage are different thing...」と言えましたか…?
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神があなたを導くとき
2007-02-20 Tue 16:00
「神があなたを導くとき、神はあなたの必要を満たしてくださる(When God guides, God provides)。」という言葉があります。神さまの仕事に携(たずさ)われば、生活に必要な、他のニーズも自然と満たされる、ということです(ルカ12:29~31参照)。

しかし、私たちが色々なことを試行錯誤しても、一向に結果がついてこない。冬休み返上で勉強、強化合宿にも行ったのに、受験に失敗。履歴書を更新し、しっかり準備して面接に行っても、内定取れない。顧客を訪ねても、出てくるのは疑いと否定に満ちた顔ばかり――そんな苦しい時も確かにありますね。

そこで、考えて欲しいのは「今は種を蒔く時で、刈り入れる時ではないのかもしれない」ということです。

●農夫に学ぶ
農業のサイクルを思い浮かべてみましょう。早春に土地を耕し、土壌を準備して、種を蒔き、梅雨の雨と夏の日差しの後、豊かな収穫の秋がきます。農夫はその実りを、耐え忍んで待つ(ヤコブ5:7~8)のです。

ですから、壁にぶち当たって「結果でね~よ~」と欲求不満になるよりも、新しい、より良い種を蒔き始めてみてはいかがでしょう。

それは、知識向上のための、勉強かもしれません。
新しい人脈との、ネットワーキングかもしれません。
自分の地平線を広くするための、旅かもしれません。
家族への愛と思いやり、触れ合いの時間かもしれません。
困っている誰かを、助けてあげることかもしれません。

それが何にせよ、あなたは「自分の蒔いた物を収穫する」ことになるのですから。ですから、自分が人生でどんな種を蒔いていくか、注意深く決めなければなりません。

多くの人が「イバラの種を蒔いて、メロンが実ることを期待する」ようなことをしています。ゲームや酒、タバコ、ドラッグ、ギャンブル、不毛な肉体関係、サボり、惰眠…。そんな物から収穫できる物は、やっぱり高が知れているのです。

こうした時間つぶしの中に、神さまは居ますか。心の中の声はこう言うのではないでしょうか。「いや、それって全部自分の楽しみのためだし、やっぱ時間の無駄かも。」

●God with you?
人生で何をするにも、気をつけて欲しいのは、「それって神さまが望むことか否か」を注意深く判断することです。

「…何でそんなことしなきゃならんの?」というのは、フェアな質問だと思います。一つ聖書から引用しましょう。

イエスがカペナウム近郊の湖のほとりで教え始めたとき。あまりに多くの群衆が集まったので、主は船に乗って湖に出て話しました。夕方になり、みことばを話し終わったとき、イエスキリストが「向こう岸へ渡ろう」と言ったので、弟子たちは群衆をあとに残し、船に乗っておられるままで、イエスをお連れしました。他の船もイエスについて行きます。
すると、夜半に激しい突風が起こり、船は波をかぶって冠水し、沈没しかかりました。
ところが主イエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられたのです。弟子たちは青くなり、仕方なくイエスを起こして言いました。
「先生。私たちが溺れて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われました。すると風はやみ、大なぎになったのです。そして、主は彼らに「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」と言われました(マルコ4:36~40)。

人生には数々の嵐があります。困難が、チャレンジが、挫折が、理不尽が、喪失が、残念ながらあります。しかし、そんな暴風雨の中でも、主が共にいてくれさえすれば。それがどんな「Perfect Storm」であれ、嵐は止むのです。

ですから、あなたが冒険と野望の船を駆って出向する前に、神さまが乗船されているか、確認してください。
もし乗客リストに主の名前がなかったら、その船旅はより困難なものになるからです。荷物を全部捨て、死を覚悟して祈り、命は助かっても船大破…(使徒27:9~41)。みたいな結果が待っているかもしれないからです。

●自分の栄光を求めれば
私たち――例え信仰に厚く、主のために全てを捧げている人でも――「あらら、ごめんなさい。今の決定は神さまじゃなく、自分のでした」という時はあります。自分の意志、自分のエゴ、自分の欲から行動を起こして、大破する、そんな時が。神さまの引力に逆らって進んでしまい、一向に前に進まない、そんな時が。

この俗世の王が、「もっと金を稼げ」「もっといい車に乗れ」「もっといい女/男と付き合え」「もっと、もっと――」とあなたに求めて、あなたの目を暗ましているからです。神さまが乗船していないにも関わらず、先走って出航してしまうことが少なからずあるのは、こうしたメッセージが世に溢れているからではないでしょうか。

しかし、あなたの目は既に開かれています。問題は、間違いを認識してなお「惰性で進む」か、それとも「針路変更する」かです。


ですから、神さまがあなたの船に乗船されていることを、再確認してください。
神さまに助けを依頼してください。「護り、導いて、救ってください」と。
そして、何より感謝しましょ。「神さまありがとう」と、伝えてください。


「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、
束を抱え、喜び叫びながら帰って来る(詩篇126:5~6)。」

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あなたのベスト・フレンド
2007-02-19 Mon 16:32
あなたにとって、「親友」とはどういう人を意味するでしょう。誰の顔が浮かんだでしょうか?その人は、どんな人でしょう。

親友って、例えば意見の衝突があっても、(クーリング期間の後)また親しく話せる仲。あなたが、あなたらしく居られる付き合い。自分の辛さとか、悩みとか、心の深奥を明かした時、それをありのまま受け止めてなお、愛してくれる人。そんな感じでしょうか。

過日に「まさかの時の友は真の友」でも話しましたが、こうした友情を勝ち取るためには、まず自分から、「してもらいたいことを、他の人にも進んでしてあげる(マタイ7:12)」ということでした。

しかし、更に耳寄りな情報があるのですが、「まず自分から」「OOせねばならない」というような制約を取っ払って、あなたを、そして私を「真の友」と呼んでくれる方がいることです。「わたしがあなたを選んだ。わたしの友として」と言ってくれた方がいることです。


「…わたしはあなたがたを友と呼びました。<中略>あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです(ヨハネ15:15~17)。」

上のセリフを述べた主イエスキリストは、神の子としてこの世に来ました。厩舎での生まれ、貧しい大工の息子として育ち、考えてみれば決して恵まれた境遇ではありませんでした。30歳になり、奇跡と癒しの福音伝道を始められてからは、日夜障害者、病人や悪霊に憑かれた人々を癒し、心の闇に押しつぶされ疲れた人々を休ませ、彼らに希望と自由への道を示しました。

この世に来た光。彼はそう例えられます。しかし光が強ければ強いほど、作り出される闇も深かった――主イエスの活躍は、ユダヤ人たちの嫉妬や妨害、殺意を同時に招いたのです。そして、ユダヤ人による不当な裁判、からかいと侮辱、暴力、むち打ち刑を経て、当時最も残酷と言われ、極悪人にのみ適用された十字架刑による死を受け入れたのです。

そして、あれだけ大勢の人を救い、癒し、目を開き、力付けたのに。あの日、彼の処刑を止めようとか、彼のために立ち上がり、戦おうとする者は一人もおらず。彼は弟子の一人から裏切られ、他の弟子たちからも見捨てられて、十字架の上でひとり息を引き取りました。

彼の死には、一体どんな意味があったのでしょう。そしてその犠牲が、あなたや私にどんな関係があるのでしょうか。


「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(15:12~13)。」

イエスがこう言っているように。それは友であるあなたのために示された、最高の友情と愛の表現だったのです。「あなたのために、いのちも捨てよう」「あなたを絶対に見捨てない。最後まで一緒にいるよ(ヘブル13:5意訳)。」という強烈な意思表示だったのです。


そして、約2,000年の歳月の後。

霊となり、窮屈な肉体の檻から出られた主イエスは、いつでも、どこでも、あなたのそばにいて、見守ってくれています。あなたが流した涙も、後悔も、喪失も、清濁全てあわせのんで尚。あなたが欲するなら、生涯をともに過ごせる親友として、あなたと一緒に働いて、あなたと一緒に歩んでくれます。

だから、もしあなたが今の人間関係で苦しんでいたり。耐えられない孤独や、周囲の無理解や拒絶の中で、「もう嫌だ」と言ってしまいそうな時は。

「親友欲しいな…。イエスさま、友だちになってくれます…?」
「言葉にできないほど、つらいんです…。イエスさま、助けてください」と、言葉にしてみましょう。

その瞬間には、あなたは気付かないかもしれません。しかし、その時点から恵みと解放、変革と希望に溢れた日々が始まっていることを、後で知らされることになるでしょう。

それは何か、大きなチャレンジへの布石かもしれません。
大きな変化の連鎖の、開始点かもしれません。
これまで分かり合えなかった誰かとの、罪の赦しと仲直りへのスタートかもしれません。

何がどういう形で、主イエスに触れられようと。
神さまはあなたのためにすべてを働かせて、益としてくれます。
聖霊のガイドを派遣し、迷った時道を示してくれます。

今日という日が、きっとあなたの記念日になるはずです。


「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます(ヤコブ4:8)。」

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八方美人は疲れるだけだ
2007-02-18 Sun 18:00
誰でも「他人から認められたい」「好かれたい」「良く思って欲しい」という欲求があります。人間が社交生活を営む理由は、①集団であることの安全性、②各人の特性を活かした分業・専門化による効率性、などという以上に、この本能にも近い感情「外部からの承認への欲求」なのではないでしょうか。

ですからできれば、周囲にいる人々から愛されたい。仲間と認められたい。「いい人…!(ぅふ)」って思われたい。人間誰でも多かれ少なかれ、そんな願望アリと思います。でもその欲求があまりに強いと、「みんなに好いてもらわなきゃ」というプレッシャーを感じたり、周囲の反応がそっけなかったりする時「ああ、嫌われちゃったのかな」と悶々とするのでしょう。

「こうした欲求は当たり前」と認めた上で、ちょっと考えてみましょう。この世界に、芸能界やスポーツ界や角界や行政や主婦の会や史記や人類の歴史や聖書も含めて、完全な「八方美人」、周囲の知人がみな愛して、批判家や宿敵やゴシップが全く存在しない人は存在したでしょうか。

ホークス監督王さんは近いんじゃない?とか、マザーテレサはどうよ?などと言う声も聞こえてきそうですが、王さんに関しては、監督に昇格後、1984~7年と3年間も優勝から遠ざかり、監督としての資質に疑問を呈する声がファンや評論家から挙がったことや、1995年福岡ダイエーホークスの監督に就任後も勝てず、ファンの一部から罵声と共に生卵が投げつけられたこともありました。

マザーテレサが1952年「死を待つ人々の家」を開設した時は、地元住民の強い反対と施設撤去を求める声があがりました。何しろ、ヒンズー教徒の国ですから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のためにそんなに苦労してもあまり意味がないのではないかという批判もありました。

怪我人・病人・悪霊に取り付かれた人々を、その奇跡の力と権威によって治しまくった主イエスでさえ、当時のユダヤ人社会・権力者・既得権益者たちからは疎まれ、憎まれ、否定されてたのです。


確かに、時間にルーズでだらしない人にとっては、規則正しくきちっとした人は煙たい存在です。大雑把で楽観的な経営者には、几帳面で細かい経理部長はうるさい存在でしょう。どちらも不可欠で、どちらも長所を持っていますが、それよりも「違い」「劣っている点」「合わない波長」ばかりが目立ってしまいます。無理解・嫉妬なども入り混じって、酒の肴にお互いの批判・愚痴大会開催~!!などありがちかもしれません。

だから、八方美人になろうとする必要はありませんし、第一なれませ~ん。費用対効果においても、費用ばっかりです。ひたすら疲れます。独りになったとき空しくなります。ですから、主イエスもこう言っていますね。

「わたしは、あなたの行ないを知っている。<中略>わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであって欲しい(黙示3:15)。」はっきりと自分の立ち位置を決めて、動かされないで欲しい。良いことは「良い」、悪いことは「悪い」と決断し、馴れ合いで周囲に流されないで欲しい、と。

また主は「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です(ルカ12:51)。」とも言っています。つまり、しっかりとした信念や、生きる指針を持つと、これまで許容してきた事柄に耐えられなくなることがあります。付き合ってきた悪友。身体に悪い習慣。隠してきた秘密。かぶり続けてきた仮面。そんなものがある日、重いかせ、あなたの自由を拘束する鎖に変わることがあります。このような「現状を改善したい、悪癖から離れたい」と思う強い気持ち、分裂への欲求を植えつけるのもまた、神さまの意思なのです。

あなたの変化に対して、ある人は首を振り、ある人は批判し、またある人は離れていくでしょう。
それで離れてしまう仲なら、親であれ友人であれ、どんなに妥協しても、自己犠牲しても、いつか離れてしまうでしょう。「合わない」は「合わない」でいいのだ!です。


あなたがこのようにして失うものの対価、報酬は一体何でしょうか。

それは、己に対する更なる理解と、こころの平安。またお互いの悩みを語り合い、祈り合える友人であり。あなたを理解し、その思い煩いを心配して、正しい道に導き、護り、祝福してくださる神さまの愛です。

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ハンターと熊
2007-02-18 Sun 12:00
ある日曜日、コロラドから来ていたハンターが、教会をサボって熊ハンティングに出かけました。山道で、彼が角を曲がると、熊さんとばったりはちあわせです。驚いたハンターは山道から脇の谷に転がり落ち、老木にぶつかってようやく止まりました。ライフルは遠くに投げ出され、足も怪我したようで動けません。そこへ、熊が猛ダッシュして到着。

頼るものを失くしたハンターは、神さまに祈って叫びました。

神さま教会に行かないでごめんなさい!私を許して、救ってください!そうだ、この熊をキリスト者に換えてください」

突然天の雲が分かれ、光が射して熊を照らしました。すると熊は突進を止め、ハンターの足もとにひざまずき、手を合わせてこう言いました。
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キリシタン隠れミッション発動
2007-02-17 Sat 21:49
私はNGO職員としてここスリランカで就労している訳ですが、妻とともにクリスチャンとしての働きも視野に入れ動いています。妻はフリーランスで既にタイピング・基本的なアプリケーションの操作を教える教室で働き始めました。

パキスタンでも成功を納めた「タイピング塾」の手法とは、中古コンピュータショップから「ジャンク」キーボードを貰い受け、それを使ってスラム在住の受講希望者に、ブラインドタッチの訓練を施すと言うものです。仮に実働するPCがたった1台でも、タイピング速度と正確さを把握するテスト時にのみ使うため、初期投資を最小限に抑え、大勢が参加して一度に訓練することができます。

今回は少しひねって、キーボードの拠出元(中古PC店)に、こう持ちかけました。「①同じスリランカ人、特に貧しい人たちを助ける事になる」ということに加え「②寄付されたキーボードに、あなたの店の名前を入れ、PRにつなげる」「③(多分)タイピングを覚えた生徒たちは、あなたの店で中古PCを購入するようになる」

①は誰の目にも明らかです。しかしドナー(PC店オーナー)によっては「それがどうした?」と返されるかもしれません。だからこそ、オーナーの目線から「メリット」を説く必要があると思ったのです。

つまり、受益者(生徒たち)とドナー(PC店主)の間に、そのままでは存在しない価値を創造すること。そうやって付加価値(Value Added)をつけるのが、営業であり、NGOであり、ファンドレイザーの仕事です。オーナーが「俺はイイことしたよ~母ちゃん!」と気持ち良くなるだけでなく、「商売のプロモーションに役立つな」「これは将来への投資なのだ」と思えるようになれば完璧です。しかも、彼の失うものは壊れたキーボードのみ。

同様に、教会員の皆さんから、引越し時・年末年始に出る古本・CDなどを収集し、古本業者に買い取ってもらうことで資金調達し、イベントや年末助け合いに充てるというのも、寄付者と受益者の間を取り持つ「価値の創造」の一例ですね(詳しくは「Book Magic」参照。)


そして、神さまのみことばセールスマンとしても、この「付加価値」のコンセプトは大切だなぁと考えさせられるのです。教会で;

分かりやすいメッセージを伝え、みんなでよろこんで賛美する(①)のに加え、
みことばに従って「生きる」ことがどれだけ私たちの仕事や人生に役に立つか(②)、
週に一度でも教会に足を運ぶことが、長い目で見てどれほどの利益をもたらすか(③)、

というメリットをしっかり伝え、教会員の方たち一人一人が、ゴールから目を離さないようにすること。彼らが心の中で「これは自分のためになる」ということに気づき、自分の意志で継続する、そのお手伝いをすることです。

特に、教会内で同じ思いを共有できる人々がいて、お互いに啓蒙しながら、切琢できるような関係ができれば、人は必ず集まり、そして継続するでしょう。まずは自分自身の成長と、幸福のために。

そして、もっと長いスパンで見れば。
私たちが継続さえすれば、主の手が根気よく働いて、こうした私たちのエゴ・自己中心すら、神さまの仕事に役立つものに変えてくれるのです。

(隠れミッション「タイピング塾」の進捗に関しては、また今度報告します!)

ごほうもんありがとうございます。もしお役に立てたなら。
愛のひとポチ↓よろしくです
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ホテルは満室です
2007-02-17 Sat 21:38
ローゼンバーグさんというユダヤ人女性が、ある晩遅くにリゾート地の繁華街に到着。しかし宗教的差別から、その地区にあるホテルはユダヤ人の宿泊を拒否していました。受付の担当者はPCの画面をチラ見してから「失礼、空いている部屋はありません。満室なもので。」ローズさんは「でも表の看板には“空室あり”ってあったのだけれど…。」と返します。

受付はちょっと言葉に詰まってから、小声で「ユダヤ人の受け入れはしていない地域なんですよ…。どうです、タクシーで15分も走れば他のホテルもありますから。」とのこと。

ローズさんちょっと身を固くして、「でも今はキリスト教に改宗したのよ…?」と言うと、受付「じゃあちょっとテストしますね。イエスはどこで生まれたでしょう…?」

「彼はベツレヘムと言う小さな町で、マリアという名の処女から生まれたわ。」とローズさん。

「いい感じですね」にやっと笑って受付さん、「続けて続けて」と勧めます。

「彼は飼葉おけの中で眠りました。」「そうそう。」受付はちょっと嬉しそう。「でも何で赤ちゃんイエスは飼葉おけに寝かされたんでしょう?」

その質問に対し、ローズさん大声で

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殺気が飛ぶんなら
2007-02-15 Thu 14:51
時代劇ではよく「殺気!」とか言って屋根裏を槍で突き刺したりしています。もっと身近な所では、「こいつ殺す…!」と思った瞬間、スリラン蚊が逃げ出したりします。また、ライアル・ワトソン博士はその著書「アース・ワークス」の中で、植物にすら意識があり、人間がまじで「ぶっ殺す!」と念じると、ポリグラフ(電気伝導率の変化を感知し、記録することで感情の変化を読み取る装置)に劇的な変化が現われる、ということを科学的に証明しています。

「こんなに殺気が飛ぶんなら、じゃあ愛も飛ぶんじゃない?」と非常に安直な思いつきから、私は今「愛の肩たたき運動」を実施しています(肩たたき人募集中)。これは簡単なことで、行き過ぎる人々、交番のお巡りさん、コンビニのバイト君、公園でダベる奥様方、誰に対しても、「あなたのこと、気にしてますよ」「愛してますよ」と念じながら、心で「ぽんぽんと温かく」彼らの肩をたたく運動です。

「アホじゃない」と思った方、正解です。しかし、その効果も多分、確かにあって。そういう気持ちで人々に向かうと、微笑みやあいさつが、自然に出るのです。

今日実際にあったことですが、ちょっと説明しますと、ここスリランカでは政府の締め付けが厳しくなってきたこともあり、外国人のビザ・就労許可証の申請を3ヶ月毎に行なわなければなりません。その度に州政府高官→NGO監督庁長官→総務省→移民局とステップアップしていくのですが、申請書書いて、推薦状頂いて、最終的に3枚の推薦状を移民局へ提出…。という段取りを踏まねばなりません。全行程、最短で2.5週間~長ければ1月は優にかかる仕事です。

他の日本NGOからも、官僚組織の対応について散々文句を聞かされていたのですが、その「最悪」の頂点に君臨するのが移民局でした。そうしたネガティブな印象を散々叩き込まれて、今日初めて移民局へ申請に出かけたのです。

確かに、ひどい混雑です。人材不足で、対応キャパをはるかに超えた人々が列を成して待っています。彼らはもちろん苛立って、「殺気立って」います。特に外国人カウンターでは、欧米の女性が指先で「コンコンッ」と机を叩きながら、「E~xcuse me!!!!」と受付のお姉ちゃんを睨みつけ、「私を無視するなんてUnbelievable!!!」という風情で待っています。「お互い大変だね」と話しかけると、シルビアと名乗ったその女性は「こいつら(←ニュアンス)返事もしないのよ!私の顔を見ないように視線を伏せて、完全に無視しようとしているの!!(how dare you!!!)」ということでした。よく観察してみると、確かに受付の担当者はみな超多忙で、誰もがパスポートと書類の束を抱えて走り回っており、満足に席について仕事ができないほどです。

まあ自分へ対応してくれないからと言って、そんなに噛み付かんでも。と思いながら、忙しく立ち働く担当のお姉ちゃんに、例の「愛の肩たたき運動」を実施しました。

全く反応はありませんでしたが。…しかししばらくして、お姉ちゃんが顔を上げた時、私は一言「すごい忙しさだね。」と言いました。すると彼女も「そうなの、大変なのよ。」と言い返してきたのです。それから彼女は、自分の取り掛かっている仕事がひと段落着いた時、私の書類に目を通して、必要な手続きを教えてくれました。そして、別ブースで手続きを終えて帰ってきた私を、わざわざ奥から出てきて迎えて、書類を受領してくれたのです。

状況を見るに、皆忙しさにテンパっていて、自分の仕事を一案件づつ片付けるのが精一杯なのです。そこへ「私が私が」と出しゃばってくる外国人にムカつくのは、彼女たちだけではないはずです。そんな不毛な客ばかり相手にしている時、「大変だね」「がんばってますね」など――ほんの一言の心配りがあると、彼女たちも「冷徹な事務員」から「一人の人間」に戻るのです。そして、私をも「一人の人間」として、大切に扱ってくれるのです。


この「愛の肩たたき運動」は、即効性はないかもしれません。

しかし、あなたの眼差しや、微笑み、心配りの一言――そんな形あるものへ、必ず滲み出して、人の心を打つのです。刺すような不安や違和感が殺気なら、誰でも温かく包み込むのが愛です。そしてそれは必ず届きます。

『愛する者たち。 私たちは、互いに愛し合いましょう。 愛は神から出ているのです。 愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者に、神はわかりません。 なぜなら神は愛だからです(Iヨハネ4:7~8)。』

ということですので、皆さんもどうぞ「愛の肩たたき運動」へ参加してみてください。効果があったら教えてね。

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神の用いる器
2007-02-13 Tue 16:01
イスラエルの陣とペリシテ人の軍勢が、エラの谷で対峙した時のこと。ペリシテ人の代表戦士、ゴリヤテが「イスラエルには戦士はいないのか。俺さまを破れる自信があるやつ出て来い」と息巻く中、イスラエル人の誰もが「私はちょっと…。」と遠慮気味でした。と言うのも、ガテ出身のこの兵士は、身の丈3mtもある巨躯の上、巨大な剣とジャベリンで武装した職業戦士だったからです。

イスラエル軍総司令官のサウル王は、「誰か行って来い!」とも言えず、日々「うぅぅ」と苦汁をなめていました。ゴリヤテの侮辱が始まって40日もしたころ、ダビデ少年(身長1.5mt)が陣営を訪れ、ペリシテ人の侮蔑に憤慨してこう言いました。「このしもべが行って、あのぺリシテ人と戦いましょう。」

心配顔のサウル王は、ダビデをたしなめるように言いました。「お前はまだ若いしな~。どう考えても、あの巨人の相手にはならんだろ…?」しかしダビデの決心が固いことを汲んで、「馬子にも衣装」でダビデを武装させました。

でも甲冑が重く、大きすぎて、ダビデはふらついています。笑いを堪えつつ「ほんとに大丈夫かよ」という表情を隠さないサウル王とその側近に、「こんなんじゃ歩くこともできません」と鎧を脱いで、ダビデは出陣しました。

両軍が対峙する丘の中央には谷があり、小川が流れていました。ダビデ少年はそこからなめらかな石を五つ選び取り、投石袋に入れ、石投げを手にして巨人兵に接近しました。イスラエル側から出てきた子どもを見て、ゴリヤテは何とも拍子抜けです。「あら。子どもが杖を持って出てきたが。」

そんなペリシテ人に向かい、ダビデの口上です。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かってくるが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される!」
ペリシテ人は立ち上がり、怒号と共に走り始めます。ダビデも戦場の丘を駆けて、先ほどの磨かれた石を取り、投石器でそれを放ちました。


勝負は一瞬でついたのです。
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真の友
2007-02-12 Mon 20:14
「まさかの時の友は真の友」という言葉があります。トラぶった時頼れる友人こそ真の友人だ、ということです。パキスタンの山奥でも、一度こんなことがありました。

ある時、3台ある内のピックアップトラック1台が、崖から落ちました。20mt位斜面を下り、横転しかかったところを樹木が支えてくれて助かったのです。人的被害は皆無で、擦り傷と打撲程度。ドライバーはショックで(あああこれで私のキャリアも終わりだ…)フリーズしていましたが、身体的ダメージは大したことありません。一番死にやすい助手席のトフェルは一人無傷。

しかし、もし支えてくれた樹木がなく、車両がそのまま崖下まで直行していたら…。もし横転が早い段階から始まっていたら…。様々なIfを考えると、今も背筋が凍ります。まったく落差20mtにしては、まさに奇跡の生還でした。神さまありがとう。

しかし、話はここからです。崖下に転がって木に突き刺さっている車両を、どうやって崖の上まで引き上げる?

私を含め、JENスタッフが困惑の面持ちで見守る中、事業地の村人たちが集まってきて、「引き上げるのを手伝おう」と言ってくれました。有志の方たちが「いつも俺たちを助けてくれているJENが、今困っている。みんなで手を貸そう」と言うと、スコップ、ロープや鎖を手に、村人や警察、軍の人たちも集結して、助けてくれました。

崖の傾斜が少し緩やかなところまで車両を移し、そこから「車と人の綱引き大会」の始まりです。そうです、すべて人力なのです。道行くトラクターの運転手も、途中から参戦し、車体を崖の上に引き上げる、最後の一引きに力を貸してくれました。

このようにして、最終的に総勢80人ほどの有志が「JEN緊急救援ミッション」参加してくれたのです。ミッション達成後は、もちろん握手・Hug会です!みんなと微笑み、抱き合い、握手すると、感謝の涙も浮かんできました。

(今でも思い出すと、本当に感謝の気持ちで一杯になります。単なる被災者と、NGOという関係を超えた、深いつながり。人種も、言葉も、宗教も、習慣の違いも超えて、「真の友」と呼べる人たちに出会えたことは、それ以後私の大きな励みになっています。現在寒さの厳しいカシミール地方で、彼らがどう過ごしているか少し心配なのですが、持ち前の助け合いの精神で乗り越えられるはず、とも信じています。)


聖書の中にも、こんな件がありますね…。実の息子に王座を奪われ、逃避行中のダビデ王に味方してくれた「真の友」の話が。ほうほうの体で逃げ出すダビデ王に、同行を願い出たガテ人イタイ。そして王の寄留先で、ダビデとその軍を養った老臣バルジライなどは、その良い例でしょう。

彼らは、その忠誠と働きに応じて、その後大きな感謝と、報酬を受けることになります。しかし、彼らの友情が試された当時は、見返りの保障どころか、反逆者として追われ、殺される危険すらあった、そんな難しい状況でした。ただでさえ「他人のトラブルに巻き込まれたくない」と周囲が顔を伏せる中、進んで自分を捧げることは、さぞ勇気の要ることだったはずです。

「そんな友だち、欲しいな。」私も含めて、そう思う方は多いと思います。

そんな友情を勝ち取るためには、どうすればいいのでしょうか。

それにはまず、自分から声をかけて。自分から手をさしのべて。自分から進んで、友情を示すことでしょう。
「…何事でも自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい(7:12)。」と、主イエスも言うように、ね。

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死ぬ前に
2007-02-11 Sun 20:00
もし私が、突発的な病や、惑星衝突、死刑執行などで、あと一日しか生きられないとしたら。避けられない「終わり」が来るとしたら。心中穏やかではありません。一体どう過ごすかな。
(あなたもご一緒に、リスト作成してみましょう。)

私はとりあえず;
①酒を飲む
②旅をする(日帰りできるとこ)
③遺書を書く(身辺整理)
④家族・友だちに電話
⑤ブログにサヨナラ記事更新
⑥風呂に入る
⑦旨いもの(日本食)喰う
⑧寝る
⑨泳ぐ
⑩メールBCCで「皆さんお世話になりました」(面倒くさがり)
等など…。よくよく考えてみると、アンタ無趣味ね~。

でも、何をするにしろ、たぶん一人でします。だっておセンチじゃあありませんか。切ないじゃああありませんか。世をはかなむじゃあああありませんか…。「ほっといて、一人にしといて。どうせこれから死ぬんだから。」みたいな感じで、すんごい内向きになると思います。


上記のように、不可抗力で死ぬのでも大変なのに。
もしあなたが、周囲から責められて「死にたい」「死ぬしかない」「死のう」――そう言うようになるまでに、どれだけ苦しんだか。どれだけ裏切られたか。どれだけ傷ついたか。暗やみの中、終焉に向かう道は一直線で、他に選択肢は無いように思えるかもしれません。

死にたいほどのその苦しみを、超えることはできるでしょうか。克服することはできるでしょうか。
(できるものなら、とっくにしています。)そんな声も聞こえてきそうです。
上記のように「ほっといて。一人にしといて。部外者には何も分からないし、何もできないんだから」という方もいるでしょう。

そんな、人に言えない苦しみだからこそ。あなたたちに「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と言ってくれた方のことを、伝えたいのです。

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牧師を迎えたもの
2007-02-10 Sat 18:44
元米国大統領ウッドロー・ウィルソンがアフリカに旅立って、2週間のハンティングツアーに参加しました。当時は船旅で米国とアフリカ間の往復には非常に時間がかかりました。彼がその帰途につき、ニューヨークの自由の女神を眺めながら帰港した時、2,000人を超える観衆が旗を振り、歓声を上げてウィルソン氏を出迎えました。

奇しくも同じ船に、アフリカの地で25年間、宣教師として活躍されていた牧師が乗っていました。

彼の旅立った時の記憶と、故郷はあまりにもかけ離れており、知っている人ももういません。25年間の歳月を捧げ、彼は多くの人を神の道に立ち返らせ、キリストの福音を広く、遠くまで伝えました。その功績にもかかわらず、港で彼を待つ人、歓迎する人は誰もいませんでした。

「神よ、なぜですか。」辛さに耐え切れず、牧師は口を開きました。「なぜ元大統領がアフリカで遊んで帰って来て、これだけ多くの人に歓声を浴びているのに、私には誰一人として喜んでくれる人はいないのでしょうか。」

打ちひしがれた牧師が落ち着くのを待って。神さまは小さな声で、彼に話しかけました。

「あなたの旅はまだ終わっていないからだよ。」

そして、ほんの少しですが、神さまは垣間見せてくれました。
牧師が天国に着いたとき、沸き上がる歓声と、天使たち、聖徒たちの笑顔を。


神さまのお仕事をされている方、お疲れ様です。
あなたが宣教師や牧師であろうと、駆け出しの信徒であろうと。
どれだけ偉大な功績を残そうと、残すまいと。
100,000万人の賛美であろうと、たった一人の悔い改めであろうと。

現状は先の見えない暗やみかもしれません。いくら努力しても成果が認められず、いくら愛情を注ぎ込んでも反応が無く、いくら励ましても空回りしているかもしれません。

しかし、忘れないで下さい。
「あなたの旅もまだ、終わっていない」ということを。
そのゴールに辿りついた時に鳴り響く、天国のパレードの音を。
そして、温かく迎えてくださる、主イエスの御顔を。

『私たちの国籍は天にあります(ピリピ3:20)。』

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子どもの祈り
2007-02-10 Sat 18:38
しんあいなる神さま
この世のすべての人をあいするって、すごいたいへんだと思います。うちはかぞくが4人しかいないのに、その4人すらあいせません。マーク

親愛なる神さま
神さまは本当にとうめいで、見えないんですか?それとも何かのトリックなの?ルーシー

天のおとうさま
わたしのパパですが、ことばづかいがさいあくなので天国へは行けないんでしょうか。アニータ

かみさま
日よう学校はなんで日ようにあるの?ぼくは日ようは休むための日だとおもっていました。トム

天の神さま
「わたしはねたむ神だからだ」ってどういうことですか。だって神さまは何でも持ってるんでしょ?ロバート

神さま
カインとアベルがけんかしたのは、一人ひとり別々の部屋がなかったからだと思います。ジョン

しんあいなる天のお父さま
神さま、あたらしい弟をくれてありがとうございます。でもわたし、本当は子犬をお願いしたんですけど。メアリ
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無責任な私が、あなたに約束できること
2007-02-08 Thu 19:38
私は無責任ですが、神さまは最初から最後まで、すべて面倒みてくれます。
私はいつもはいませんが、神さまはいつでもあなたと一緒にいます。
私にはできないことがたくさんありますが、神さまには何でもできます。

私は時に無神経ですが、神さまはあなたの心の痛みをご存じです。
私はあなたを良く知りませんが、神さまはあなたを生まれる前から知っています。
私は自分のことばっかり考えていますが、神さまはあなたのことを考えています。

私は時に落ち込みますが、神さまは常に慰めてくれます。
私は時に感情的になりますが、神さまは嵐も静まるほどに穏やかです。
私は臆病ですが、神さまは敵すら愛するほど勇敢です。

私は引きこもりがちですが、神さまはいつもあなたを追いかけて行きます。
私は人付き合いが苦手ですが、神さまは誰でも温かく迎えてくれます。
私は口下手ですが、神さまは私にことばを与えてくれます。

私には偉業など成すすべもありませんが、神さまは奇跡をもってあなたの益をはかってくれます。
私はあなたを癒すことができませんが、神さまは一触れであなたを完全にしてくれます。
私は人から受けた傷や、悪口を許せませんが、神さまは無条件に赦してくださいます。

だから神さまに頼って、あなただけの主、イエスキリストを、人生に迎え入れてみませんか?
そうすれば、全知全能、天地創造の神さまが、あなたの生涯のパートナーになってくれます。
あなたがどこへ行こうと、何をしようと、誰といようと。
自分の死をも厭わない豊かな愛で、あなたを受け止めてくれますよ。

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あなたも恵みに包まれてみて。
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なぜ何もうまく行かないんだろう
2007-02-08 Thu 16:29
「今日は日経が200円もがた落ちだ」「巨人が勝てない」「犬が家の中で粗相(そそう)した」「終電乗り遅れた」

なぜ何もうまく行かないんだろう。

「長年の顧客が他社に取られた」「部長は聞く耳もってない」「模試で自信なくした」「バイトで叱られてばかり」

なぜ何もうまく行かないんだろう。

「妻の小言にイラつく」「子どもがグレそう」「親は何も分かってくれない」「自分の理想ばかり押し付けてくる」

なぜ何もうまく行かないんだろう。

それは、まだ私たちが「あちら側」――天国にいる訳ではないからです。

それを認めず、全てが「あなたの思い通りに行くように」と期待してしまうと、現実が違う答えを出してきた時、辛いだけです。理想のイメージだけ追って、自分の子ども、自分の家庭、自分の職場、自分のいる環境…そんな物に完璧を期待するのは、残念ながら間違っています。


だから、あなたも もし「なぜ何もうまく行かないんだろう」と言いかかった時には。

「だって私はまだ天国にいないのだから」と、思い起こしてください。

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傷ついた心で
2007-02-07 Wed 21:15
ランキングで紹介されている中で、様々なブログを拝見しました。中には「死にたい」と切実に訴える方や、理解の無い周囲に怒りをぶつける方、「リスカ(リストカット)」などで自分を傷つけてしまう方もいますね…。

私も以前、一人の女性と、しばらくコレポン(往信)していました。自傷癖のある方で、自分でつけた傷を写メで撮り、ブログに掲載していた方です。自分の意見の押し付けにならないよう、気を配りながら、彼女が神さまにとって「どれだけ素晴らしい人間なのか」「どれだけ愛しいか」ということを話していました。

言葉数少なく、神の存在や、人間の醜さや、残酷さ、愚かさ。そんな人類を果たして神は愛せるのか。そんなストレートな疑問が返って来ました。クリスチャンとしての「正解」を提示しても、普通の方は納得させられないこともあります。彼女の心に根付いた「不信」を前に、未熟だった私は途中で説得を諦めた――そして話題を変え、彼女の日常や、彼氏の話を聞き取り、毎日の暮らしの中にある幸せを、気付かせようとしました。しかし、私の態度の変化を見透かすように、彼女からの返事は無くなり、それから連絡が途絶えてしまいました。

そのダイアログの中で、私は今の苦しみを乗り越えるヒントとして、「10年経てば、たいていの事は忘れられるし、笑い飛ばせるようになる。どんな粗相も、アホな失敗も、恥ずかしい経験も、いつか笑い話に変わるはずだ」と話しました。しかし、それに対する彼女の返事は、
「10年後も過去を振り返った時、笑えはしないと想います。
嫌な事もある、ではなくうちにとっては良いこと事なんて殆ど無く、嫌な事ばかりです。」
という、心からしぼり出すような辛さでした。


最近になってようやく、日々虐待に苦しむ子ども、大切な肉親を理不尽に失った方たち、トラウマを抱える方たち――彼らの心理が少し理解できました。小西先生、ありがとう(詳しくは“「日常の中の非日常」に向き合う”参照。)彼らは、その事件や喪失や痛みを、文字通り10年経とうと、30年経とうと、鮮明に覚えているそうです。まるでその時のことを再体験するように、いわれの無い悲しみや恐怖、無力感が噴出してきて、「普通の生活」には一生戻れない。そう感じていらっしゃる方も、少なくないということです。

コレポンの彼女も、そんな痛みや傷に苛まれて、眠れない夜を過ごしているとしたら。
神さま、今となっては「ごめん」のしようもないんですが。

彼女を、そして同じような状況で苦しんでいる人たちを、どうか助けてあげてください。
心を少しでも、軽くしてあげてください。涙を拭いてあげてください。
あなたしかできません。どうぞよろしくお願いします。神さま

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心のモード切り替え
2007-02-05 Mon 17:26
●愛する人を失った方が、「生前の思い出」や「喪失」に集中し、囚われて、他のことを考える余裕がないのは頷けます。
●いじめや仕事上の失敗、借金などで追い詰められている人が、自分の「問題」に集中してしまい、それ以外のことに関心が持てないのも理解できます。
●受験戦争で他人より少しでも良い学校に進学したいと思ったら、「助け合い」なんて奇麗ごとだと考えるのも分かります。

こうした「悲しみ」「憤り」「困窮」「自己憐憫」「競争心」「劣等感」などの感情に囚われてしまうと、そこから抜け出すことは容易ではありません。一時は「タカアンドトシ」の笑いで気が安らいでも、またすぐにマイナスの感情が浮上します。自己啓発の書籍を読んで元気になっても、月曜の朝にはまたブルーなのです。

思えば、健康や、家族や、友情や、経験や、持ち物や、センスや、能力、そんなものにおいて。
他人よりはるかに恵まれているのに、何でこんなに不幸なんでしょう。


そんな時は、あなたのために流された血と、失われたいのちのことを少し考えてみませんか。
体中むち打ちで皮膚はささくれ立ち、頭蓋に食い込むイバラの冠と、その手・足首に打ち込まれた大振りの釘。とめどなく出血し、体液を失ってやつれ、乾き、力を失ったその顔。槍で突き刺されたわき腹に残る、深い傷痕。

それは、私たちが自分のエゴに従って、好き勝手に「弱肉強食」「地獄の沙汰も金次第」「モテリーマン道」「エロかっこかわいい」方面などなどに進む中。神さまとのつながりを再生し、私たちが一人一人、元のように自分らしく、幸せに生きることができるように、主イエスキリストが進んで、あなたと私のために捧げてくれたいのちなのです。

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を、彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは、主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを、罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
かれは、自分のいのちの、激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする(イザヤ53:4~12)。」と聖書にもある通りです。


ですから、もしあなたが、自分の問題や苦労や嫉妬に囚われて、疲れてしまったら。

あなたのために流された血について、主イエスキリストについて、少し学んでみませんか。

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スリランカ人男性のファンタスィ~
2007-02-04 Sun 20:00
パキスタンと同様、ここスリランカでも、両親の推薦でお見合い結婚するカップルが多いそうです。厳格な文化の中で、婚前のお付き合いや、デートや、くちづけなどもっての他。手をつなぐことも激しくNGなのです。

そんな中、流行のインド映画やドラマは、男女の甘く切ない「お付き合い」をかなり誇張して表現します。

まず、彼女はあなたと目を合わせません。恥ずかしそうに下を向きます。その目線の動きと合わせて、長い首もしおれる花のように下にかしげられます。そしてスッと上目遣いに彼を見て、また恥ずかしそうに目線をそらす。その繰り返し。

ハンカチを落としたり、可憐に花をつんだり、湖畔で歌ったりします。

男は彼女に迫りますが、触りません。触っても指先でほっぺ ツンツン。くらいです。期待してはいけません。そしてなぜかダンスです。タンゴです。チャチャチャです(忘れるな、アクションは功夫。)

そして極めつけは、白いブランコです。若い二人が(男優おっちゃんの時もあるが)楽しそうに白いブランコで行ったり来たりしています。画面はもちろんスローモーション。

そんなファンタスィ~を散々インプットされた後、お見合いの相手が「ハズレ」だった場合のショックは並ではないと思われます。外見OKでも、性格NG、ということもありえます。

その「理想」と「現実」の差に耐え切れずに、男性はDVや抑圧、暴言に走ってしまうケースもあるのでは。期待値があまりに高すぎると(...上記のインド例のような人類は存在しません)、どれだけ相方が素晴らしくても、その輝きが曇ってしまうのです。満足できないのです。

お互いをありのまま受け止める努力を、そして感謝する姿勢を、夫婦共々身につけねばなりません。

それは給与レベル、生活水準の場合もあるでしょう。調理の腕、味噌汁の味、炊事の手際などでもあるでしょう。疲れた時のキレやすさ。爆発するまで溜め込むか、四六時中散発しているか。効率的か。創造的か。おしゃべりか、寡黙か。自分の考えを的確に表現できるか。人の考えを理解できるまで聞けるか。向上心はあるか。柔軟な思考ができるか。執念深いか。赦せるか。忘れられるか。忍耐強いか。すぐ背を向けるか。

一つ一つのパラメーターを、日々地雷を踏みながら発見していく過程が、付き合い/結婚だと思います。悲しいですが、他人の「立ち入り禁止」線は、踏み越えてみないと分からないのが人間です。そこでは、インド映画の描写する表面的な愛のジェスチャーなど、全く意味を持ちません。

パートナーをありのまま受け入れること…そしてその弱みにすら感謝すること…。その為には時に非常な忍耐が求められることはあります。しかし、聖書もこう言っていますね。

『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
互いに忍びあい、誰かがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい(コロサイ3:12~15)。』

ですから私たちも、ドラマや映画に象徴されるようなファンタスィ~に目を奪われることなく。相手をありのままで愛するする術を学ぼうではありませんか。
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途上国で見た愉快な車両たち
2007-02-03 Sat 19:48
スリランカの路線バス;乗降口がある車体左側に、車体がすごく傾いている(超満員で乗降口まで溢れた乗客のエクストラ重量のため。)

後部に「Fully Insured(保険バッチリ)」と書いてあるトラック。嬉しくない。

イスラエルの国旗を掲げたリクシャー;もう少し分散投資した方が賢いのでは?特にムスリムやアラブ系の多い国では…。

分散投資しすぎのバス;ポスターやバスの内装で、主イエス、仏陀、ヴィシュヌ、シヴァなどが列挙されており、その内の誰かがとりあえず助けてくれるよう、連勝で張ってご利益を求めている。

ピックアップトラック;「MIT」と書いてあったので、「ああ、ついにMIT(マサチューセッツ工科大)が車両の開発・販売を始めたのか」と思ったら、「MITSUBISH」のロゴが2/3欠けていただけだった。

パキスタン製のトラック;なんだが、「ISUZU」「HINO」のエンブレム・ロゴが、フロントに掲げてある。いいんだろうか…。

日本の中古車天国;「マルス運輸」「取手自動車学校」「大森幼稚園」「千葉サニーランド(あったんだ…)」など、社名のみならず電話番号や住所まで記載されたまま、途上国で重宝されている(千葉サニーランドの送迎用ミニバスを見た時は、「東京サOーランドのパクリだよねやっぱり…」などと一人で突っ込んでいた。)

時に「アンティークでしょそれ?」と言いたくなるような、日本の車検切れ車両が、途上国の中古車市場を賑わせているのです。(特にトヨタさん、パキスタンの車市場の9割はあなたの物です。76年もののカローラとか。)
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コロンボのスラムで
2007-02-03 Sat 19:30
今日はポヤデー(満月祭)で仕事が休みでしたので、妻が無償でコンピューターと英語のクラスを受け持っている、地元NGO Community Concern Society(CCS)の事務局長ニールソンさんに会ってきました。ご挨拶とお礼、また一緒に何かできないか、可能性を模索するためです。

ニールソン牧師が CCS のスリランカ代表として、コロンボの線路脇のスラムで活動を始めてすでに26年が経ちます。最初は家賃400Rsの小さな借家で、スラムの子どもたちにシンハラ語や英語を教える傍ら、主イエスキリストの福音を伝道していたそうです。

それが時を経て、孤児たちへの炊き出し、英語教室、孤児院開設などを経て、現在はコンピュータラボ、またコロンボ郊外に麻薬中毒患者のケアセンターである【パワーハウス】を設立、貧困に苦しむ隣人たちを啓蒙し、自立を支える活動を続けていらっしゃいます。

CCS設立のきっかけは32年前。アメリカから来ていたスリランカ人牧師、スリヤーニ女史の説教を聞き、ホームバイブルスタディを始めたこと。それまでキリスト教とは縁のない生活を送っていましたが、大いなる引力に惹きつけられるように、熱心に主の意思を追い求めました。

その頃彼の中で、同胞のスリランカ人が貧困や就学・雇用機会の不平等などで、負のサイクルから抜けられず、それが子どもたちの将来をも閉ざしてしまうことに疑問を感じていました。自分も何か貢献できないかと模索し、スリヤーニ女史にも相談すると、「私も同じような考えを暖めていたわ。一緒にやってみましょう」との返事。CCSの始動です。

そして、時を同じくして、指導者であったスリヤーニ女史がアメリカに帰らなければならないことになり、信頼できるニールソンさんに運営を任せて旅立ったのです。彼女は現在もスリランカとアメリカを行ったり来たり、宣教や資金調達などに活躍する生活。ニールセン牧師は、教会運営と共に、CCSの代表として事業の成否を見守っています。「過去26年間、毎日この近隣の人々のために祈ってきました。」ニールセン牧師は言います。「彼らが守られ、導かれて、救いに至るようにと。」

津波のあった2004年、12月26日。津波の被害がCCSや、周囲の状況にどのような影響を及ぼしたのか聞くと、牧師は微笑んでこう答えました。

「2mtにもなる津波が、デヒワラ(コロンボ南部10kmほど)の海岸一帯を飲み込み、後には何も残りませんでした。家屋は基礎から根こそぎ粉砕され、引き抜かれて、その瓦礫は陸の丘陵部まで運ばれて山になったんです。

スリランカ全体で36,000人近い死者が出ました。家屋の倒壊も10万件以上に上りました。

しかし、デヒワラ地区では、その物理的な被害の大きさにもかかわらず、CCSをはじめ、周辺の住民には死者は一人も出なかったんです。子どもも、乳幼児すら無事でした。また家畜や鶏、野犬すらも、命を落とすことはなかったんです。」

単なる幸運、偶然か。彼の祈りが、確かに神さまに聞かれていたのか。

その判断はお任せします。

しかし、車庫の壁に残った津波の跡、私の頭をゆうに越える浸水線を見ると、「彼らを救ってくれた何か」があったことは、どうにも疑いようがないのです。

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